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アールデコの巨匠は、なぜクルマに接近したのか。
「ルネ・ラリックとカーマスコット」

アール・ヌーヴォーとアールデコをまたいで活躍した偉大なアーティスト“ルネ・ラリック“。クルマのボンネットに配す「カーマスコット」の名作を多く手掛けたことでも知られています。ジュエリー作家だったラリックはなぜガラス工芸へ、そしてカーマスコットづくりへと傾倒したのか? その背景にある芸術やクルマをとりまく変化とは?

有識者とともに社会や文化、歴史的観点からモビリティを考えるリレーコラム。最終回の今回は6月30日に開催されたトヨタ博物館開館30周年記念トークでの、日本ガラス工芸学会理事の池田まゆみ氏による「ルネ・ラリックとカーマスコット」を紹介します。

時代がラリックをガラス工芸作家にした。

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勝利の女神(1928年)

ルネ・ラリックは1860年にフランスで生まれたジュエリー作家で、ガラス工芸作家です。

1860年という時代は、日本でいうと江戸末期の万延元年。そしてラリックが亡くなったのは1945年で、これは第二次世界大戦の終戦の年になります。

この85年という長い生涯、ラリックは前半生はジュエリー作家として活躍し、50歳ころからガラス工芸作家に転向した大変おもしろい経歴の持ち主です。しかも20世紀のモダンなスタイル「アール・デコ」の生みの親の一人で、リーダー的な存在として知られています。

まずジュエリー作家として注目されたのは、1900年のパリ万博でした。アール・ヌーヴォーの前衛的なジュエリー、グランプリの評価を獲得しました。世界中に名を轟かせるトップ・アーティストとしての地位を得ました。

しかし10年後の1910年ころから、彼はジュエリーの制作をやめ、ガラス工芸へと転向します。

転向の理由は上流階級の限られたマーケットではなく、より広いマーケットに向け自らの芸術性の高い作品を広めたかったことがまずありました。

もっとも背景には、20世紀を超えるころの大きな時代の変化がありました。20世紀を超えるころ貴族の世の中が終わりを告げたことです。フランスは1870年に普仏戦争でドイツに負け、貴族の時代が最終的に終焉を迎えました。

さらにターニングポイントとなったのは、第一次大戦です。
第一次大戦は、ロシア革命、ハプスブルグ帝国の崩壊など、貴族が支配する時代を終わらせたのみならず、世の中を機械化へと促しました。19世紀末から発達してきた機械文明がはずみをつけ、戦車や飛行機などの機械兵器が実戦に投入され、それまでとは比べ物にならない大量殺戮戦死戦争が繰り広げられるようになりました。

この変化は、ものづくりの担い手たちに多大な影響を与えます。
たとえばバウハウスの創立者で初代校長となる建築家グロピウスはこの戦争に従軍していました。それまでは機械を利用したものづくりに疑問符を抱いていた彼は、機械化による圧倒的な戦力を目の当たりにして考えを変えました。機械づくりの量産を前提にした美術教育である「バウハウス」の考えへ行き着く契機になったのです。手づくりから機械文明を称賛するメンタリティは社会的にも根づくようになりました。

そうした時代を大戦の前からいち早く見越していたのが、ラリックでした。一点物の高級ジュエリーから、同じ形状のものを量産しやすいガラス工芸の世界へと移っていったわけです。

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トークの様子

アートの普及をかなえる量産。すべてをガラスでつくり上げた。

ラリックのガラス工芸の特徴は、大きく3つあります。

まず1つ目は「簡潔なデザイン、透明な光の美しさ」です。ラリックがガラス工芸に向かう直前は、エミール・ガレやドーム兄弟など華やかできらびやかな「アール・ヌーヴォー」のガラス工芸が人気でした。こうした先輩の業績を見て「より20世紀にふさわしいオリジナリティの高いものをつくらなければ」とラリックはガラス工芸のデザインをよりモダンでシンプルなものしました。フランスらしいエレガンスを保ちながら、洗練された簡素な、当時としては斬新な意匠をつくり上げたのです。

2つ目の特徴は、そうしたモダンなデザインを「鋳型を利用してつくり出した」こと。匠の技でつくり出した精巧な鋳型を介することで、芸術性と量産を両立させました。ガレなどもこれをやろうとしたのですが、色を重ねたり、削りの作業を入れたりと手間がかかっていました。ラリックはガラスを型で吹いたり、鋳型に流し込む事で完結するようにして圧倒的に効率的でした。そのうえで、透明なガラスのものから、オパールのように、角度によって青白やオレンジ色がみえる「オパルセント・ガラス」などを使って、簡便ながら豊かな表現を実現しました。

そして3つ目が、「あらゆるものをガラスでつくったこと」です。花瓶や香水瓶、化粧道具、食器、照明器具、室内装飾、野外装飾、野外噴水まで何でもかんでもガラスでつくりました。ガラスを用いることによって新しい世紀の新鮮さ、これを反映した新しいライフスタイルを表現したのです。

そしてガラス工芸作家としてのラリックの評判を決定づけたのは、1925年のパリで行われた「アールデコ博覧会」です。

このときも「ラリック館」という専用のパビリオンを出展し、ダイニングルームをつくりあげ、食器や道具や家具はもちろん、照明、床、壁、野外噴水にいたるまで鋳型を利用した透明ガラスでつくり上げました。ガラスを利用することで芸術性をそこなわずに実用的な製品を普及できるという、先進性をこれでもかと見せつけました。

そして、こうした流れの中でラリックがたどり着いたのが「カーマスコット」だったのです。

クルマは何よりファッションだった。

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キツネ(1930年)

カーマスコットとは、当時のクルマのボンネットの鼻先にあったラジエータキャップにとりつける装飾のことです。

ラリックが手掛けるまでこのカーマスコットは金属製が主流でした。そこに時代の先端だったガラスを取り入れることで、新たな付加価値をつけ加えたわけです。

ところで当時、なぜカーマスコットが流行り、ガラスを使ったラリックのそれが特に支持されたのでしょうか。

答えはクルマが当時から単なる移動のための道具ではなく、ファッショナブルな自己表現をするツールだったからです。

1900年前後の絵画や写真をみるとそれがよくわかります。
たとえば、《ポワレのコートをまとったビビ》というジャック=アンリ・ラルティーグが撮ったヴィンテージ写真。ピピとはここに写った女性の名前。ポワレはポール・ポワレという有名なオートクチュールのデザイナーです。こうした時代の流行をあらわす被写体として、ファッショナブルな女性とクルマというものが選ばれていたことを示します。

あるいはタマラ・ド・レンピッカという女流画家の自画像にもクルマが描かれています。とてもあやしげな雰囲気ですが、グリーンのブガッティにのったとてもとがったイケてる女の象徴として、ハンドルを握る自分を描いたわけです。

というのも、この時代のクルマは特注が主流でした。高級車のなかにはシャーシとエンジンだけメーカーが供給し、ボディや内装はオーナーの好みで特注されていたものがあります。これは馬車の時代の名残りですね。おしゃれなお金持ちの最も贅沢な遊び道具。そうした文化的な位置づけがクルマにあったからこそ、個性的で他人とは違うデザインが求められていた。それを最もカッコよく表すツールが、カーマスコット。そして最先端の技術であるガラス工芸と、アールデコの意匠で、それを具現化させていたのが、ラリックだったんです。

男性が好む“趣味”の世界をモチーフにした

ラリックのカーマスコットを紹介してきましょう。

まず、どんなテーマが多いかというと、男性のホビーに関係あるものが多いんですね。というのも、当時のクルマは、先に述べたとおり持ち主のステイタスを示すおしゃれなアイテムでした。やはり男性が圧倒的にユーザーでした。そこで男性の、特に上流階級が好んだ趣味にまつわるモチーフがとても多かったわけです。

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ハヤブサ(1925年)

たとえば、上の写真。
テーマは「狩猟」です。昔、貴族階級は領地を持ち、そこに必ず森があった。スポーツの代わりに狩猟をしていた。だから、一番身近なのが馬と狩猟に使う鷲鷹類。特に、英国ではハヤブサは王族しか使えない鳥だったといわれてます。

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五頭の馬(1925年)

また、こちらは5頭の馬。1925年作の最初のモデルの一つで、初めは1頭だったそうですが、アンドレ・シトロエンに会ったことがきっかけで変わったそうです。シトロエンがつくった5CVがヨーロッパで最初の一般大衆車で量産車。大変画期的で誰もやらない新しいことをやる実業家だったわけです。ラリックはそれに感動して5頭にしたというエピソードが伝えられています。

ちなみに足がいくつも重なっているデザインはギリシャ時代の絵画でもみられる。ラリックは最先端だけど、実はものすごく古典を勉強し、作品に取り入れていました。

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カエル(1928年)

またトンボやカエルなど、昆虫や小動物モチーフも多くみられます。これは生物学などの学問的な意味ではなく、少年時代の思い出や、遊び相手としての生き物ではないでしょうか。少年時代の思い出が垣間見られます。

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スピード(1929年)

最後は裸婦像です。ラリックの女神像はとても有名ですが、まさに男性が好むモチーフとしてカーマスコットにも取り上げられ大いに人気がありました。

ラリックが手掛けたこうした「カーマスコット」は生涯におよそ30種類。ラリック全体のデザイン数は4300種類ほどあり、それからするとほんの一部に思えますが、あらためてみると《勝利の女神》をはじめラリックの代表作と呼べるような素晴らしいデザインが多いことに気づきます。

また、そのうちの21種類は1928年と1931年に集中してつくられています。その後、1937年の商品カタログには、カーマスコットの項目自体がなくなりました。クルマの構造が変わり、カーマスコットの需要がなくなり、そもそも取りつける人がいなくなった。お役を降りたということだと思います。

その後カーマスコットは、鋳型もあるしストックもあるので、台をつけてブックエンドにして売られたようです。あるいはペーパーウェイトとしても売られていました。

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「イスパノスイザ K6(1935年)・トヨタ博物館所蔵」に装着された「勝利の女神(1928年)財団法人鍋島報效会所蔵」この車両は旧佐賀藩主鍋島家の13代鍋島直泰侯爵が自らデザインしたボデーを日本人の職人に作らせ、所蔵していたもの。
写真提供:財団法人鍋島報效会

クルマをパーソナライズし、ファッショナブルにみせる――。
ジュエリー作家だったラリックが、そのカーマスコットによってその一端を担ったように、クルマの装飾、あるいはその存在には「自己表現」という意味が色濃くありました。当時の豊かなフランス文化が、クルマを通しても花開いたともいえます。そこには17世紀王制時代から続くファッションや芸術の伝統がありました。もっとくだけていうならば、おしゃれを競い合うことに命をかけるフランス人、その精神文化があってこその発想の賜物だと思います。だからこそ、今もラリックのカーマスコットは美術的な価値も高く、コレクターも大勢おり、ひとつの文化として残っているのだと思います。

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トークの様子

最後になりますが、私は数あるラリックの作品の中でもカーマスコットが特に好きです。ペーパードライバーで、まったく運転できないのですが、カーマスコットの話になるとナゼかとても興奮します(笑)。美術品といってよい美しさと、憧れをかきたてる存在。それだけの魅力を放つすばらしいものである、とあらためてお伝えして、話を終えたいと思います。

  • トヨタ博物館30周年記念トーク「移動は文化」より
  • 実施日:2019年6月30日(日)
  • 場所:トヨタ博物館 ホールAB(文化館1階)
  • 取材・文:坂本彩/箱田 高樹(株式会社カデナクリエイト)
  • 協力:トヨタ博物館

※紹介したカーマスコットは、特記してあるもの以外はトヨタ博物館所蔵

バトンタッチメッセージ

いわゆる文化と呼ばれるものの範疇に「移動」を入れる方は案外少ないのかもしれません。 しかしかつてシルクロードによる移動が東西文化の交流を促して新たな文化が生まれたように、エキゾチックな移動には文化を生み出す夢とロマンがあります。
港千尋先生によると「カルチャー」と「ホイール」の語源は同じだそうで、まさにわが意を得たような気がしました。トヨタ博物館のブックカフェ「CARS & BOOKS」のために選書していただいた幅允孝さんは、本のデジタル化の時代にあえてモノとしての本の存在意義を問われていました。たとえ情報が光の速度で伝達される時代にあっても人間が数百万年という時間をかけて磨いてきた五感で感じるものにはかなわない。質感を持った本が移動してはじめて伝わる体験なのでしょう。松任谷正隆さんとの対談の中では、文化のトレンドそのものが大陸を移動するという視点も話題に出ていました。おもしろいことに音楽文化もクルマ文化も、その時代の趨勢を握る所が発信源になっていくようです。文化はパワーとなることもあるようです。一見関係性のないガラスアートとクルマをつないだのはルネ・ラリックのカーマスコット。時として一人の天才が文化ジャンルを乗り越えていく力を発揮したことを専門家の池田まゆみさんの解説で時代背景とともに知ることができました。

「移動は文化」をテーマにクルマ文化とアートの接点を旅してきましたが、お楽しみいただけたでしょうか。またどこかでお会いできることを楽しみにしております。

トヨタ博物館 布垣 直昭

移動は文化 目次

1
移動は文化!
2
本とクルマは、なぜアートに近づくのか?
前編「モビリティが変わると、文化が変わる。」

3
「何だかわからないけれどよい」正義
特別対談 本とクルマは、なぜアートに近づくのか? 後編

4
移動はいかに文化を創造していくのか

5
車と音楽について語ろう。

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アールデコの巨匠は、なぜクルマに接近したのか。
「ルネ・ラリックとカーマスコット」
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