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シンポジウム「アートで介護~アートがひらくケアの可能性」レポート

先般当ブログでご案内したNPO法人ARDAトヨタ・アートマネジメントフォーラム2007参加団体)主催のシンポジウム「アートで介護~アートがひらくケアの可能性」(1月14日)に参加してきました。とても充実した内容でしたので、簡単ながらここにリポートしますね。

定員150人の会場は大盛況で、幅広い年齢層の人たちが集まっていました。主催者あいさつの後は第1部、鷲田清一先生の基調講演「高齢者にとってアートとは?」。先生は現代のアーティストが高齢者に積極的に関わるのはどうしてだろうと関心を持たれていたそうです。

鷲田先生_R.JPGのサムネール画像のサムネール画像

印象的だったのは"古いまちにあってニュータウンにない3つのもの"というお話。それは"大木""寺社(宗教施設)"、"場末(危険な場所)"で、それぞれに"人命をはるかに超えた時間""この世とあの世をつなぐ空間""裏社会に通じる場所"という点で、それらは"社会の抜け穴"である。世界に違和感を持ち表現を続けるのがアーティストであるとすれば、そうした"社会の抜け穴=社会の外側に視点をとる"という役割を今はアーティストが担っているのではないか、ということでした。

また、あらゆる場面で私たちは"できるorできない"で選抜・評価される。"老い"を一人でできることができなくなっていくと定義したとすると、高齢者は"できない"に属してしまう。そんな中で高齢者はアーティストの働きがけによって別世界に連れ出されるのではないか、"できるorできない"で判断される頚木(くびき)から降り、本当の形を取り戻すのではないか、ということでした。始終頷かずにはいられない内容で、あっという間に時間が過ぎました。

続いて第2部はARDAが続けてきたアートワークショップ「アートデリバリー」の映像が上映されました。「アートデリバリー」と聞くと、例えば演奏家が施設に出向いて演奏を披露するような風景を思い浮かべるかも知れませんが、そういう活動と「アートデリバリー」の雰囲気は随分違っているように感じました。どちらかというと前者が一方的なのに比べ、後者は双方向的とでもいうのでしょうか。「アートデリバリー」開催時の高齢者のいきいきとした様子、また絵や動作など彼らの表現の豊かさに、会場では幾度となくどよめきが起こりました。

第3部はパネルディスカッションです。コーディネーターは上智大学総合人間科学部教授黒川由紀子氏、パネリストは第2部の映像にも登場したダンスアーティスト新井英夫氏、大阪大学コミュニケーション・デザインセンター特任教授西川勝氏、「アートデリバリー」を受け入れられた「上井草ふれあいの家」元所長の藤山邦子氏、ARDA代表の並河恵美子氏という顔ぶれです。

パネルディスカッション_R.JPGのサムネール画像

藤山氏と並河氏が話されたのは、アートの可能性を世に提示する際に伴う不安や周囲のネガティブな反応にどう対応したかなど、とても具体的なものでした。また、藤山氏が紹介する「アートデリバリー」を経験した施設職員の声は、ワークシップの現場でアーティストが発した強烈なエネルギーや、それを察知し内面で感じ受け入れ変化していく高齢者の様子をありありと感じさせるものでした。

新井氏からはアーティストにとって「アートデリバリー」のような機会がいかに刺激的であるかを、また西川氏からは人をケアするということは本来どういうことであるか、そこにアートが入り込むことで何が生まれるのか、などの意見が出されました。介護も医療も人と人とが"今ここで起きること"に向き合うことであり、どちらか一方が未来を計画し得るものではないこと、それは"人々がともにいて予測不可能な何かが発生する"アートと通底するのではないか、ということでした。

どの方のお話も現場にいるからこそ発せられる説得力に満ちていて、もっと聞いていたいと感じるシンポジウムでした。

"介護+アート"のはじまりは、壁に絵画をかけるようなことだったかも知れません。それが今やこんな深いところにまで入り込んでいるのかと驚き感激したひとときでした。こうした確実な実績が、次なる広がりへつながると信じずにはいられません。活動を続けてこられたARDAのみなさんに心からの拍手をお送りするとともに、その取り組みにこれからも注目していきたいと思います。

写真提供:NPO法人ARDA

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