ネットTAM

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小さな斧



 あれから1年経った。どんな1年だったかと問われれば、大きなことと小さなことについて、特に小さなことの大切さについての想いを確かにした1年だった。とにかくこの1年、さまざまな大きな物事に振り回されて、大きな意思や、大きな方針に頭を抱えてきた。大きな決定や大きな方針の悪いところは、一体誰が決めてそうなったのか、現実を生きる者同士にはどうにもわからないことである。スタインベックの「怒りの葡萄」じゃないが、怒りの矛先をどこに向けてよいのかさっぱりわからないのだ。

 では、大きなもののよさは何だろう。1ついえるのは、インパクトだと思う。インパクトにもよし悪しあるが、とにかく大きなものにはインパクトがある。これは、小さなものにとってはなかなかに実現しがたいことである。

 抽象的な話が続いた。すこし、現実的なことも書こう。

 私の働くいわきアリオスは大きなモノである。この施設でマーケティングを担当すべく単身いわきにやってきたときの第一印象は「イマドキずいぶんでかい建物をつくるんだな」というものだった。現代の劇場技術の粋が集まっていて、音響や機構が世界最先端であるという一面にはあまりトキメかなかった。もっと小さな取り組みや、商店街の空き店舗を活用するようなアートプロジェクトが全国で芽生え始め、試行錯誤していることに未来を感じていた自分に対する恥ずかしさのようなものも含まれていたと思う。

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いわきアリオス外観

 そんな想いをかかえ、贖罪のようにアリオスでも小さな取り組みを始めた。「アリオス・プランツ!」という名のプロジェクトで、先端的な劇場だけれども、その劇場やホールを使うのではなくて、ロビーや前庭のように整備された公園を使い、願わくばまちなかにも活動が伝播するような事業も必要なのではないか、という僕のモヤモヤした想いに対して美術家の藤浩志さんが提案してくれたプランだった。

 アリオスの隙間産業だと感じながら進めた事業には、この施設に可能性を感じた人たちが集まってきた。「大きいもの」だからこそさまざまな人に情報が流れ、まちで何かを始めたいと思う「ちょっと変な人たち」(←ほめ言葉です)の目にも止まったのだ。

 「アリオス・プランツ!」からは「いわきぼうけん映画祭」「アリオス・パークフェス」「アリオス・プランツ! こどもプロジェクト」「三凾座リバースプロジェクト」など、さまざまな企画やプロジェクトが生まれた。その中でも特に規模も大きく難産だった「いわきぼうけん映画祭」が終了した1カ月後にあの大地震と大津波がやってきた。そして、あの大きな、あまりにも大きな原発事故が起こった。

 「アートプロジェクトはコミュニティーを鍛える」とは藤浩志さんの言葉である。地震と津波と原発事故のあと、刻一刻と変わる状況の把握と情報の共有、避難や支援物資のやりくりや支援事業の企画運営に、これまでアートプロジェクトに携わってきた人々が活躍する姿を幾度となく見た。彼らは、思いもよらない事態が連続してやってくることに対して、アートプロジェクトを通じてチームで対峙した経験があった。またプロジェクトで得たネットワークやスキルもあった。まさにアートプロジェクトで鍛えられていたのだ。

 大地震、大津波、原発事故。これら大きなものごとがもたらしたインパクトは計り知れない。しかし、こんなときにこそ、僕は小さな力の大きさを感じる。がれきだらけの海岸を片づけているのも、恐ろしい原子力発電所の現場でさらなる事故を起こさないように踏んばっているのも皆、僕やあなたと変わらない人間である。一人ひとりの力の小ささを嘆くことはない。子どものころのブロック遊びを思い出せばいい。壊すのは簡単。でも組み立てるのはコツコツとした作業にほかならないのだ。

 震災後、アリオスが再開するにあたり始めたのは、そんな一人ひとりの想いを語り合う場「アートおどろく いわき復興モヤモヤ会議」だった。6月から12月まで、ほぼ2カ月ごとに開催した。福島県以外では「復興」が叫ばれだして、そんな大きな声に「いやまだ終わってないから」という小さな声がかき消されそうになっていたころに始め、野田首相が原発の冷温停止を宣言した年末に、つまり政府の大声よりも市民のささやき合いの方がよっぽど信用できるよな、という感覚を身につけたころに終わった。

モヤモヤ会議の様子

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 初回は、もうボヤキだったよね、というのが会議の企画から携わってもらった仲間たちの共通認識だ。でも、そのころはそれが必要だったのだ。とんでもない体験をしたら誰だって人に話したくなる。その場にいた人ほぼ全員がその話をしたくてしょうがなかったのだからしかたない。初回のテーマとして設定したのは「アートな視点」。その視点を共有してもらうため藤浩志さんが語ったのはこんなことだ。

モヤモヤは人が何かに対して違和感を抱いたときにおこり、その違和感にきちんと向き合っていくことから、新しい何かが生まれる
アートをやろうとして、アートに取り組むと、どうしても既存のアートをフォローしてしまい、その結果アートっぽいモノになってしまう。物事に取り組んだり、考えたりするときに必要なのは、常識にだまされず、こだわらず、ありえない手法で物事を捉えなおすこと。たとえば、会議テーマの1つである<子育て>や<学び>について、<子育て>や<学び>自体をがんばるのではなく、自分の好きなことを突き詰めて、その先に<子育て>や<学び>を捉える。そういうアプローチのしかたが<アート>の視点と呼べるのではないか

 常識を疑い、違和感に向き合うことで未来は開かれる。この社会を縫いあわせていた大きな「ウソ」がほころび始めた今だからこそ、これらの言葉がスウッと心におさまるような気がする。

 この導入が効いたのか、あるいは話したくてウズウズしていたのかは不明だが、いざ会議が始まると、堰を切ったように議論が始まった。いったん解散してからもおさまらず延長戦へとまちに繰り出す方々も多数。活発な議論を促すべく策を考えていたこちらの意図は気持ちよく裏切られた。

 モヤモヤ会議はそんな風に始まった。文字数の都合もあるので詳細は省くが、2回目にはニッセイ基礎研究所吉本光宏さんと藤浩志さんにさまざまなアートによる地域づくり(いわゆる世界のクリエイティブシティの事例など)を学び、3回目には課題は違えど、地道に地域の問題に取り組む大阪釜ヶ崎のNPOココルームから詩人の上田假奈代さんにも来てもらい、さらに津波被害を免れた港町の古民家を再生しようという「中之作プロジェクト」を紹介した。最終回には現在小さな子どもを連れて愛知県に避難中の、いわきで一番「アホな」(←これもほめ言葉)インディアン兄貴こと吉田拓也さん(写真)を呼び戻し、ハンドメイドな取り組みの美学を語ってもらった。また、全国を巡業し9月にはアリオスの前にテント劇場を設営して興行し、今年の7月にも再訪予定のテント劇団「どくんご」がプレゼンした。とにかく紹介したい事例や人々を詰め込んでしまったために、もうなにがなんだかわからない終わり方をしてしまったのではないかと、やや反省している。

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インディアン兄貴こと吉田拓也さん(左)

 会議手法もいろいろと検討して、ワールドカフェを試しフリーディスカッションも行い、最後は活動テーマをある程度絞って具体的な動きにつなごうとした。その後の動きはまだまだこれからだが、新しい活動の種は十分に収穫できたと考えている。

 アリオスの「大きさ」をきっかけに生まれた小さな活動の種、そして「大」災害から生まれる希望の種。手に負えないものに対峙してしまった後だからこそ、心から大切だと思える「小さな選択」がもたらす未来への希望。僕は、どんなに大きな時流があって大きなプロジェクトが進もうとも、この小ささにこだわることこそが、未来につながる光の道だと信じている。小さいコミュニティーや個々人が日々の暮らしの中で行う小さな選択(例えば、味噌は天然酵母にしようとか、野菜はここのものを食べようとか、フェアトレードっていいね!とか)を積み重ねることが、大きな未来をも左右する力を持つと信じたい。そんなことでいいのだ。今まであまり気にしなかったような小さな物事に思いを馳せて、未来につながる選択をしよう。

 最後に、ボブ・マーリーの歌詞を引用させてもらう。

If you are the big tree
We are the small axe.
Ready to cut you down (well sharp)
To cut you down
お前たちが大木ならば
僕たちは小さな斧だ
いつだって切り倒してやるぜ
刃を研ぎ澄ましているからな

 大木は、大きなインパクトを伴って自ら倒れてくれた。それをクレーンを持ってきて無かったことにするのではなく、倒れた大木を横たえたまま、どう遺し、伝え、いかしていくのかが、小さな斧を持つコミュニティーの一員たる僕やあなた自身に、今、問われていることなのではないだろうか。

(2012年3月5日)

今後の予定

活動データ

いわき芸術文化交流館アリオス
2008年4月に一次オープンし、翌2009年5月にグランドオープンした福島県いわき市立のアートセンター。
アリオス・プランツ! は、アリオスや公園、街なかを使ってなにか面白くて大切なことをはじめるための企画会議。ここから数多くのプロジェクトが発生し、独自に活動を展開中です。

ネットTAMメモ

 本コラムの原稿締切まであと10日という頃だったでしょうか。著者の森さんからネットTAM事務局にこのコラムのテキストが添えられたメールが届きました。添付ファイルを開け、どれどれと読み始めると次第に視界がぼやけました。
 淡々とした文体ですが、綴られた言葉の一つひとつがとても必然的で説得力みなぎる文章。とてつもなく大きな原発事故という出来事に否応なしに対峙せざるを得ない現場の混沌とした様子が身に迫り、涙が止まらなかったのです。
 外部の人間にはとても書けないねと事務局内で話すと同時に、現場と自分との隔たりを恥じ入りました。決して忘れてはいない、事故が終わっていないことも知っている。でもやはり、あまりにも違うと感じたのです。負担を押し付けているという気持ちにさいなまれ、こんな自分に何ができるかと問うたとき、その答えもまた文章から聞こえてきました。
 正解をさもありなんと唱えるのは到底無理だけれど、森さんのいう「小さな選択」を積み重ねていくことならできます。そして「小さな斧」は幸い自分の手中にもあります。斧を一人ひとりが研ぎ澄ませ、振りかぶる。それが束になったとき、動いてきたのが歴史であるなら、外部ではなく一員として、倒れた大木に向き合っていくべきと思いました。
 また「常識を疑い、違和感に向き合うこと」はアートが得意とするところ。社会とは違う場所に視点をもって世界をみつめ、変化をもたらそうとするアーティストやアート活動を応援することの意義もあらためて確認することとなりました。森さん、すてきなコラムありがとうございました。

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