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「何だかわからないけれどよい」正義

特別対談
本とクルマは、なぜアートに近づくのか? 後編

クルマをとりまく文化、またアートとの接点を探る、今回のスーパーバイザーであるトヨタ博物館長の布垣直昭氏によるリレーコラム。

3回目は、引き続き、同博物館にあるブックカフェの選書を担当し、日本随一の“ブックディレクター”幅允孝氏との対談の後編をお送りします。

テクノロジーの進化によって、形を変えてきた本とクルマが、なぜアートに近づくのか──。

ヒントは「五感」にありました。

読む、見る、から感じるへ。本の価値が、変わりつつある。

──本やクルマも含めたモノづくりにおいて、幅さんが「五感」に注目する理由とは?

幅允孝(以下・幅):人間が人間たるゆえんが「五感すべてを使って何かを感じとる行為にある」。そんな気がするからです。

布垣直昭(以下・布垣):どういうことでしょう?

幅:たとえば最近、僕のお気に入りの一冊に、シーラ・ヒックスというアメリカのテキスタイル・アーティストの作品集があります。

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Sheila Hicks / Weaving as a Metaphor
テキスタイル アーティスト、シーラ・ヒックスの作品集

布垣:これは迫力がありますね。「小口」の処理がすごい。

幅:おもしろいですよね。小口はあえて凸凹の粗い処理にしてある。ページの切れ目も一見わからないようになっている。装丁全体の“白”とあいまって石膏のようにも、豆腐を割ったようにも見えます。触れると質感がまた心地いい。

布垣:本当だ。ゴワゴワしているけれど、どこかやさしい。ページを開くと、掲載されている作品はとてもカラフルですね。

幅:ええ。シーラ・ヒックスのテキスタイルは自身が旅して見てきた南米やインド、モロッコなどの影響を感じさせる豊かで多彩な色が特徴の一つ。また柔らかさをたたえていることも彼女らしいところ。そして本人は80歳を超えていながらも、とても凛とした女性なんですよ。

布垣:ああ。そうした生き様や作家性をコンテンツをテキストと写真で伝えるだけじゃなく、デザインや質感でも伝えているんですね。

幅:その通りです。イルマ・ボームというオランダの世界的なエディトリアル・デザイナーの仕事です。
ただテキストや図版をどう読ませ、どう見せるかというデザインはしていない。視覚だけじゃなく触覚や嗅覚などを含め、読み手の「五感」すべてを総動員させるような本づくりをしています。

布垣:だからこの本を手にする人はただコンテンツをインプットする以上の、とても豊かな経験、体験ができる。

幅:だから、この本に強く心を魅かれるんだと思います。
今、テクノロジーの進化は、早く、大量に何かを処理する、という利便性や“即効性”が求められた結果ともいえますよね。

布垣:そうですね。デジタルが得意とするところです。

幅:そしてAIが進化したら「いらないもの」としてスポイルされるかもしれません。

布垣:この本の小口のような五感に響くモノづくりは、利便性や即効性とは対極にありますからね。

幅:ええ。けれど、人間はその価値に自然と気づいている。
五感でじわりと感じる心地よさ、触れた瞬間わかるわけではないけれど、こうした多様な知覚情報のほうが、じわじわと一人ひとりの中に染み込んでいく気がします。
また僕ら人間が古来からそうやって世の中を理解してきた記憶は変わらずあると考えると、なおさら、世の中の変化が激しい今、五感に響くような、ゆるやかなインプットが求められている。あるいは、求められていく気がするんです。
利便性、即効性によっているからこそ、相対的に価値も高まっていくのだと思います。

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布垣:そのお話をうかがって思い出しましたが、私もトヨタのデザイン部門にいて、似たようなことを実感した経験がありますね。

──それは?

布垣:あるクルマのデザインをしていたとき、アメリカの拠点で製作した実寸モデルを私が日本でテレビ会議を通じて評価していたときのことです。
ハイビジョン映像ではその意匠が持つ良し悪し、ボディや内装の質感、もっといえば「キラキラ感」や「艶やかさ」といったものが充分伝わらないんですよね。だいたいはわかるけどシビアな検討まではできない。

幅:触ったほうがはやい、と。

布垣:はい。4Kの立体画像ぐらいになると内装の素材感などもだいぶわかるのですが、それでも実際触る経験にはまだまだかないません。この経験で私たちが普段何気なく感じているものの情報量がいかに多いのかがわかりました。やはり現地で見て、触って、感じて「あっ、これ何だかいいね!」「気がつけば欲しくなるな」というような、そんなふうに実感できないと判断できない。
だから今でもデザインチェックのために、制作現場に足をはこぶのです。

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幅:いま布垣さんがおっしゃった「何だかいい」、「気がつけば欲しくなる」、が重要だと僕は思っています。
話がズレて聞こえるかもしれませんが、僕はブックディレクターとして、公共図書館の仕事を手がけることが最近多いんですね。

布垣:それは図書館の本選び、棚づくりをする?

幅:それも当然ある。けれど、いま僕が図書館づくりで重視しているのは「床」なんです。

幅允孝が、図書館の「床」にこだわる理由

──ブックディレクターである幅さんが図書館の「床」のディレクションにこだわっている?

幅:そうです(笑)。というのも、どんな本棚の前をどんな床にするかで、滞留時間がまったく変わるからです。

布垣:あ、それほど変わりますか?

幅:変わります。たとえば「新刊」図書の棚の前は、Pタイルなどで硬めにする。すると新刊棚の前は、歩きやすいけれど、落ち着かないので、回転率が早まります。
一方で100番台の「哲学・宗教」の棚前はカーペットにする。しかも、できるだけ毛足を長くします。靴の上からでも長い毛足を感じながら立つとリラックスする。ずっとそこにいたくなる。没入感が必要な哲学書などは、そんな床の上でこそ選びやすい。

布垣:興味深いお話です。そこまで細やかな仕事をされているわけですね。

幅:裏を返すと、そこまでする必要性が出てきた、といえます。90年代の本が売れていたころならば、何も考えずとも、多くの方が本を手にして、読んでいましたからね。より気持ちよく本を手にし、読んでもらうための工夫が必要になってきた。
そして、そこまでしてやるとき、僕らが意識しているのは「気がつけば手にしていた」という感覚なんですよ。

布垣:「この本をぜひ読んで!」と強く推すわけではなく?

幅:「読め!読め!」と高らかにいわれると、本って読みたくなくなるじゃないですか(笑)。そもそも本自体、著者や出版社、あるいはエディトリアルデザイナーによって、明確なメッセージを込められたプロダクトですしね。

布垣:クルマも似ていますね。単なる移動手段や利便性ではなく、それ以外の「五感に響くモビリティの価値」があり、それは形が変わるけれど、残る。
それをしっかりとユーザーに伝える。自然に触りたくなるようなプロダクトやサービスを、すっと自然に差し出す必要があるのかもしれません。

幅:いまビジネスや経営の世界で、しきりに「アート的なもの」が見直されていますよね。

布垣:はい。ロジックより感性、サイエンスよりアートが「イノベーションを生む」という考え方ですね。

幅:ええ。そうした感性を磨く価値が高まっている。この機運にも実はぴたりとはまっているのが、本やモビリティの変質である気がします。
五感で感じるのがアートの醍醐味であり、またすぐさま何かに役立つわけじゃない。けれど、じわじわと内側から心に響き、染み込んでいく。やがてそれが何かのきっかけになる──。
考えてみたら、本やモビリティはアートにとても近づいていくのかもしれない。

布垣:「移動は文化」というこのコラムのテーマにも、つながりますね。

幅:ただそこに至るためには、「教育」も大切なのかなという気もしています。

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BACHのオフィスに置かれた本棚

ひとつだけ売れ続けている本のジャンルがある。

──教育とは?

幅:たとえば本は「市場がシュリンクしている」と長らくいわれて、実際にそのとおりなのですが、ひとつだけ伸びているジャンルがあります。何か、わかりますか?

布垣:なんだろう。

幅:絵本です。本全体の市場は10年前の7割くらいまで縮んている一方で、絵本だけは売れ続けていて前年比104%くらいで伸び続けています。
少子化の一方で、教育に熱心な親も増えた。その結果、「子どもにいい本を読み聞かせたい」という方が増えていますからね。
同時に大人向けの絵本なども人気がある。さらにヨシタケシンスケとかミロコマチコとか、若手もどんどん出てきています。
ところが、読み聞かせの時期が終わり、自ら文字主体の児童文学を読む頃になると、パタンと本が読まれなくなる。

布垣:子どもたちの興味が、本ではない何かに興味が移る?

幅:そう。ユーチューブやゲームにとられてしまう。テキストを読んで、頭の中にわーっとキャラクターが動き始める経験を小さいうちにするか否かで変わるんですが、そこに至るには持久力が必要ですからね。
読み聞かせのような「受動的」なコンテンツが多すぎるので、なかなか自発的に本を手に取り、読むというところまでたどり着けない。

布垣:なるほど。そこで、本を読む教育というか、少しの鍛錬みたいなものがあれば違うだろうということですね。

幅:ひるがえって同じことが、クルマ、モビリティでも進んでいくのかなという気がします。繰り返しになりますが、クルマを運転する楽しさ、味わいはとても五感に響く。しかし、それは経験がなければ、感じ取れません。

布垣:運転の楽しさ、プロダクトとしての味わい、クルマ周辺の文化、それらはある程度、クルマが身近になければ、やはり「遠いもの」となりますよね。

幅:ええ。だから、愛知県なんかは、小学校の体育の授業でクルマの運転を教えるべきなんじゃないですかね(笑)。

布垣:確かに(笑)。スピードとは何か、クルマを運転することとは何か、を子どものころから学ぶことは意味がありそうですね。
五感で培った感性がまた、日本の未来を豊かにしてくれそうですしね。本日はありがとうございました。

幅:こちらこそ。楽しかったです。

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  • 取材日:2019年4月9日
  • 取材地:有限会社BACH(バッハ)
  • 取材・文:箱田 高樹(株式会社カデナクリエイト)
  • 協力:トヨタ博物館

移動は文化 目次

1
移動は文化!
2
本とクルマは、なぜアートに近づくのか?
前編「モビリティが変わると、文化が変わる。」

3
「何だかわからないけれどよい」正義
特別対談 本とクルマは、なぜアートに近づくのか? 後編

4
移動はいかに文化を創造していくのか

5
車と音楽について語ろう。

6
アールデコの巨匠は、なぜクルマに接近したのか。
「ルネ・ラリックとカーマスコット」
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