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ヨコハマトリエンナーレ2020

~東京オリンピック2020同時開催から新型コロナウィルス禍同時開催へ
ヨコハマトリエンナーレ2020展示風景
撮影:大塚敬太
写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会

予兆

2020年2月3日。横浜港の大黒ふ頭にダイヤモンド・プリンセス号が入港。入港後の健康診断で新型コロナウィルスに感染した乗客が確認されたため、2月5日から14日間、船上で検疫が行われ、乗客乗員3711人全員が下船したのは3月1日だった。

遡ること2カ月ほどの2019年11月末。ヨコハマトリエンナーレ2020は静かに始まっていた。第7回となる今回のトリエンナーレを指揮するアーティスティック・ディレクターはインド人の3人組アーティスト集団ラクス・メディア・コレクティヴ(ラクス)。ラクスは、トリエンナーレを単なる展覧会ではないと定め、会期会場にとらわれない、時間も場所も自由なプログラムとして「エピソード」という連続プログラムを提案。「エピソード00」と称して11月末に開催した最初の回では、ヨコハマトリエンナーレ2020のキーとなる考え方をアーティストのパフォーマンスを交えてお披露目するプログラムを開催した。そこでアーティストの田村友一郎は、「畏怖/If」というパフォーマンスのなかで、明治時代にペストが初めて日本に上陸したのが横浜港だったことについて触れていた。

ラクスのキュレーションはテーマを設定して内容を絞り込むのではなく、「ソース」という5つのテキストをネタにアーティストたちと議論を重ねながら発想を広げるという独特のアプローチをとる。この「ソース」の中からラクスが取り出したキーワードは「独学」「発光」「友情」「ケア」「毒性」である。「ソース」を昨年の11月に発表したとき、ラクスは発光と毒性について、「サンゴは紫外線の毒に対して発光し、オワンクラゲは毒性を探知するレポーター遺伝子を集めるために採取される。発光と有毒性の間にはつながりがある」と書いている。そして、汚染、廃棄物、排除も一種の毒であると。当時、この一連の文章を読んでもなかなか実感がわかない、というのが大方の反応だった。

しかし、彼らが注目した「毒性」という言葉は、桜が咲くころには日本だけではなく、世界中を駆け巡るコロナ禍によってすっかり腑に落ちる言葉になっていた。

ヨコハマトリエンナーレ2020開幕までのタイムライン

ここでまず、新型コロナの感染拡大のタイムラインとヨコハマトリエンナーレ2020(YT2020)の準備のタイムラインを重ねてみたいと思う。

2019年

11月30日

YT2020「エピソード00 ソースの共有」開催

2020年

1月16日

厚生労働省が神奈川県在住の男性から新型コロナウィルスが検出されたと発表

1月17日
~19日

YT2020展示計画の詳細決定の協議のため、ラクスが来日

1月29日

12月から調査のため長期滞在していたYT2020参加作家が帰国

2月9日

調査のためYT2020参加作家来日(2月27日帰国)

2月11日

世界保健機関(WHO)が新型コロナウィルス感染症の正式名称を「COVID-19(coronavirus disease 2019)」と定める

2月15日

横浜美術館「澄川喜一―そりとむくり」展開幕

2月29日

横浜美術館全館臨時休館

3月11日

WHOが新型コロナウィルスの感染拡大についてパンデミック宣言

3月24日

安倍総理大臣とIOCのバッハ会長が東京オリンピックを1年程度延長することに合意

3月13日

新型インフルエンザ等対策特別措置法改正

3月30日

東京2020オリンピックが2021年7月23日(金)〜8月8日(日)に行われることが決定

4月7日

安倍総理が改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、東京、神奈川、ほか5府県に緊急事態宣言を発出

4月16日

緊急事態宣言の対象を全国に拡大
当初候補となっていたYT2020の記者会見日

5月1日

横浜美術館「澄川喜一―そりとむくり」展閉幕(当初の会期は5月24日まで)

5月14日

緊急事態宣言の解除(対象39県)

5月25日

東京、神奈川も緊急事態宣言解除

6月3日

7月3日から7月17日へ開幕日を変更したことを発表

6月19日

県をまたぐ移動自粛を全面解除

6月23日

YT2020 オンラインにてチケット販売開始

7月3日

当初発表していた開幕日。YT2020「エピソードX」と称し、オンラインにて7月16日まで1日1件映像をYouTubeにて配信

7月16日

YT2020プレス内覧会実施

7月17日

YT2020 開幕

新型コロナウィルスの感染が拡大していった年度末、トリエンナーレの準備は施工、輸送、そして、作家の招へいにかかわるスケジュール調整や入札の手続きで山場を迎えていた。そもそも1月にラクスが来日したのも、展示にかかわる計画を最終化し、4月に全貌を発表、そして、5月には施工を開始し、現場での展示作業を順次始める、というスケジュールが念頭にあったからである。トリエンナーレの準備は、当初より、東京オリンピックと同時開催になることが予定されていたため、施工、輸送の人員や宿泊施設の確保が困難になるだけではなく、コストが高騰するだろうと覚悟を決めていたが、実際どうなるのかはなかなか見えず、不安ばかりが募る中、展示計画をたてていた。しかし、オリンピックが消え、パンデミックが発生。まったく質の異なる不安を抱えて春を迎えた。

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イヴァナ・フランケ
《予期せぬ共鳴》 2020
© Ivana Franke
ヨコハマトリエンナーレ2020展示風景
撮影:大塚敬太
写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会

開幕の決断

世界規模の感染症が発生する中、いわゆる「新型コロナウィルス感染拡大防止の取り組み」を講じることを前提に横浜トリエンナーレ2020は2週間遅れで7月17日に開幕した。2週間遅らせるという結論に至るまで、横浜トリエンナーレ組織委員会を構成する横浜市、横浜市芸術文化振興財団、朝日新聞、NHKそれから事務局内でもさまざな角度から検討が行われた。会場施工、作品輸送の可否から、入場制限を行った場合の想定来場者数、感染防止対策に必要なリソース、会場運営の変更内容の確認など、いずれも不確定な情報をもとに判断せざるをえなかった。

そもそも延期や中止は視野に入れなかったのか、とよく聞かれるが、どのようにして開幕できるかを議論することがまずは優先された。これは横浜で行われている本トリエンナーレ固有の事情によると思われる。

まず、延期についてだが、2011年より定点会場になった横浜美術館は2021年度より大規模改修のため休館を予定しており、来年に事業を送ることができない。すでに2会場分の展示計画が策定されているところ、代替会場の目途がたたないところで、延期ということは現実的ではなかった。

では、中止はありえたのだろうか?

トリエンナーレは3カ月以上の会期を予定している事業である。ダイヤモンド・プリンセス号が入港した2月から毎月のように新型の状況や対策は変わり、開催にかかわる議論を行っていた3月から4月にかけては、翌月どうなるかもわからない状況だった。一旦中止しても8月ごろ急遽状況が好転したら? 準備だけして、開幕のタイミングを見計らうのがよいのではないか?

感染拡大の中、展示準備を進めるというのは横浜トリエンナーレ組織委員会の事務局スタッフにとってもリスクの大きいことであり、延期や中止の検討はある意味正しい。しかしかたちは変えてでも開幕する、という議論をしたほうが建設的かつこれまでの準備を無駄にしなくて済む。

開幕することに意義があると考えたのは、2011年の第4回展の経験のよるところが大きい。筆者は2010年の秋に横浜トリエンナーレ組織委員会事務局に入り、翌2011年8月開幕の第4回展の準備のため、横浜美術館内の事務局に席を置いた。初めて手がける大型国際展は横浜美術館にとっても初めての経験にもかかわらず、開幕までの準備期間はわずか10カ月。開幕に間に合わせることだけを目標に準備を進めていた。その矢先に発生したのが東日本大震災である。(余談だが、3月11日は記者会見の当日であり、午後地震が発生したときは、東京の記者会見会場で市長の到着を待っていた。)そのときも節電の夏にトリエンナーレを開催してよいのか、こういう非常事態のときに開催するべきなのか、という議論が行われた。まだ放射能汚染の状況もはっきりしない中、作品が借用できるのか、あるいは作家が来日できるのか、そのときもまったく予想がつかず、一つずつ問題を片づけていくしかなかった。幸い、当時の横浜美術館館長の逢坂恵理子もアーティスティック・ディレクターの三木あき子も、そして何より横浜市長の林文子もみな当初の予定通り開催することで意見が一致し、予定どおり8月に開幕することができた。社会全体が先の見えない不安に覆われ、暗い話題が続いていたせいか、若い人、家族づれ、そしてシニアのグループまで、幅広い層のお客さんが大勢来場してくれた結果、大盛況だった第1回に匹敵する来場者数を記録した。作品をじっくり見たり、写真を撮って楽しんだり、作品をみながらおしゃべりしたりする姿が会場にあふれた。日常にアートがあるという風景がどれだけ大切なのかを実感する経験となった。

今回、開幕が重要だと考えた理由はもう一つある。ラクスが提示した「独学」「発光」「友情」「ケア」「毒性」というキーワードとそのキーワードから発想された作家たちの作品が、感染病から派生するさまざまな課題をアクチュアルに把握する手立てになりうると考えたからである。4月に着任した横浜美術館館長の蔵屋美香はアーティストのことをよく炭鉱のカナリアにたとえるが、ラクスが伝えたいメッセージはまさに私たちの一歩先を進んでいたのである。このトリエンナーレを今やらなくて、いつやるのか。そういう問題意識が芽生えていた。そして、ラクスからも展示準備のためにも、開幕のためにも来日できなくても、このコロナ禍だからこそ、今回のトリエンナーレをぜひ実現したいという強い要望が寄せられた。

ところで、展示の準備を進めていくうちに実感したのは、トリエンナーレを開催することが制作という作家の営みを絶やさないためにも重要だということだ。2020年に開催予定だった世界のビエンナーレやトリエンナーレの多くは、延期を決定した。ヴェネチア・ビエンナーレのように丸1年会期をずらしたものから、ベルリン・ビエンナーレや光州ビエンナーレのように数カ月後倒しにしたものまでさまざまである。作家たちは、予定していた展覧会が次々となくなっていき、制作途中のものが行き場がなくなり、宙に浮いたまま、不安な毎日を送っていた。トリエンナーレは、作家の活動が不要不急でないことを示すことにも一役買うことになった。

コロナ禍という困難

前述のとおり、開幕日は2週間後倒しにせざるをえなかったが、ヨコハマトリエンナーレ2020は新型コロナウィルス感染拡大の防止策を講じながら、ほぼ当初の計画どおりの展示内容で開催している。無事開幕したとはいえ、コロナ禍での開催は、現場に大きな負担を強いている。

展示

展示の準備にあたっては、まず施工会社のなかにも在宅勤務になっているところがあり、スケジュール通り作業の段取りできない場合が多々あった。また、医療現場での需要が高まったということでアクリル板の入手が困難になったりした。さらに海外輸送は当初まったく状況が見えなかったが、徐々に情報が入るようになり、旅客は動いていないが、カーゴとフェデックスはおおむね動いていることがわかった。ただ、カーゴも混みあっていたり、減便されていたり、経路を変更せざるをえなかったりと、担当は毎日輸送会社や作家とのやりとりに追われた。

一方、国や地域によっては厳しいロックダウンで動けなくなっている作家も少なくなく、制作したくても材料が手に入らなかったり、予定どおり撮影が進まなかったりと作品を完成させるまで苦労が絶えなかった。

また海外の作家は全員、展示作業のために来日ができなくなり、キュレトリアル・チームのメンバーはメールやWhatsAppなどのアプリを駆使して、写真やビデオ、メッセージを送り、時差のある中、密なコミュニケーションをとりながら、作家がOKするまで展示の作業にかかりっきりになった。展示空間を360度体感する中で作品を展示するのと、四角い画面を通して空間を把握しながら作品の展示指示を出すのとでは、認識がなかなか一致しない。アーティストに成り代わることもできず、展示の担当は大きなプレッシャーに耐えながらの作業となった。

そして、当初ワークショップを行って作品をつくっていく予定だった作家はプランを全面的に変更するか、オンラインの活用を前提とするプランに切り替えるか、開幕直前ににもかかわらず、さまざまな対応に追われた。

運営

展覧会のチケットは事前予約制を前提とするオンラインでの販売に切り替えた。美術館に行く人は、ふだん窓口で買うことに慣れているため、事前予約はハードルが高い。しかし、今回はソーシャル・ディスタンスを守るためにも、時間ごと、空間ごとの人数制限をしなければならず、事前予約は必須となった。チケットのページの冒頭に「新型コロナウィルス感染症拡大防止の取り組みと来館時のお願い」を掲出し、来場にあたっての諸条件を明示した。

現場では、展示会場の清掃回数を増やし、消毒に特に力を入れ、会場の各所にも消毒剤を設置。触ってよい作品やVRなど触る機器を置いてもいるがいずれも前後に消毒するように環境を整えている。

大きく変更となった点

最後に今回大きく変更せざるをえなかった点を簡単にまとめる。

まずは目標来場者数の下方修正である。当初25万人としていた目標来場者数を半分まで下方修正した。

また、2つ以上の会場を1日に周りきれないという前提で、通常は1枚のチケットで2会場を別日に入場できるようにするのだが、今回は1日で2会場みなければならないチケットとなっている。

横浜トリエンナーレは「本格的な現代美術の入門」になることが重要なため、多くの学校団体などを受け入れ、現代美術の鑑賞者のすそ野を広げることにこれまでも努めてきたが、今回は団体の受け入れを原則行っていない。

また市民サポーターとともにつくることをうたってきたが、今回は接触や会話の多いサポーター活動を現場で行うことができない。オンラインによるガイドに限って活動は続けているが、通常の幅広い活躍の場は提供できていない。

いずれも、閉幕後検証したときに、いろいろな課題を残すのではないかと想像している。

不要不急といわれないために

トリエンナーレのような大型の事業にはトラブルはつきものである。何事も予定どおりに進まず、想定していないことが起きる。今回もその覚悟はできていた。特に第7回展は、「オリンピックと同時開催」が一つの目玉だったため、輸送や施工の要員確保だけではなく、作家の宿泊先や広告枠の確保も難しく、コストも大幅増になるだろうと各方面から注意喚起されていた。そして、猛暑の中に開催されるだろう夏のオリンピック期間中、一般の人はオリンピックを家のテレビでおとなしく見るか、競技場で熱狂するか、いずれにしても夏休みの一番人に足を運んでもらいたい時期にオリンピックが開催される限り、トリエンナーレの来場者数は落ち込むのではないかというのが最大の懸念であった。まさか新型コロナウィルスの感染拡大で世界中の人々の生活が一変するとは思ってもみなかった。

日本各地で行われているトリエンナーレや芸術祭はこれまで来場者数と経済波及効果を重要な指標としてきたが、来場者数を増やすこと自体が難しくなった今、数字だけでは見えてこなかったトリエンナーレの本質を再考するべきなのではないか。手前味噌になってしまうが、ラクスが企画した今回のトリエンナーレはコロナ禍にあって、アートが不要不急ではないことを実感させてくれる内容となった。時代の先端をつかまえて一般の人にも見えるかたちにするアーティストたちの底力は、こういうときにこそ発揮される。

(2020年9月7日)

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