キュレーターでもプロデューサーでもディレクターでもアーティストでもない。アートマネージャーの仕事は、名のある人たちの裏側で名もなき仕事に奔走し、現場を円滑に回すことかもしれない。それはまるで名もなき家事をあくる日もあくる日もこなし、見えないところで当然のように家庭を回す主婦 (主夫) のようだ。
立場の無名さと裏腹に、現場でさまざまな判断の場面に直面し、選択し、実行していかなければならない。その選択の一つ一つは間違いなく作品の質を左右する、クリエイティビティと緊張感に溢れる場面の連続だ。
やがて産まれ出る作品の産声を聞くために、わたしは、わたしたちは奔走する。

芸術祭やアートプロジェクトを活躍の場とし、渡り鳥のように次から次へと現場を行き来していた同世代のアーティストやアートマネージャーは、ここ10年ほどで結婚・出産・子育て、時に離婚などを経てそれぞれの場所で新しいあり方を模索していると強く感じる。いつの間にか若手ではなくなり、キャリアのあり方も考える年頃になった。しかし目指すべきモデルケースが見当たらない、そんな問題にぶち当たっている。30代も終盤にさしかかった私自身、例外ではない。

子育てをしてみてはじめて社会とつながっている実感を得られたことは、それまで自分の仕事はアーティストの翻訳者となってアートと社会をつなげる存在であると思い込んでいた私にとってショッキングな事実だった。皮肉にも、この時、日常生活を送ることの尊さに気づけたことが今の生活、今のキャリアにつながっている。

私たちの小さな暮らしは決して副次的なものではない。
最小単位の社会である家族、社会の最小単位である個人が豊かに暮らすことが、豊かな社会を育む。
こどもの存在を通して出会った社会は、案外素敵なものだった。

苦難は乗り越えるためにあるのだとすれば、この2024年の幕開けに起きたあらゆること、そして今世界で起きていることは、わたしたちにどんなに新しく素晴らしい景色を見せるために起きたと言えるのだろうか?

容赦ない時代に生きることは容易くない。

それでも生きていくのは、同じ時代に産まれ出る表現の産声をこの耳で聞き、目撃するためだ。すべての命が当たり前に同じように産まれることはないように、「これで大丈夫」などない世界で、命を取り上げる重責を負いながらも、それでもやっぱり産声を聞くとすべてがチャラになってしまうから、アートマネージャーの仕事を続けているのかもしれない。