「クリエイティブ・インダストリー」とは何か?
「クリエイティブ・インダストリー」事始め
「クリエイティブ・インダストリー」という用語は、1994年にオーストラリア政府の文化政策に関するレポート「Creative Nation」[*1]において使用されたものが、世界で最初の事例のようです[*2]。ただし、同報告書において「クリエイティブ・インダストリー」という用語は、「マルチメディア産業」の説明の中で「映像およびコンテンツの生産」という意味で使用されています。
「クリエイティブ産業」という用語が別の文脈で、より広範に露出するようになるのは、1997年8月に、英国の独立系シンクタンク「DEMOS」の研究員マーク・レナード(Mark Leonard)が発表した「Britain TM;Renewing our Identity」[*3]という政策提言を契機としています。同書においてレナードは、「音楽、デザイン、建築等のクリエイティブ・インダストリーの成功と安定した経済成長は、直近の数十年間の(英国の)内向的な気分や悲観論を追い払っている」(翻訳、カッコ、下線は筆者による)と記述しています。
そして、同書公表の前年の国政選挙において、保守党から政権を奪回して首相に就任したばかりのトニー・ブレア(Tony Blair)は、レナードの考えを取り入れ、若々しくかつトレンディな英国を象徴する"クール・ブリタニア(Cool Britannia)"をキャッチフレーズとする国家ブランディング戦略と、世界で最初の「クリエイティブ・インダストリー」政策を展開していくことになるのです。
英国政府および国際機関による定義
世界で最初の「クリエイティブ・インダストリー」政策を展開した英国の文化・メディア・スポーツ省(Department for Culture Media and Sport ;以下、DCMS)[*4]によると、同産業は「個々人の創造性、技能、および才能に基づくものであり、知的財産の展開及び利用によって富と雇用を創出する可能性がある産業」と定義されています。
もっとも、こうした抽象的な定義だけでは理解しづらいので、英国において「クリエイティブ・インダストリー」政策の対象となっている分野をみると、「広告」「建築」「美術及び骨董品市場」「デザイナー・ファッション」「映画・ビデオ産業」「音楽産業」「舞台芸術」「出版」「ソフトウェア」「コンピューターゲーム及びビデオゲーム」「テレビ・ラジオ放送」「工芸」「デザイン」という13の産業分野によって構成されています。
また、国際機関のUNCTAD(国連貿易開発会議)の報告書[*5]によると、クリエイティブ・インダストリーとは、「芸術、文化、ビジネス、技術の交わるところ」であり、「創造性や知的資本を第一の材料として利用する製品やサービスの創造、生産、流通のサイクル」と定義することができる、と記述されています。加えて「画像や音、文字列、記号に支配されている現代社会において、創造性、文化、経済、技術の橋渡し役をする新しい概念」である、とされています。
さらに、同報告書においては、クリエイティブ・インダストリーに関連する「クリエイティブな経済」について、下記のように6つの条件によって定義されています。
「クリエイティブな経済」の6つの条件
- クリエイティブな経済は、経済成長と経済発展を生み出す可能性のあるクリエイティブな資産に基づく発展的な概念である。
- クリエイティブな経済は、所得創出、雇用創出、輸出収入増加を促進すると同時に、社会の関与、文化的多様性、人材開発も促進することができる。
- クリエイティブな経済には、技術、知的財産、観光目的と関わりのある、経済的、文化的、社会的側面が含まれる。
- クリエイティブな経済は、経済全体に対して、マクロ・ミクロレベル問わず、発展的側面を持ち、かつ、部門横断的な関わりを持つ、知識に基づいた経済的活動である。
- クリエイティブな経済は、革新的な総合的政策対応や省庁間の活動を必要とする、実現可能な発展の選択肢である。
- クリエイティブな経済の中心には、クリエイティブ・インダストリーがある。
「文化産業」と「クリエイティブ・インダストリー」は何が違うのか?
この「クリエイティブ・インダストリー」とよく似た響きの「文化産業」という概念があります。実際、経済産業省のウェブサイト[*6]においては、「文化産業(=クリエイティブ産業:デザイン、アニメ、ファッション、映画など)」と記載されており、両者は同じ概念として記述されています。
ただし、厳密にいえば両者は以下の3つの観点からみてまったく異なる概念です。
第一に、わかりやすい相違点として、両者の対象とする産業の範囲が異なる点があげられます。具体的には、「クリエイティブ・インダストリー」は、狭義の「文化産業」に加えて、従来は別の産業セクターとして分類されていた「広告」「建築」「ソフトウェア」「コンピューターゲームおよびビデオゲーム」を含んでいます。
また、クリエイティブ・インダストリー政策の対象とする政策分野は、文化政策はもちろんのこと、経済産業政策を中心に、教育政策、地域振興政策、情報通信政策等、さまざまな政策分野を含む総合的な政策となっている点も、「文化産業」とは異なる点です。
第二は両者が語られている歴史的な文脈の違いです。そもそも「文化産業」とは、歴史的にみると、ドイツの社会学者テオドール・アドルノ(Theodor Adorno)がマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)との共著である『啓蒙の弁証法』(1947年)の第Ⅳ章「文化産業―大衆欺瞞としての啓蒙」において提示した概念です。ただし、同書においてアドルノは、例えばハリウッド映画に代表されるように"文化"が規格化され、"商品"として大衆に供給されることを批判的に論ずるために、「文化産業」という概念を用いていました。すなわち、歴史的な文脈においては「文化産業」がネガティブな概念であるのに対して、「クリエイティブ・インダストリー」は、前述したとおり、英国政府の政策において脚光を浴び始めた、極めてポジティブな概念なのです。
「クリエイティブ」ということ
第三点は、クリエイティブ・インダストリーが"文化"領域の産業ではなく、"クリエイティブ"を対象とした産業である、という点です。では、ここでいう"クリエイティブ"とはいったいどのようなことなのでしょうか。
一般的には、"クリエイティブ"という言葉から連想されるものは、アーティストやデザイナー、広告代理店の専門職など、特定の職業や業界のことと推測されますが、"クリエイティブ"であることの意味は、われわれの社会や経済にとって、より本質的な部分にあるのです。 前述した「CREATIVE ECONOMY Report 2008」(2008年創造的経済レポート)[*7]によると、"Creativity"(創造性)とは、「個人の内なる特性で、想像力に富み、アイディアを表現するためのもの」であり、創造性は「新たなアイディアが生み出され、生み出されたアイディアが、独自のアートや文化的製品、機能的な創造、科学的な発明、そして技術革新を生み出すために適用される」、そのため、「経済的な側面を持ち、また、起業家精神に貢献し、革新の精神を育み、生産性を向上し、経済成長を促進する」と説明されています。
一方、英国おける製造業の労働者数(従業者数)の推移をみると、1978年には713万人もいた労働者は、2008年には半分以下の314万人にまで減少しており、この30年間で、差引で約400万人も減少している計算となります。全産業に占める割合も、1978年には4分の1強(26.5%)あったのに対して、2008年には1割を切っています(9.9%)[*8]。
こうしたデータから理解できるとおり、英国においては、急激に衰退しつつある製造業に代わる、新たな雇用の受け皿づくりが大きな課題となっていました。換言すると、失業者を雇用するための、成長分野の代表例がクリエイティブ・インダストリーだったのです。すなわち、「クリエイティブ・インダストリー」政策とは、その名からイメージされるような華やかな政策というわけではなく、雇用政策の視点からすると、背水の陣とでも呼べる、まさに起死回生の政策であったことが理解できます。
1990年代後半の英国において、既存の「文化産業」というネガティブなイメージの用語ではなく、基幹産業として振興していくための新しい呼称として「クリエイティブ・インダストリー」という名称に置き換えられていった背景には、こうした英国経済の危機的な状況があったものと推測されます。
また、その政策の推進にあたっては、例えば教育政策や労働政策など、"文化"や"産業"以外の他の政策分野との連携が必要だったため、特定の省庁が所管する"文化"という用語をあえて使わずに、"クリエイティブ"という、従来の政策概念には位置づけられていなかった抽象的な用語を用いたものと推測されます。
(2010年9月15日)
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チャールズ・ランドリー著 後藤和子監訳 日本評論社 2003年 |