今年もまた、大きな地震がありました。
被害に遭われたみなさんに、なんと言えば良いのか、、、
とても心配していますし、お身内や近しい人を亡くされた方には心からお悔やみ申し上げます。

そして今日は3月11日。
12年前の3月には、ネットTAMで震災復興におけるアートの可能性:「小さな斧」というコラムを書きました(https://www.nettam.jp/society/fukkou/3/)。

震災後に必要なのは、まずは命をつなぐ行動。その次に、自分たちは何者なのかというアイデンティティの見直しがやってくると思います。それは、ずっと支援され続けることから芽生えざるをえない集団的な自意識の一種なのかもしれません。

自己あるいはコミュニティの自意識は文化的なこと—祭りや風習・習俗など土地や地域のコミュニティと関係が深いと思います。私は地域の文化施設で長く働いてきましたが、そういう場では、外からやってくる見たことのないような世界(作品)と同様に、土地ならではの文化とつながっていく必要があると考えています。

それは、意識的に(地域の団体や担い手ががあればそこと連携して)やらないといけないと思うんですが、地域文化施設には、この機能が意外と足りていないのではないかとも感じてきました。

日本にはどんなエリアでも、その土地ならではの食や芸能や風俗があるはずで、ずっと前に廃れてしまっていても名称だけは残っていたり、覚えているお年寄りがいたりするはず。

そういう小さなエリアの物語を発見・再生してくようなことが、各地にたくさんある文化施設でそれぞれ行われていたら、それが地域の老若男女に愛でられていたら、わたしたちの住む場所はさぞかし素敵に感じられるのじゃないかしら、といつも思っています。そういうことを総じて「文化的コモンズ」が形成されているというのだと思います。

芸術作品を鑑賞・消費するだけではなくて、その地域ならではの活動を生むこと。消費ではなく創造を。小さくて楽しい活動が、たくさん生まれる場所を日ごろから育んでおくことが、大きな災害からの回復にも、とても助けになると思うのです。