未来を歌に
2012年3月11日、宮城県南三陸町の総合体育館で行われた東日本大震災犠牲者追悼式において、同町内5校の小学生135名の歌声が響いた。曲は子どもたちがそれぞれの学校で創作したものである。子どもたちが見てきた一年や思い描く未来を自身の言葉と旋律にして追悼式でまちの人たちに届けようと曲づくりが行われ、練習が重ねられてきた。広い会場を包み込む子どもたちの澄んだ歌声と未来へのまなざしに、集まっていた人の多くが肩を震わせずにはいられなかった。この「未来を歌に」プロジェクトは、トヨタ自動車の「トヨタ・子どもとアーティストの出会い」を通じて生まれたものである。式典を取材したネットTAM事務局として、当日の様子とそこに至るまでの歩みなどをつづっておきたい。
「トヨタ・子どもとアーティストの出会い(以下 「子ども×アーティスト」)」は、2004年からトヨタ自動車が全国各地のNPOと協働で実施しているプログラムである。東日本大震災を受け、「子ども×アーティスト」も被災した子どもたちのために何かできないかさまざまに検討した。2011年夏には全国からアートコーディネーターが集まり、宮城県南三陸町などで実務担当者会議を実施、こうした取り組みを経て「未来を歌に」プロジェクトが生まれた。牽引者はENVISI代表の吉川由美氏で、震災前から南三陸町の人たちとアート活動を行い、「子ども×アーティスト」の宮城県版コーディネーターを担う人物である。先に紹介した実務担当者会議も同氏の尽力あって実現したものだった。
プロジェクトに参加したのは南三陸町内の戸倉小学校4年生14名、志津川小学校4年生51名、入谷小学校3・4年生32名、名足小学校3・4年生17名、伊里前小学校4年生21名の子どもたちで、2012年1月に各校2時間ずつ曲づくりのワークショップが開催された。そこに至るまで学校の先生方と幾度も意見交換を行った様子は、国際交流基金の「をちこちマガジン」への吉川氏の寄稿に詳しい。追悼式という非日常的な空間に子どもたちを長時間いさせてよいのか、2時間という短時間で曲がつくれるのか、「ふるさと」のようなみんなが共有できる曲を完璧に練習して演奏しなければ人の心を打つことはできないのではないかなどの課題に直面した。
議論を重ねた結果、追悼式で子どもたちは出番の直前に会場入りし、歌い終えたら会場を後にすることになった。またあくまで子どもたち自身の言葉と旋律で曲づくりを行うことにこだわり、志津川小学校では心臓の鼓動を聴診器で聴いてそのリズムを構成し、他の4校ではドレミなどの音名が書かれたカードを使ったゲームで曲ができあがった。「まちの人たちや自分たちがこの一年がんばったなあと思うこと」などをテーマに子どもたちが言葉を出す。これを曲の音数に合わせて歌詞にする。食料の支援物資の箱を運んだり、水くみを手伝ったりしたことなどがそのまま歌になった。これに二人の音楽家、榊原光裕氏といがり大志氏が伴奏をつけ、本番では仙台市民交響楽団の協力でオーケストラの伴奏がつくことになる。追悼式に向け、子どもたちは各校で先生と練習に励んだ。
追悼式当日、まず大きな祭壇に手を合わせた子どもたち。どの子も声をかけるまで顔をあげることはなかったのだそうだ。オーケストラとの最終練習を終え、子どもたちは控え用のホールへ移動。緊張感からか、みな少しソワソワとしているように見えたが、榊原氏といがり氏の指導で何度も練習を重ねていた。曲はいずれもいわゆる音楽の教科書に載るような旋律とはずいぶん違う。もっと即興的に子どもたちが気持ちを表したものといえばよいのだろうか。落ち着きより勢い、まとまりよりも率直さがあり、歌詞は子どもたちにとって身近な言葉で満ちていた。
正面に大きな花の祭壇が置かれた追悼式の会場には、地元の方々や関係者約3,000人が続々と集まっている。オーケストラによるしめやかな献奏で始まった式典は、黙祷の後、中継放送による総理大臣の式辞、天皇陛下のおことばがあり、南三陸町町長の式辞や遺族代表の言葉などが続いた。そして「未来を歌に」の番となり、2階席にスタンバイした子どもたち。まず志津川小学校の身体を叩いたり足を鳴らしたりするボディパーカッション『みんなの鼓動 生きている』で始まった。それまでの雰囲気をガラリと変える元気な曲である。まちの美しいところをテーマにした名足小学校の曲『しあわせなみんなのまち』からは、南三陸町の風景が目に浮かぶ、「海がキラキラ」「お年寄りはとても元気」「ネコもいる」「ふねにワカメ」。
入谷小学校の曲は『未来の自分』。「未来の自分、どんな自分に?」にさまざまな思いが続く、「大工さん、看護婦さん」「人のことを助けたい」。一年間のがんばったことを曲にした伊里前小学校の『ファイト!南三陸』からは、震災後の立ち上がる人々の姿が伝わってくる、「仕事場なくなった 負けずにお店つくった」「流れた舟 ひっぱった」。戸倉小学校の『小さいけれど大きなしあわせ』は、子どもたちが感じたしあわせにあふれた歌詞で、「家族と会えたとき しあわせ」「ランドセルもらったとき しあわせ」「明日を生きること しあわせ」。そして「ありがとう」が繰り返される。最後は戸倉小だけでなく、他4校の子どもたちも立ち上がり「ありがとう ありがとう」と声を合わせた。
素直な旋律、まちや人の風景・子どもたちの描く未来が浮かんでくる真っ直ぐな歌詞、そして会場正面の大きな画面に映し出される子どもたちの表情に、出席者の多くが心打たれ涙を流していた。歌い終えた子どもたちは静かに会場を後にし、主催者や来賓、参列者による献花が始まった。子どもたちの歌によって未来から光が差したようなひとときの後の献花。「一人でも多くの方に未来につながる気持ちで献花していただけるよう、また、町のみなさんの悲しみや苦しみを少しでも癒すことになれば」という子どもたちの願いは伝わったのではないだろうか。控え室に子どもたちの様子を見に行くと、ホッとした、あるいは"おつかれさま"というような雰囲気かと思いきや、そこは子どもらしい元気な賑やかさに満ちていた。
これも吉川氏の寄稿で知ったのだが、追悼式後のテレビインタビューに「いつまでも下向いていられないねえ、子どもたちもがんばってるんだからねえ」と応えるお年寄りの姿があったらしい。防災エフエムを通じ商店街でこの歌を耳にした人たちからも大きな反響があったそうだ。またテレビに大津波の映像が氾濫した3月11日前後、それを見て気分が悪くなる子どもたちがいる中、ワークショップに参加した小学生はひとりも具合が悪くなることはなかったということである。
吉川氏は続ける。「子どもたち自身の言葉と旋律で伝えること。これは町民だけではなく、子どもたち自身の震災を乗り越える大きな力になった。被災した人たち自身が主体となって、表現し創り上げる創造活動は、心のケアに大きく寄与できると確信した。」ネットTAM事務局スタッフの胸にも、いま同じ思いがどっかりと居座っている。「未来を歌に」プロジェクトにより、震災復興におけるアートの可能性を信じることとなった2012年3月11日。南三陸町をはじめとする被災地の今後、吉川氏の活動、そして震災復興におけるアートの役割と可能性について引き続き考え行動していきたいと思う。
(2012年5月9日)
取材概要
- 取材日:2012年3月11日
- 取材地:宮城県本吉郡南三陸町総合体育館
- 取材先:南三陸町追悼式
- 取材者:ネットTAM運営事務局(公益社団法人企業メセナ協議会 山吹知子)
関連リンク
ワークショップ及び追悼式での発表の様子は動画でご覧いただけます。
トヨタ被災地支援プロジェクト「ココロハコブプロジェクト」