忘れもしない2020年3月12日、私はドイツのベルリンにいた。日独の芸術団体間の交換プログラムの一環でアーティスト・イン・レジデンスをしていたためだ。展覧会オープニングに向けた準備を進めていたところ、明日から公共施設が一斉閉鎖されるらしいとのニュースが入る。結果的にうやむやのまま中止になったが、受け入れ機関からの連絡は皆無だった。それどころか、他の展覧会の準備に追われていたスタッフからは理由もなく当たり散らされ、完全に邪魔者扱いされてしまった。もちろん、前代未聞の事態に取り乱すのは理解できるが、派遣された身としてはせめて現状説明くらい聞きたいと思うもの。後に判明したことだが、この釈然としない対応の背景には、日本とベルリンの組織間の齟齬があった。ドイツ側には、レジデンスプログラムの意識はなく、日本から派遣された作家はアートセンターの一部屋を期間限定で借りている「テナント」としてしか認識されていなかったのだ。

この時、改めて思い知らされたのは、肩書きや所属がないアーティストとしての立場の弱さだった。

無名の外国人(アジア人)若手作家にとって、現代アートの中心地であるベルリンという都市での活動の機会を得られることは、言うまでもなく貴重な経験である。世界には自国の文化芸術機関が機能しておらず、こうした機会を得たくても得られないアーティストが数多く存在する。政治的な理由によるビザ取得や移動制限があって実現しない場合も多々ある。行けなかった側からすると「行けるだけいいじゃないか」と思われるかもしれない。しかし、上述の出来事を経て、行きたい、機会を得たいという多くの需要があるからこそ「行ければなんでも良い」になってはいけない、と強く感じた。企画の意図、待遇、支援内容を事前にきちんと把握し、問題が起こった際の責任の所在を明らかにすること。社会的な立場が弱いからこそ、不当な扱いを受けた際には声を上げること。簡単なことではなく、ときには一蹴されたり、見下されたりするかもしれない。それでも、対等な立場であろうとする意識を持つことが、少しずつでも物事を変えていくきっかけになると信じている。