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ふつうの仕組みを解体する

ーCreative Disruptions of Everyday Norms—


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会場となったボストン大学からみたフェンウェイエリアの夕焼け

受け取ったバトンを手に、私の第2の故郷、アメリカ・マサチューセッツ州ボストンへ旅立った。約5年ぶりだった。目的は、「Asian Women Leaders Forum」への参加。アジアで社会変革や問題解決に向け、アート・文化の領域を基盤にしながら活動する女性リーダーの意味・意義について議論をする会合に招聘された。ちなみに会場は私の母校。

19歳の頃から18年間を過ごした思い入れのあるこの場所で、今度は生まれ故郷の「東京」で開催されるオリンピック文化プログラムについて考えることになり、この機会は、久しぶりに「日本人の女性」という立場から、自国について考え、発言する滅多にない貴重な時間となった。

ご存知の通りボストン市は、2024年の五輪招致を市民の反対の声の力によって最終的に取り下げている。だからこそ2020年の東京招致に関しては、色々と意見が聞けると思い期待していた。しかし、東京が4年後の開催地であることすら知らない人・興味がない人が多く、そのうえで文化庁の基本構想にある20万件の文化プログラムの実施に関して話をすると、多くの人が首をかしげた。滞在期間中は、文化領域を超えたさまざまな方々と、オリンピックに付随する文化プロジェクトの価値や役割、そしてコミュニティ開発とオリンピック施設の建設との因果関係、オリンピック後の東京のまちの姿など、一時的な経済効果へのリスクと価値などを含む、多角的な角度から話をしたが、あまり明るい未来の話へとは進展しなかった。

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フォーラムにて登壇風景

「ふつう」は普通とは限らない:価値観の見直し

5年前の東日本大震災を機に東京に戻り活動しているが、日頃からとにかく東京というまちは「ものと情報とひとと流行」にあふれていると感じている。今回、12日間ばかり離れて東京に戻り、私がいく度なく感じていることを思い出した。美術館のようなデパ地下の食品セクション、100円均一の品揃いの充実さ、コンビニだけに本当に便利であること。コーヒーが体にいい!流行り!と突然コーヒーがブームになり、ココナッツオイルがいい!となればそれが陳列棚からなくなる。290円くらいで美味しい牛丼も食べられる。道を歩いていれば、ポケットティッシュが手に入る。携帯の機種ひとつとっても種類は豊富で、それに付随するアクセサリーなどは、もはやよくわからないレベルでの選択枠になってきている。また、チェーン店ばかりの駅前開発に視覚公害(Visual Pollution)ともいえるレベルの広告や情報がまち中にあふれ、それが壁紙のように扱われるこの東京の「ふつう=当たり前のこと=そんなもの」に潜むものとはなんなのか?それらを灯す東京のまちは、不自然に明るい。

社会的に「普通」といわれる、経済的な中間層だったり、ごく一般的な家庭といわれている人たちは、東京の人口の大多数を占めるにもかかわらず、個々として非常に見えにくく、そこには知らず知らずのうちに混沌とした文化が蓄積されているはずである。

また、これが東京の「ふつう」という名の「日常」であるとしたら、これでは、思考は個人の内側に向けられ、世の中への疑問や自分の身の回りへの配慮、感謝の気持ちなどの本来当たり前の思考は停止してしまう。同時に、そういう内向的に外気をシャットアウトする習慣を兼ね備えた者は、もはや見返りすら想像できず、考えることを諦めているのかもしれない。気づきの機会に目を向けないで、その先を想像しないというあきらめこそが、社会への行動を停止し、よどんだ批判、無言、無関心さばかりが蔓延する普通の日常になっている。

誰のため何のための東京オリンピック?

ところで、東京で開催するオリンピックは、一体誰のためのものなのだろう? 私は、招致をした以上、人生をかけてここにたどりついたアスリートのためだと思っている。正直、飾り程度に文化プログラムをやるのであれば、もっと具体的にアスリートをサポートするインフラに予算をつぎ込むべきとも考えている。文化事業たるものは、期間限定でやること自体に限界がある。文化は育むもので、種を巻いたからといって、即、花を咲かせ実をつけることはなく、当たり前だがそれなりに時間がかかる。また、オリンピック後の東京のまちを考えると、ここに住む地域コミュニティにとって、東京にとってオリンピックが来ることであまりいいことはない。

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港区六本木でRelight Project関連イベント終了後、六本木をきれいにする会の掃除の様子

20万分の1のプロポーザル

私は、「はかないこと、みえないことを可視化する」ことにこだわりを持ち続け今がある。それ故に、私が提案したいことは、「ふつうの仕組みを解体する-Creative Disruptions of Everyday Norms」というアクションプラン、マニフェストの構想である。これは当たり前になりつつある価値観の見直しをするためものであり、普通に隠れる価値観について抜本的に見返す。上からこうしろという考え方の価値の押し付けではなく、またオリンピックのためだけでなく、大多数を占める「ふつう」の感覚にあえて向き合う機会をつくることが、オリンピック後の東京のまちを守るための文化プロジェクトができる一つの手段だと思っている。住み続ける人が、オリンピックを後悔しないためにも、東京という社会システムにある多様であるべき価値観、この大きな文化事業をきっかけに、見直すことはできないだろうか?

私はオリンピック後の東京のまちが心配でならない。一時的な経済的波及効果はもちろんあるかもしれないが、その後バブルがはじけることは過去の事例からもすでに実証されている。

この提案は、アートが媒介となり、明確な社会の変容・課題解決をゴールにしたものである。20万という数が示す、何か凝縮した時間や事業ではなく、オリンピックはあくまでも通過点であり、きっかけである。その向こうにある息の長いプロジェクトの提案としてここに残したい。

私がアートの力を信じている大きな理由は、アートは想像力をかきたてる、想像力を持てば持つほど、日常・社会・生活への寄り添いと固定観念への問いと変わってくる。

互いの違いを尊重することは、自分を、そして他者を認め合い、本来の多様性を根底から尊重することにある。その違いを認め合う、認めようとする思考に他ならない。

それは、日常で作り上げられた習慣や、単純に生活のなかで立ち止まることを忘れ、また休息や立ち止まり方も制限された世の中で、極端にいうと裸でまちを歩く行為を肯定するアートは、時の流れをDisrupt(崩壊、分裂、中断、途絶、 混乱)し、視点をリセットしてくれる。そこでは、社会に対する疑問や、たわいない日々の生活では芽生えない感覚を取り戻すことなど、自分そして自分が置かれた環境や状況と向き合える時間を与えてくれる。ルールから逸脱する行為を促してくれる。アートによって切り込まれた時間の亀裂を、その当たり前となったふつうの状況を変えることをそれぞれが考え始めたら、何が起こるのだろう?

今後の予定

アーツでまなび、アートでつなぐ!「まえばしアートスクール計画
日時:5月15日(日)12:30〜15:00(受付12:00〜)
会場:前橋プラザ元気21・505学習室
http://moka7887.p2.bindsite.jp/kiso/trail.html

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次回執筆者

バトンタッチメッセージ

インターネットを通じて国境を超えたコミュニケーションが当たり前にできる今、東京オリンピックの文化プログラムは日本国内で完結されることなく、国境や時間を超え文字通り世界中の人が参加できるプログラムがあってもいいのではないか。インターネットにより世界を小さく感じられる今だからこそ考えられるアイディアを知るべく、次回の執筆は起業家・情報学研究者であるドミニク・チェンさんにお願いすることにしました。研究・事業・執筆とさまざまな角度からインターネットや文化芸術の領域に携わるドミニクさんが考える「20万分の1のプロポーザル」はどんなものか。一読者としても楽しみにしております。(林 曉甫さん)

20万分の1のプロポーザル 目次

1
あと4年。
2
ふつうの仕組みを解体する
ーCreative Disruptions of Everyday Norms—
3
自由な脳と身体の協働の場として
4
一方的な文化発信のためのアートか、市民社会活性化のためのアートか

5
参加と共創による文化創造が、2020を越える地域の未来をつくる
─都市デザインから見る文化プログラムの役割
6
オーケストラのもうひとつの道
日本フィルの「音楽の森」をとおして
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