アートマネジメント事始め

イントロダクション/アートマーケティングの必要

はじめに

 私が大学のゼミで教えている学生、つまり皆さんのようにアートマネジメントに関心を持ちつつある人々の間では、「○○というアートの分野は、内容的にとてもすばらしいのに、あまり人々に知られていなくて残念だ」という言い方がよくされます。皆さんもアートマネジメントに関心を持つ限りは、現代美術、日本映画など特定の分野、あるいは特定の作家、アーティストなどに強い興味を持ちつつ、その分野・作家がより人々に知られるよう、何とかがんばりたい、と思っていらっしゃるのではないでしょうか。それを実行に移すために必要なのが、アートマーケティングという考え方です。

 ここで「マーケティング」という言葉の定義をご紹介しましょう。かなり難解なものですが、「顧客のニーズを予測・把握し、それに対して効率よく、利益を出しつつ応えていくためのマネジメントのプロセス」というものが一つあります。これではわかりにくいので、あえて極端に単純化した説明をすると、「商品・サービスをより大量に売るための工夫」とでも言えましょう。
 例えばペットボトルの飲料を例に考えてみましょう。メーカーは、味やパッケージなどの開発に投資を行い、メーカー側が「これはすばらしい」と思える飲料をつくっていくわけですが、これは消費者に買ってもらわないと何の意味もありません。どれほどすばらしい製品であったとしても、それが工場に山積みされていては、企業にとっての収入にはなりませんし、そもそも、モノをつくる意味すらないからです。

 生産した飲料を一つでも多く消費者の手元に届けていくために、さまざまな工夫が必要になってくることは想像に難くありません。一般には、モノを売るためには「広告が必要」と思われがちですが、広告に限らず、販売促進のためのキャンペーンをどのように組むのか、定番商品と新製品の組み合わせをどのようにしていくのか、どのような種類の店頭に並べていくのか、そのために流通の仕組みをどのように整えていくのか、といった懸案事項は多くあります。開発した飲料は、若い人に受け入れられるものなのか、それとも世代を超えて売れそうなのか。あるいは、そもそも、消費者がどのような飲料を求めているのか、それに応える商品は他社のものも含めて存在しているのだろうか、といった調査が必要な場合もあります。
 このような、モノをつくり、消費者の手元に届けていくための手段全般をマーケティングと言います。

 さて、長々と飲料を例に述べてきましたが、同様の活動が、アートの分野に存在しているでしょうか。私は、日本のアートマネジメントにおいては、意識的・組織的なマーケティングは、未発達であると考えています。特にこれが発達しているのは、アメリカ、イギリスなどの国ですが、それに比べて、日本のアートマーケティングはまだ啓蒙の段階にあるようです。
 そこで、以下、第一に、そもそもなぜアートにマーケティングが必要なのか、その意義と目的を説明します。続いて、ではどのようにアートマーケティングを行うべきか、その基本を述べます。ここで「アート」と飲料のようなものを一緒に考えることはできないだろう、と抵抗を持つ方もいらっしゃると思いますので、第三には、アートマーケティング独特の事情、形態として「鑑賞者開発」という概念も紹介します。そして最後に今後の可能性を展望します。

1. アート・マーケティングの必要

 最初に出した、「あえて極端に単純化した説明」にあるように、マーケティングとは「とにかくたくさん売ること」というイメージを持つ限りにおいて、アートとマーケティングが結びつかないのは当然のことと言えましょう。しかし、今日のアート団体、アーティストには、発想を転換させて、マーケティングを自分たちの活動の中の重要な一面として位置づけることが必要となっています。

 その理由の第一は、アートのマネジメントにおいて、お金の管理、特に事業収入の確保が重要な意味を持つからです。アーティストたちはお金のために仕事をしているというつもりはあまりないかもしれませんが、そのマネジメントにあたる人たちにあっては、可能性のある収入があれば、損を覚悟ででも行いたい活動に充てられるよう、少しでも多くの収入を得ていくことには大きな意義があります。

 第二には、アーティストたちにとって、より多くの観客に見てもらえること自体には、芸術的意義があります。表現を自己満足に終わらせるのではなく、観客に喜んでもらうという反応を得たり、あるいは批判を受けることで、次への活動が生まれていくものです。観客・聴衆との対話を抜きにした芸術活動というものは、本来想定しにくいはずです。

 しかし、より大きな意義を持つのは、次に述べる第三の点で、これは一見、第一の方向性とは逆に見えます。近年の日本においては、非事業収入としての公的補助金・助成金や企業メセナが増えたがために、アート団体において、マーケティングに力を入れる必要が生まれてきたのです。非事業収入である助成金が増えているのだとすれば、マーケティングによって事業収入(例えば公演の売り上げ)を増やす必要はないのではないか、と思われます。実際、例えばイギリスでアートマーケティングが発達した背景には、政府による芸術支援の削減という事情がありました。

 しかしおもしろいことに、支援が拡大することもまた、マーケティングの必要につながります。特に企業メセナの担当者においては、「確かにあなた方の演劇は芸術的にすばらしいかもしれない。しかし、それでは劇場はなぜ空っぽで、団員の身内しか観に来ていないのですか」という疑問を当然持つわけです。お金を出す側にしてみれば、もちろん芸術的内容への共感がベースにありますが、それだけでは不足である、それが社会とどのように関わろうとしているのか、ファン層だけではなくより多くの人々に感動を伝えようとしているのか、という観点から申請をチェックすることになります。公的助成においても、今後はこのような視点はますます重要になってくるでしょう。

 こうしてみると、マーケティングは、経済面、芸術面、アートの社会性といった3つの意義を持つことがわかります。イギリスを中心とするヨーロッパ諸国およびアメリカでは、1980年代より、当初は経済的目的のためにアートマーケティングが発達しましたが、その後、芸術面、社会面からの意義も見出されるようになり、発展を遂げてきました。日本でもおそらく今後はそういう方向に動いていき、アート団体にとっての生き残り戦略の一つになると思われます。

(2007年1月15日)

次回は、「アートマーケティングの基本:現状分析」です。市場調査の重要性、利用者ニーズの調査、利用者属性の調査、SWOT調査・分析について解説します。

 

プロフィール


河島 伸子
(かわしま のぶこ)
同志社大学経済学部教授

電通総研研究員、英国ウォーリック大学文化政策研究センターリサーチフェローを経て、 1999年より同志社大学経済学部にて、文化政策論および文化経済を教える。社会政策・行政学修士、法学修士、PhD(文化政策学)。共著に『文化のパトロネージ』(1991、洋泉社)、『企業の社会貢献』(日本経済新聞社)、『NPOとは何か』(1996、同)、『文化政策学』(2001、有斐閣)、『アーツ・マネジメント』(2002、放送大学教育振興会)など。放送大学にて2002年より4年間にわたり「アーツ・マネジメント02」を担当し、アーツ・マーケティングや鑑賞者開発の重要性を教えた。他に、英国における博物館・美術館の運営、文化政策の地方分権、文化政策の国際比較、鑑賞者開発奨励策の効果についての論文がある。日本文化経済学会理事、日本NPO学会理事、国際文化政策学会学術委員。

おすすめの一冊

『Standing Room Only』
(P. Kotler and J. Shceff, Harvard Business School Press, 1997)

『Creative Arts Marketing, Second Edition』
(L. Hill et al, Butterworth Heinemann, 2003)

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