繰り返し問い続けている、芸術・文化の可能性
「あれから4年になるのか」。今年の3月11日も、そう思うに違いありません。去年、一昨年、一昨々年と同じように、あの日、自分はどこにいて何をしていたか、という話を誰かとすることになるでしょう。私はいまでも、手触りのある記憶を思い出すことができます。
それは、東日本大震災の翌日のことでした。テレビのニュースを見ながら、私は当時6歳の息子とご飯を食べていました。息子は、左手でご飯茶碗を持たずに右手で箸を口元に動かし、そのたびにご飯粒がポロポロとこぼれていました。テレビを見て悲しみや怒りが腹の底からこみ上がった私は、息子の前のテーブルに、ご飯粒が散らかっているのを見た瞬間、息子の左手首を力一杯握って「左手で茶碗を持てって何回もいうてるやろ!」と怒鳴ってしまいました。次の瞬間、私は自分がヒステリックな状態であることに気がつき、息子に詫びながら、「違う、変わらなければならないのは自分なんだ」と思いました。あのときの自分の怒鳴り声と、息子の左手首を強く握り締めた感触を、いまでも思い出せます。
しかし、あの時点で「変わらなければならないのは自分なのだ」と思っていたのでは、すでに遅かったのかもしれません。私たちは、震災を境にして歴史が大きく転換したような気分になりますが、それ以前から社会全体は大きな転換期を迎えていたのです。
いまでこそ人口減少社会という言葉はメディアを通して目にしますが、2000年代の後半からすでにその局面に入っていました。それ以前から少子化や超高齢化社会には突入していましたし、経済の低迷も長らく続いていました。にもかかわらず、私たちの価値観は、経済成長がいつまでも続くと考えてきた時代と何も変わっていなかったのかもしれません。
私は、東日本大震災の2年前に、社会の変化を呼びかけていたメッセージを読んでいました。企業メセナ協議会が2009年3月16日に発表した「社会創造のための緊急提言『ニュー・コンパクト』〜文化振興による地域コミュニティー再生策〜」[*1](以下「ニュー・コンパクト」)の冒頭には、こう書かれています。
社会的危機を乗り越え、日本を再生するには、バーチャルで巨大な社会像から脱却し、リアルで等身大の持続する社会を創り出す必要があります。そうした社会の創造のためには、今こそ文化への集中投資が急務と考えます。文化は、社会を形成する人々の知恵の総体であり、社会創造のための新たなソフトを生み出す力の源泉だからです。「国民の総幸せ」をめざすには、自然と歴史を破壊して巨大な経済を生み出すのではなく、そこにある自然や歴史を貴重な資源として、あるがまま創造的に活かして、コンパクトな社会を生み出す「文化による社会創造」へと、大きくシフトすることが肝要です。
地域コミュニティー再生の原則は、まず何よりも、そこに暮らす人々の「これからもずっと住み続けたい」という実感にあります。住む人の幸せがあればこそ、地域外の人もまた「行ってみたい」「移り住んでみたい」と感じるようになるのです。このような魅力を備えた持続可能な地域社会を実現するために、市民自らが地域創造に取り組む必要があります。その原動力となるのが、そこに暮らす人々の心のよりどころである「地域文化の再生と創造」です。それゆえに、地域の社会資本の整備において、地域文化への投資に重点をおくことが肝要です。
いまニュー・コンパクトを読み直して気がついたことがあります。2011年3月24日(震災発生の13日後)に企業メセナ協議会が創設した「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド」[*2](以下「GBFund」)は、図らずも、その2年前に提言したニュー・コンパクトを実行に移すための実験的な社会資本整備となっていたのです。震災を契機に一気に時計の針が進んだ被災地では、日本全体がいずれ必ず直面するさまざまな課題が劇的に現前化したわけですが、ニュー・コンパクトは、そうした課題に対する行動原則を提案していたからです。ですからGBFundは、被災地における芸術・文化活動の支援と同時に、現在の日本社会が抱える課題に対して「アートに何ができるのか」を実践するためのさまざまなモデル事業を生み出してきたと言えます。
その視点からGBFundがこの4年間でどんな活動を支援してきたのかを振り返ることは、今後の日本社会において「芸術や文化に何ができるのか」を考えることにつながります。GBFundは、2011年3月23日のGBFund開設以来の寄付総額が1億3,661万9,709円、助成総額が1億3,338万1,536円、助成活動件数は224件。2014年1月24日に企業メセナ協議会が発表した「GBFund 活動報告書 2011-2013」に目を通すと、報告書の発行時点で採択された196件の中で、活動ジャンル別では「郷土芸能」が最多で44.2%(99件)となっています。これは、震災が郷土芸能の宝庫である東北地方に甚大な被害をもたらしたことと、それに対応するために郷土芸能の支援の枠組み「百祭復興プロジェクト」をGBFundに設けられたことが、この割合の高さになっているでしょう。しかし、おそらく数字が示す以上に、被災地の現地で郷土芸能の復興が切実に求められてきたことはあらためて私から述べるまでもなく、その様子を多くの人たちが伝えています。
心理学や精神医学において、精神的回復力、復元力、耐久力、自発的治癒力といった意味のレジリエンス(resilience)という言葉があります。また、イギリスの進化生物学者・動物行動学者であるリチャード・ドーキンズは、生物を形成する情報を遺伝子が司っているように、人々の間で心から心へと複製され、文化を形成する情報をミーム(meme)と名付けています[*3]。私は、東日本大震災以降、地域コミュニティーのレジリエンスを覚醒させることが、ミームとしての郷土芸能の役割だったのではないかと考えています。
その一方で、同時代の芸術が発揮した役割も見逃せません。郷土芸能は、その土地が受け継いできた固有の文化であるがゆえに、移住者や外部者にとっては参加が難しく、閉鎖的に見えることもあるでしょう。そこで同時代の芸術は、外部者の参加を許容し、固定概念を解きほぐしているのではないかと思います。芸術を生み出す創造力は、それぞれの地域が抱える課題や、予測困難な未来に対して、コミュニティー全体で向き合うための原動力にもなるでしょう。そう考えると、同時代の芸術が被災地において果たす役割は、今後、ますます求められていくのではないでしょうか。
あれから4年になります。4年前、芸術・文化に携わっている人の多くが「私たちに、いったい何ができるんだろう」と考えたはずです。「何もできない」と考えた人もいれば「何かができる」と考えて行動した人もいます。あるいは、考える前に行動した人もいます。何を行動するのが正しいのか、間違っているのか、いろいろな考えがありました。
私も「芸術や文化に何ができるのか」という問いについて、いろいろ思いを巡らしてはいるものの、いまだに明確な答えは見つからず、4年前と同じように自問を繰り返しています。自問を繰り返しながら、こんな風に考えるようになりました。
社会が変わるのを期待するだけではなく、自分が変わるんだ。芸術や文化を通じて社会を変えるのは、芸術や文化を通じて私自身を変えていくことでもあるんだ。私が変わらなければ、社会が変わることはないんだ、と。
そこに気づくのが、もしかすると遅かったのかもしれません。ですが、遅すぎるということはない、と思っています。
(2015年2月27日)
今後の予定
- 3月14日、東京・浅草のアサヒ・アート・スクエアにて「AAF2015ネットワーク会議」に参加。
- 3月15日、愛知県の豊田市民文化会館にて「農村舞台アートプロジェクト フォーラム」に参加。
関連リンク
ネットTAMメモ
2011年9月11日から始まった「震災復興におけるアートの可能性」は、今回の大澤寅雄さんをお迎えして16回目となりました。これまで被災地に関わる方々に、それぞれのご活動を通したアートの可能性を語っていただきました。各回のコラムを振り返ると、あらためてその可能性を強く感じるとともに、5年目を迎えるいま、ますますアートの力の必要性を感じています。
冒頭に書かれた震災直後の強烈な思いの描写は、日本中の誰もが一度は持った気持ちなのではないでしょうか? そして、その後のさまざまな支援のあり方に多くの人が悩み続けてきました。
大澤さんが文中で取り上げている「GBFund」は、震災直後の2011年3月23日に設立された企業メセナ協議会の「芸術・文化による震災復興ファンド」です。震災復興に寄与する芸術・文化活動を公募し、寄付を集めながら、それを原資として2011年4月には採択された活動へ助成を開始しました。主に被災地外による被災地の人々の心の支援から始まり、その後は被災地域と人が主体となり、中長期の展望を見据えたものに変化しています。助成された活動内容の移り変わりが、支援や被災地復興の状況変化を端的に表しているように見受けられます。2012年に郷土芸能を支援する枠組み「百祭復興」が設置されたのも、地域の暮らしに根付いた文化支援が必然であり、自然の流れだったのでしょう。
“自らが変わる”ために、アートができることはまだまだあるようです。ネットTAMでは引き続きその可能性を探り続けていきます。