ネットTAM

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アート×まちづくりの流儀

―地域におけるアートプロジェクトの仕組み

コマンドN

 近年、全国各地でアートプロジェクトが数多く展開され、アートがまちづくりに活用される場面が増えています。アートが「地域」へ広がるにつれ、それに携わる人たちの活動や生き方も幅広くなりつつあるようです。
 今回取材にうかがった「コマンドN」は、神田でアートプロジェクトを展開させることにより、アーティストと地域双方にとってお互いを発展的に補い合う可能性を示しています。3年後のオープンをめざす神田コニュニティーアートセンターとそのプロセスの1つとして実施されているTRANS ARTS TOKYOについて、「アーティストの自活」と「地域活性化」という観点からお話をうかがいました。

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久木元拓さん

コマンドNとは

まず、コマンドNさんの活動と、神田コミュニティアートセンター(以下:CAC)構想について教えていただけますか?

久木元:コマンドNは1998年に文化芸術活動に携わるメンバーによって立ち上げられ、活動を開始しました。私たちは、アーティストの存在やアート活動自体が社会へ影響を及ぼし、文化環境を創造することにより、地域の活性化や国内外との交流の促進を図っていきたいと考えております。また、こうした活動を通して、アーティストの支援および育成を図り、日本の芸術文化の発展および普及に寄与するとともに、芸術文化の心髄と奥行きの深さを社会に示すことを目的としています。 具体的な活動としてはさまざまなものがありますが、メインの活動は神田錦町をアートによって活性化していくことです。そのための布石として、2012年から毎年秋にTRANS ARTS TOKYO(以下:TAT)というイベントを開催しています。
 そもそも私たちの活動は神田という町からスタートしており、精興社さんという印刷会社の1階フロアを改装して、オルタナティブスペース「KANDADA」を始めました。1998年から2003年にかけては電気街のテレビモニターをジャックしてアーティストの映像作品を時間差で流す「秋葉原TV」を3回ほど実施しました。また、まちづくりハウスや千代田区と連携したスペースづくりなどを実施し、地域の方々との関係性を創出してきました。そのなかで、2010年にアーツ千代田3331設立に伴う事業コンペがあり、母体をコマンドNとする合同会社「コマンドA」が運営団体に採択され、アーツ千代田3331の企画・運営がスタートしました。

神田コミュニティアートセンター・TRANS ARTS TOKYO構想のきっかけ

久木元:コマンドNはアーツ千代田3331の企画・運営を始めたものの、基本的には展覧会やアーティスト・イン・レジデンス、それを発表する場所のコーディネートなど、比較的小規模の企画を行っていました。
 そのような中で、2012年の春頃、神田に新たなアートセンターの設置を提案する機会が巡ってきました。そのきっかけをつくってくださったのは、「秋葉原TV」の活動時代にご縁のあった地元・神田の建設会社の久保金司さんでした。久保さんは文化に造詣が深く、東京芸術大学をはじめとしたさまざまなアーティストの作品をまちに仕掛けてきた方です。久保さんの計らいで、神田の都市開発には文化が必要であるという住友商事のビル事業部の方をご紹介いただき、神田に新たなアートセンターの設置を提案することになりました。ちなみに、私がコマンドNに入ったのはこの頃です。
 「コミュニティアート」は、イギリスに端を発し、アートによって社会的な課題の解決を達成するものですが、さらに踏み込んで新たな価値を創造する過程において、アーティストやディレクター、デザイナーといった、プロジェクトそのものに関わるクリエーターが解決の方法を1つの生業として成立させることが目的としてあげられます。社会奉仕のツールとしてのアートではなく、社会における経済循環のなかにきちんと組み込まれるアートという意味で「コミュニティアート」という表現を使っています。もっと単純に言うと、アーティストの自活の道をさまざまなかたちで考えていくということでもあります。作品を売るだけではなく、自分のスキルを使いものをつくったり、自身のコミュニケーション能力で子どもを楽しませるなど、地域が必要としていることに対応できるアーティストがその地域に根付くことで、アーティストは自活し、まちは美観や文化水準が上がって付加価値がつきます。それが土地のポテンシャルとなり企業が神田に進出してくるなど、経済の循環も期待できます。これらの循環の最初のステップでもあるアーティストの活動基盤を支える意味を込め、CACを提案したわけです。
 CACの大事な要素として想定しているのは、つくる場所として機能させることです。発表する場としては、アーツ千代田3331やコマンドNの事務所はもちろん、周辺のオフィスのロビーや空きビルなども含めればまち全体が発表の場ともいえます。ところが、つくる場となると郊外に行かなければならなかったり、そうでなければ自宅くらいしかないのが現状です。そこで、私たちはさまざまな人たちが共有できる、制作の場が必要だと考えました。そのために例えば、企業と連携し最新の機材提供による環境整備のもと、東京芸大や東大と連携し新たな創造活動と研究を行う学環をつくるイメージを持っています。「つくりたい」と思う人たちがそれをつくるためのラボを、この神田に設立したいと考えています。ただ、設立に向けては、本当に必要な機能について考え、検証していく期間が必要でした。また、「開発が進む神田でアートセンターをつくる」ことが、「どのような意味をもたらすのか」を考えていくにあたって「場所の記憶」を綴るアーティストの存在が重要であることも見えてきました。この実践が、TATを開催している現在のプロセスにあたります。

TRANS ARTS TOKYOについて

久木元:2012年に開催した第1回のTATでは、旧東京電機大学の17階建ての建物のフロア全部を使って展覧会を行いました。翌年2013年にはこの建物の解体も進み、電機大学と周辺の企業が使用していた別の8階建てのビルなどを使って2回目のTATを実施しました。解体の過程で残っていた地下の空間も使ってクラブイベントやパフォーマンス、トークなどを行い、敷地内の他のペンシルビルでは空き室をインスタレーションや展示の場所としました。3回目となる今年のTATの時期は、地下空間は残っていますが、地上部分はすでになくなり更地になっています。
 このように、神田のまちは刻一刻と変わっていきます。そのなかでアートセンターをつくるには、この場所に集まって何かをしたという思いが鍵となります。ここに別の建物が建ったとしても、過去のTATの参加アーティストのなかに場所の記憶が残っていれば、初めてではない感覚を持ってまた神田に来てくれるだろうと考えたからです。日々変化する神田だからこそ、「場所の記憶」が懐古的な意味のみならず、未来にむけた重要なものであることを、開発事業者である住友商事さんも理解してくださり、TATのために場所をご提供いただきました。
 なお、来年以降になりますが展示やインスタレーションのほかにもオフィスビルにアート作品をレンタルしていく検討も進めています。これは、ビルのロビーや1階に観葉植物を置くように作品を置いてもらうという取り組みです。レンタルであれば衣替えのように季節毎に変えることもできます。アーティストは新作をつくり続けますので、旧作はそのまま倉庫に眠ってしまうということがよくあります。それらを空気に触れさせ、かつレンタル料が入ることでアーティストが自活するための手段として機能させる意味があります。
 また、長期的には蕎麦とアートをからめた企画も構想中です。神田といえば蕎麦なのですが、海外に発信されている寿司、天ぷら、更にはラーメンなどに比べて、残念ながら蕎麦はまだ充分にアピールできていません。そこで、食べ物としての蕎麦はもちろん、「江戸」のイメージを象徴するものとして、『江戸神田蕎麦』というブランドをつくり上げたいと考えています。東京や神田の老舗の雰囲気を大事にしながら、器などの美術工芸やお店の内装や制服などをアーティストとコラボさせたり、新しいおもてなしのメニューについても考えていければと思っています。

開催会場の変化:左が2012年、右が2013年。敷地内の南西、南東の建物は解体され駐車場となっている。ちなみに、南東の駐車場の下が2013年の会場のひとつとなった。
「TRANS ARTS TOKYO 2012」壁画プロジェクトの様子。工事関係者の方々も交え工事用のフェンスに百鬼夜行をモチーフとした壁画を制作。2014年現在も現場に残る(作家:大塩博子)。
「TRANS ARTS TOKYO 2013」地下の展示空間(左:小林正人『love all』左奥:writtenafterwards『space shuttle from the universe』)
「TRANS ARTS TOKYO 2013」エントランスの様子。最終日は2Fがフリーペイントの会場になった。
2014年現在、建物の解体工事が終わり、更地となった敷地内を臨む。

神田のまちとのつながり

開発が進む神田で新しいことを進めるためには、地域の方々のご協力が不可欠だと思います。どのようなかたちで地元の方々と活動を進めていらっしゃるのでしょうか。

久木元:神田は、ここで生まれ育ってずっとここにいるという方が多くいらっしゃる地域です。そういった方々と一緒に活動するには、礼儀や挨拶はもちろんのこと、まちに入っていくためのステップが重要となります。例えば、2年に一度開催される神田祭はまちの方々の日常生活のなかにあり、祭を中心に2年が廻り、お酒の席の話題も神輿や祭のことに集約されていきます。神田祭がない年には山王祭や太田姫稲荷神社の祭があり、毎年何かしらの祭を開催していることになります。このように祭を楽しむ神田特有の土壌があるので、我々もうまく関わりたいと考えていました。そして昨年、アーツ千代田3331として初めて神田祭りに参加させていただき、その際の神酒所として、アーツ千代田3331のコミュニティスペースを選んでいただきました。ともに時間をすごし、意識を共有していくなかでようやく「おまえも神輿を担げ」と言ってもらえるようにもなるのです。そういうステップを1つ1つクリアして関係をつくっていくことが、ここではとても重要になってきます。コマンドNの事務所も、空き家だった建物を安田不動産さんに提供いただき、警察署通りに面した錦町に居を構えています。このまちの空気を一緒に吸い、我々自身が積極的にまちに出ていくことが重要だと考えています。TATも3年目となり、フェーズも次段階に入ってきましたので、今まで以上に神田全域の企業さんや開発に関わる方々と積極的につながっていきたいと考えています。このあたりはビルオーナーの方が多いのですが、「趣味はまちづくりです」と仰るほどまちづくり活動に熱心な方が多く、どの方も本業とは別にまちに関わるもう1つの肩書きをお持ちです。先ほどの久保さんもNPO法人神田学会の副理事長をされています。神田学会は、神田を愛する企業、個人の誰でも参加できるNPOで、活動の1つとして、100年以上続く老舗企業を取材した内容をウェブで連載されています。すでに30社以上が神田学会のHPに掲載され、実際に社長さんに登壇いただく講演会も開催されています。こうした老舗企業を巡るまち歩きツアーも現在企画中です。神田には、宇津救命丸、笹巻けぬきすし総本店など100年どころか300〜400年も続いているところがたくさんあります。コマンドNとしては、こうした老舗企業さんや神田学会さんなど、地元に根付いている団体の方々の意識にふれ、そこに新たなきっかけをつくるような活動をしていきたいと思っています。
 こうして、まちとコマンドNのつながりをつくる一方で、我々にはさまざまな人たちをつなげるという役割もあります。世界的に活動しているアーティストとまちの人をつないだり、デザイナーとつないだり、あるいはまちの誰かと誰かをつなげたり。こうした横のつながりをどのようにつくるのかということが、アーツ千代田3331を運営するなかで課題として見えてきて、TATはそれを実践する1つの実験として行っているわけです。
 接点の例としては、ポートレート専門の写真家、池田晶紀さんの「ポートレートプロジェクト」があります。地元の方が被写体となって、その人がその人らしくいられる場所でその人らしい写真を撮る、というプロジェクトです。ここでは池田さんと地元の方との一対一の対峙が生まれています。この写真をまとめていくと、いわば「神田の人物図鑑」ができあがり、我々と神田の人たちの接点を形にしてくれます。また、アートのレンタル事業や蕎麦のプロジェクトはアーティストが直接地域の方と関わることになります。こうした直接のやりとりが、3年目にしてようやく活き始めようとしているところですね。

地域の方との関わりが多くなったいま、今後の発展もお考えだと思います。TATのこれからの計画や、CACに向けた新しい取り組みなどがあれば教えてください。

久木元:この2年間で、神田の企業やまちづくりに携わる方々と少しずつ密な関係を築くことができたと思います。その一方で、まだお会いできていない方もたくさんいらっしゃいます。またTATがどこまで多くの方々に届いているのか、我々も把握しきれていないのが現状です。そこで、TATにスポーツイベントや巨大作品の展示など、比較的わかりやすい内容を入れることも検討しています。アート好きの人たちも地域の人たちも同じように関われるよう、アートのクオリティは保ちながらフラリと立ち寄ってもおもしろいと思ってもらえる内容にする、これが今年のテーマの1つです。地域の方にもアートの業界にも認められてこそ、相乗効果があるのではないかと思っています。
 今後は、地元の企業さんやまちづくりに関わる団体・個人の方々とともにコンソーシアムのような企業体をつくり、TATの事務局にするという案も出ています。TATをグレードアップさせて、そこで関係が生まれたアーティストを神田に呼び、空きビルに住んでもらったり事務所を構えてもらったりすることで神田全体がクリエイティブな場所になり、自然と人が集まるような状況をつくっていくことを考えています。2017年には新たなアートセンターがオープンし、2020年にはTATの発展型として、まち全体を使ったアートのビエンナーレを開催する、という構想を練っています。そのため、アートセンターの設立はゴールではなく、あくまで通過点です。ちなみに、「ビエンナーレ」にしたのは、神田祭が実施されない年に合わせて開催することも含まれています。

アーティスト・イニシアティブの可能性

TAT、CACの実施、継続における重要な要素の1つとしてアーティスト・イニシアティブがありますよね。金銭面に限らず、あらゆる面でアーティストの自立に関わる考え方だと思いますが、TAT、CAC、ビエンナーレ、という流れのなかでどんな発展性があるのでしょうか。

久木元:CACはむしろきっかけで、そのあと本格的に地域に根付くアーティストが徐々に出てくれれば良いと思っています。その根付き方も、それぞれだと思うんですね。作品を売ったり貸したりすることで生活する人もいればお店の内装やユニフォームをデザインする人もいるでしょうし、自分の技術やノウハウを提供する人もいるでしょう。規模は小さいかもしれませんが、その人がこの場所で生活をするための方法はたくさんあると思います。そのなかで発展性について考えると、自分の生活を維持できれば問題ない人や、弟子たちを育てるために大きな商売をする人など、ここもまたそれぞれだと思います。いろいろなことを試せる場となっていけば良いと思っています。失敗もあるかもしれませんが、1つ成功すれば追随するアーティストが出てくるでしょうし、アーティストの生活の仕方として選択肢の幅が広がります。大儲けはできないかもしれないけれども、ちゃんと自立するだけのことはできるようなこともあるでしょう。
 さらに我々としては、そうした方法を組織だって実践する仕組みをつくることも大事だと思っています。やはりアーティストにとっては、作品そのものを見て、評価して、買ってもらうことは重要です。この点は永久に変わらないと思うので、そのきっかけとしてアートレンタルや「食」とのからみなど、日常的なものとして作品を提供するルートをつくり、流通を広げるためのきっかけづくりとして機能させたいと思っています。もちろん、きっかけとして始めた部分で新たなビジネスが成立すれば、それも1つの生き方となります。ここでもまた、生活のための選択肢が増えていくわけですね。

コーディネーターの育成

久木元:そうすると、アーティストのスキルをどう活かすとお金に還元できるのかを考え、アーティストとクライアントをつなぐ役割が必要になってきます。つまり、アーティストだけではなく、実はコーディネーターの存在も非常に重要で、そういう人材の育成も我々のテーマの1つです。今年は文化庁の芸術家人材育成プログラムと連携し、実践の場を提供しています。アーティストやコーディネーターの卵たちはここで経験を積むことができますし、我々は良い人材と出会うことができます。彼らにとってもまた、生き方の選択肢を増やすことにつながります。アートに関わる人がそれぞれの役割を生業として成立させられる仕組みを増やしていきたいと思っており、その意味では「アート・イニシアティブ」という表現を使ってもよいかもしれません。まだまだ試行錯誤していくことになると思いますが、地道に進めて、続けるなかでより良い方法論に出会い改善していくことになるでしょう。

最終の着地点と、そこにある最大の目的について

発展しつづけるコマンドNさんの活動ですが、もし最終的な着地点を見い出すとしたら、どんなところでしょうか。

久木元:アートが当たり前のように社会に組み込まれている、そういう社会をめざしています。ただ、これはあくまでもアート側の意見にすぎません。ゴールを設定した時点で終わってしまうという考え方もあり、あくまでもプロセスとして成果を1つずつ積み上げていくことが継続の原動力になるのではないかという意識があります。ですから、このプロジェクトに関しては「これができたら目的達成」ということはないと思っています。1つ1つを確実に解決し、成果と回答を積み重ねることでまた新しい成果と課題が生まれていきます。
 具体的なイメージを挙げるなら、それは全員がつながっている状況です。何かを発想したときに「あの人に作業を手伝ってもらって、あの人にPRしてもらって、あの人に撮影してもらって」という流れがパッと浮かんで、それがパッと実現するようなつながりです。もちろん、人は育っていきますから、さまざまな人や事業、ジャンルを横でつなぐことと同じくらい、縦の時間的なつながりをつくることも大事です。どこでも代替わりは必ずありますから、30年、50年というスパンで話をする必要があります。子ども世代もちゃんと面倒をみていく必要もあります。代表の中村もよく言っていますが「自分がいなくなったらプロジェクトも消滅するみたいなものにだけは絶対にしたくない」。プレーヤーがちゃんといて、そのプレーヤーに代わる人もしっかりと育ち、それぞれが役割を持つ。人が代わったのなら、次の人の個性でまた違うものができていく循環型の仕組みをつくっていくことです。これは、まち単位だからこそできることかもしれませんが、そうした小さなことから1つ1つ実現させて積み上げていくという、途方もない、答のない作業をやり続けるしかないかなと思います。神田祭はそうしてつながって、いまもあるわけですよね。縦横斜めのなだらかなつながりをつくっていく、敢えて言えば、それが究極の目的と言えるかもしれません。
 そこまで来ると、もはやお金というよりはもっと根源的な交換関係の構築になるのだと思います。例えば、アーティストが何かをやったときにまちの人に文字通りご飯を食べさせてもらう、という方法でも良いわけです。まちのなかで生活することで、ちゃんとその人の役割が機能していく場面を、小さいところから大きいところまでつくっていきたい。いわば、新しい価値の循環を生みだすことが、我々の仕事だと思っています。そのなかでアートのクオリティも上がっていくことが期待でき、そうしたよい循環をつくっていくために、我々は常に地べたに足をつけておもしろいことを探していければと思っています。

どうもありがとうございました。

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