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文化政策の公正性のため芸術家は行動する

小林真理先生からお声がけいただき、本コラムの一人の執筆者となったことはたいへん光栄である。来日して16年目となる私は、文化庁の海外芸術家招聘研修制度(現在は新進芸術家の海外研修のみ) に選ばれたのがきっかけで、2003年8月12日に日本東京へ来た。研修を終え、休学をしていた韓国の大学院(演劇学専攻)に戻る予定だったが、「演劇を勉強するのであれば世界の中でも豊富な資料を誇る演劇博物館を保有している早稲田大学がいいよ」と、今は閉館となっているタイニイアリス小劇場の西村博子先生からいわれ、そのまま日本に残ることとなった。その後早稲田大学院で修士課程を修了、演劇界のみならず、社会と演劇、社会と劇場の関係性、さらに文化政策についてもっと勉強したいと思い、東京大学院人文社会研究科文化資源学研究室へ修士から入学し、今に至っている。

以前から、機会があればコラムのような形式を通して韓国の文化政策とアートマネジメントの現場について紹介したかったこともあり、せっかくなので私が担当する第4回のコラムは、現在、私が最も注目していることでもある、「芸術家の地位と権利保障に関する法律(以下、芸術家権利保障法)」に関し、話をしたい。ゆえに、第3回までのコラムの雰囲気とは異なるかと思うがご了承いただきたい。

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最後の審判 (The Last Judgement), Artist: ミケランジェロ (Michelangelo), Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

「ブラックリスト」と「Me Too movement」

2019年は、何より、文化政策界(のみならず社会全体)のイッシュの一つとして、「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つであった「表現の不自由展・その後」の展示中止、再開、そして「あいちトリエンナーレ2019」補助金不交付問題、それらをめぐるさまざまな議論を取り上げることができる。日本の文化政策は、戦前・戦中に芸術文化が国家統制や戦意高揚の道具として利用されたという反省から、それを抑止するための対策をさまざまなかたちで講じてきた。いわゆる金は出すが、口を出さないという「アームズ・レングスの法則」を守るよう努力してきた。が、「あいちトリエンナーレ2019」をめぐるさまざまな動きは以降、日本の文化政策の大転換につながる可能性を秘めた重大なものである。

日本で起きたこのことは、韓国でも類似の事件がある。また、その類似の事件により、韓国の芸術家たちはどのような行動をとっていたのかここで見ていきたい。韓国の前大統領、朴槿恵(パク・クネ)の在任中に、自身に批判的な文化人約1万人の「ブラックリスト」が作成されたことが2016年に発覚し、社会的に問題となった事件があった。ブラックリストは、朴及び政府に対し非友好的な文化人・芸術家を弾圧・規制するために秘密に作成されたリストであり、その目的は国家次元から不利益を与え各個人の表現の自由を抑えることであった。すなわち、助成金や民間資金を枯渇させ、政府の監視下に置く目的で作成された。しかし、このブラックリストは朴の任期中に初めて作られたわけではなく、前任者である李明博(イ・ミョンバク)からのもので、朴になってそのリストをアップグレードさせ、その規模をさらに拡張させて、それが発覚したのである。

大韓民国憲法 前文 (前略)自律と調和を基にした自由民主的基本秩序をより確固とし、政治・経済・社会・文化のすべての領域において各人の機会を均等にし、能力を最高に発揮できるようにし(後略)
第11条 ①すべての国民は法の前で平等である。誰でも性別・宗教または社会的身分により政治的・社会的・文化的生活のすべての領域において差別を受けない
第19条 すべての国民は良心の自由を持つ。
第21条 ①すべての国民は言論・出版の自由と集会・結社の自由を持つ。
第22条 ①すべての国民は学問と芸術の自由を持つ。
     ②著作者・発明家・科学技術者と芸術家の権利は法律で保護する。

※訳と下線は筆者によるもの。

上記の韓国の憲法にも定められている事柄に堂々と反し、ブラックリストをつくることを命じたのが大統領であったことは全国が驚くべき事件であった。

さらに同年、韓国の芸術文化界にもう一つの衝撃を与えたのが、「Me Too movement」である。ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏によるセクハラや暴行が明らかになり、性暴力の問題に注目が集まる中、「過去に性暴力を受けた経験のある人は、この#MeTooハッシュタグで経験を共有しよう」と韓国でも徐々に広まった。政治界、学界、芸術文化界など社会のさまざまな領域から、セクハラや暴行を受けた人々が次から次へと出た。これにより、弱者たちの性的被害が公論化されるきっかけとなり、長年、性暴力の被害者に根づいた悪習が表面に現れるようになった。大抵のMe Too movementは、実際は「甲と乙の関係」から発生したことで、他の領域よりも大衆の注目を浴びたのが芸術文化界である。ニュースやネット上では毎日、芸術家・文化人の名前がトップとなっていた。

2016年、2017年に芸術文化界を荒廃させたブラックリスト事件と、位階と権力による芸術界のジェンダー暴力を告発するMe Too movementを省察するため、文化政策の樹立が必要になった。ブラックリスト事件の後、民間中心に構成された委員会による広範囲の真相調査が進行し、それによる制度改善のための勧告案が発表された。

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<緊急記者会見>「芸術家の地位と権利保障法」を即刻制定しろう!(2019年11月22日(金)午前11時@国会正門前))
Source: https://blog.naver.com/intifada35

深刻な国家暴力である芸術文化界のブラックリスト事件の再発を防止、芸術検閲※1、そしてMe Too movementを通じて現れた構造的位階/性暴力問題など、芸術生態系の根幹を壊す社会的惨事に対する経験と省察をもとにした、芸術家の社会的・経済的地位を保護しようと、現場の各ジャンル/領域の芸術家らが参与してつくった法が、芸術家権利保障法(仮称)である。 これはのちに、「芸術家の地位と権利保障に関する法律」(以降、芸術家権利保障法と称する。)という名称で2019年4月に法案が発議された。この法律は憲法第22条2項の「芸術家の権利保護」を法律的により具体化させ、芸術創作と表現の自由を保護、芸術家の職業的権利の伸長、性平等な芸術環境をつくり、芸術発展に寄与することを目的としていて、ブラックリスト事件で触発された芸術家の権利侵害の行為、セクハラ行為の禁止およびこれに関するペナルティーと被害救済の方案も規定している。芸術創作の基本的な土台となる表現の自由を固めて、文化人・芸術家、そしてそれに従事する人々の生存基盤である労働権を制度的に保障すること、そして普遍的社会福祉としての芸術家福祉※2と位階構造の中で発生するセクハラ/性暴力から、予備芸術から職業芸術家までを保護するための最少限の法的措置を含んだのである。

※1:李知映「検閲」、『文化政策の現在1 文化政策の思想』小林真理編、東京大学出版会(2018/2/22)参考。

※2:李知映「芸術家の福祉政策―韓国の事例を中心に」、『文化政策の現在3 文化政策の展望』小林真理編、東京大学出版会(2018/4/30)参考。

しかし、4月に発議された後、11月になってやっと国会の文化体育観光委員会に上程され、18日に会議を通じて法案審査小委案件として付託されたが、予定されていた20日の国会の文化体育観光委員会の法案審査小委会議が与党と野党の政争により取り消され、いつ再開されるか未定の状況に落ちる。韓国は来年総選挙が実施されるため、今回通過しない場合は、この法案は廃案となってしまう。従って、文化民主主義実践連帯、文化芸術労働連帯、性暴力反対演劇人行動、女性文化芸術連合などの芸術団体は、22日に国会正門の前で記者会見を開いて「芸術家の地位と権利を廃棄しようとする国会を、総選挙の票で審判する」と明らかにし、速やかな法案制定を促した。無期限延期されている今の状況を見て、相変わらず芸術を、芸術家を、政治の道具にしか認識していないという現実と向き合うと、意気消沈せざるをえない。

長い時間をかけて、韓国国民は個々人の日常と国家競争力の根幹には芸術的価値と力量が強く影響を与えていると認識するようになった。しかし肝心な物、芸術創作の主体である芸術家の地位と権利は存分に守ることができなかった。この芸術家権利保障法が制定されても有名無実にならないように、この法律を通じて、創作と表現の自由を保護し、労働と福祉などで職業的権利が伸長されることを願う。それだけではなく、芸術活動の自由の侵害や、性暴力などで発生する被害も制度的に救済されるようになることも願う。万が一今回可決されず廃案になってしまっても、再度法的根拠をつくるための努力が必要である。

日本での「あいちトリエンナーレ2019」のような事件は、過去に遡っても類似の事例をみることができる。芸術文化と表現の自由、政治の介入等々に関し、もう法律や制度などでなんとかできるものではないという声もある。しかし、韓国での文化政策の公正性をめざす芸術家たち、そしてそれを支えている中間組織等の働きかけは、日本に示唆するものが大きいと推察する。

(2019.12.7)

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次回執筆者

バトンタッチメッセージ

李さんは、韓国からの留学生だったということもあり、日本の問題を韓国という視点と比較しながら見ているところが興味深いですね。
研究をするということは、複眼的な視点でものを見るということです。視点や軸足をどこにおくかというのがないと、研究の方法を見失ってしまうことにもなります。あらためてそのことに気づかせてくれました。次回の小泉さんは、それを社会学という学問領域からアプローチをしています。とりわけ現代社会において文化政策研究の何が熱いかを明らかにしてくれるのではないかと思います。(小林 真理)

文化政策研究とアートマネジメントの現場 目次

1
文化政策、アートマネジメント、研究?
2
文化を語る場をひらく
3
私たちは「多様性」と「包摂性」を兼ね備えた著作権制度をどのようにしてつくり上げるべきなのか?
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王さまと私たち:「生の文化政策」に向けて
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研究と現場/研究の現場
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