ネットTAM

もやもやが消えることはないけれど...

──SETENV(セットエンヴ)入江拓也さんインタビュー

はじめに

アートマネジメントのリアルを共有した「TAMスクール」(2021年6月開催)から一歩進み、「みんなが抱える"もやもや"に向き合う」ことからアートマネジメントにかかわる人・モノの関係性の網目を新たに編み直そうと開催された「TAMスタジオ」。

アートマネジメントの現場を長年支えてきた方が「アートマネジメントを志す大学生がいたら、自分は『まずはアーティストを目指せ』と助言する」と話していたことがある。私は、この言葉にある重みめいたものを感じた。アーティストではなく、一人では動くことが難しいことが多々あるアートの現場を支えることを選んだ私たち。

私は「TAMスクール」・「TAMスタジオ」に参加して、「もっとアートマネジメントの現場にかかわりたいけれど、どうやって現場に入ったらよいのか、わからない」、「現場は楽しいけれど、給料が安くて生活がままならない」、「誰かに相談したいけれど、今の悩みは単なる自分の甘えのような気がして、誰に相談してよいのかわからない」など、さまざまなもやもやの声を聞いた。私自身もこの先、どうやって自分で自分をメンテナンスしながら走り続けるのか、自身が戸惑ったことを無意識に下の世代に強要してはいないかなどのもやもやを抱えながら、日々過ごしている。

そこでもやもやを抱えながら走り続けるヒントを得るべく、ネットTAMの立ち上げから現在に至るまで、運営事務局のメンバーとして活動してきたSETENV(セットエンヴ)の入江さんに「もやもや」を抱えがちなアートの現場を支えるひとに寄り添い、都度、必要なサポートを行ってきた20年についてお話をうかがった。

松本 知珠
(公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場(アーツアカデミー研修生))

入江拓也

入江拓也氏

1978年鳥取県生まれ。
2002年東京大学文学部行動文化学科社会学専修課程卒業。
高校時代から興味の赴くままに乱読を重ね、上京後は様々なジャンルのものを直接観ることに情熱を注ぐ。 その体験をベースに、大学の同級生である井上亮、光岡寿郎と2000年に掲示板(BBS)を設立し、気になるものの情報紹介を始めることから、SETENVの活動をスタート。以降、芸術文化や大学関係のウェブの仕事を中心に、Variations on a Silence─リサイクル工場の現代芸術」(2005)、「3-part in(ter)ventions」(2009)、「Filaments Orchestra」(2013)等のイベントや映像制作、書籍などの編集・制作を手掛ける。
2011年から2016年までアサヒ・アートスクエア運営委員。
2018年から、美術家の加藤泉氏が設立したPotziland Records(ポッチランドレコード)のプロデューサー/ディレクターを務める。
美術や音楽、アカデミックの多様な現場に関わること、アーティスト、キュレーター、ミュージシャン、デザイナー、研究者らと協働してかたちにしていくことを心から愛する。
レコード、CD、書籍、雑誌などの実体のあるモノが大好きで、引っかかったものを集め続けている。

https://www.setenv.net/

芸術文化にかかわる環境、現場を支えていきたいという思いをきっかけに

私は、2000年11月よりSETENVとしての活動を始めました。当時、芸術文化方面で効果的にウェブサイトを運用している方が少なかったので、直接的なプレイヤーというよりもウェブサイト制作・運用を通して芸術文化にかかわる環境、現場を支えていきたいという思いが私の原点にあります。

1996年より開催し、ちょうど通算50回目のセッションとなった、ネットTAMの前身であるトヨタ・アートマネジメント講座の「名古屋大会2003 これでいいのか? アートマネジメント!」(2003年10月開催)及び、最後の「東京会議2004 次世代からのマニフェスト―TAMスピーチ大会―続・これでいいのか?アートマネジメント!」のウェブサイトを制作しました。その後、講座全体のアーカイブを中心とするサイト「ネットTAM」を制作することになり、現在までご縁が続いています。

ネットTAM立ち上げ当初は自分よりも上の世代の方とご一緒することが多く、上の世代の方に育てていただきながら活動を行ってきたのですが、最近は次の世代が登場してきて、自分は上の世代と次の世代の間にいるという感覚があります。TAMスクールに登壇していただいた野田智子さんやTAMスタジオにも参加している田村かのこさんなど、これまでの方たちの活動を継承しつつも、ご自身の方法で活動のフィールドをつくられ、活躍されていることはすごくいいことだなと思っています。

なかなか変わらないこともありますが、次の世代の方たちにどんどんバトンタッチして、のびのびと活動できる環境をつくることが、40代半ば以上の私たちに求められていることではないかと考えながら、この数年は仕事をすることが多くなりました。

コロナ禍のこの3年で、芸術文化を巡る環境は大きく変わりました。この3年で芸術文化の現実や芸術文化が抱える課題がよりクリアに見えてきたところもあるので、ここまでの約20年間、芸術文化を支えてきた人たちと一緒に協働してきた経験を活かし、現場を支える人だけでなくアーティストや鑑賞者・事業者も含め、芸術文化全体の土壌をどのように耕していくのかに注力していきたい気持ちが強まっています。これは短いスパンでできるものではないので、これからの5年、10年、20年を見据えて、活動していきたいです。

20年での変化、子どものころからアートに触れてきた世代に感じる可能性

この20年での変化のひとつに、2000年代、日本の各地でさまざまなアートプロジェクトや芸術祭が開催されたことがあります。もちろん80年代、90年代にもそういったアートに関する動きはありましたが、2000年代から「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(2000年から)、「横浜トリエンナーレ」(2001年から)などが開催されるようになり、子どものころからさまざまな場所でアートに触れてきた世代が現在、大学生になり、現場に関わろうとしています。私自身はまだ直接的にこの世代の人たちと関わっていませんが、大学で教える友人、知人の話などを通して、この世代に可能性を感じています。

2023年1月に開催された「ART JOB FAIR」では、コロナ禍でなかなか現場を経験することができなかったけれど、芸術文化の現場で働きたいと真剣に考える大学3・4年生が多く参加したそうです。彼ら、彼女らはただ芸術文化の現場の声を聞くだけでなく、参加者同士で自己紹介をはじめ、つながりを築いたりもしていたと聞き、とても頼もしく感じました。90年代以前からアートマネジメントを支えてきた第一世代がそろそろ引退や立場を変えるようになり、第一世代のもとで働いてきた50代・40代、そしてさらに下の世代、子どものころからアートに触れてきた世代が現場に入ろうとしている現在、先程も話しましたが、20年以上現場にかかわってきた私たちがいかに下の世代が活動しやすい環境をつくることがとても重要だと考えています。

何かを犠牲にしなくても活動できるように

TAMスタジオではファシリテーターの田村かのこさんが参加者の心理的安全性に配慮した運営を行っていることを見て、これは非常に大切だと思いました。

私たち世代は、現在では望ましくないとされるものを無意識的に行っている可能性が残っています。これまで日本は、何らかのものを犠牲にしないと芸術文化に関われない、視点を変えるとやりがい搾取と呼ばれるような状況があり、この状況が変わらなければ、クリエイティブなものが生まれる可能性も減っていき、才能のある人材はどんどん海外に行ってしまうのではないでしょうか。コロナ禍でこの現場に対する危機感がより顕在化してきたように思われます。

フラットに誰もが話せる、風通しのよい現場で生まれたものは気持ちがいい

美術の世界において、キュレーターをトップとしたピラミッドタイプの現場は多くありますが、神奈川芸術文化財団の中野仁詞さんの現場は、フラットに誰もが話せる、風通しの良いもので、アーティストやテクニカル担当など、現場関係者を一堂に集まる場を設定し、早い段階で企画を共有し、関係者が遠慮なく意見を出すことができる環境でした。いろいろ大変なことはありましたが、やはりそこで生まれるものは気持ちが良く、関係者それぞれが現場を通して成長するんですよね。中野さんのような現場のつくりかたをもっと広めていきたいと思っています。

もやもやを抱きながら、10年の壁をどう乗り越えていくか

芸術文化の現場に関わって5年から10年未満で、それで食べていくのが難しいと現場から離れていく人が増えている印象があります。芸術への愛があっても、生活するためにお金を稼がなければならないし、難しいですよね。
私はSETENVの活動を始めてからちょうど5年目に「Variations On a Silence ― リサイクル工場の現代芸術」の企画・制作を担当しました。これまでの仕事はこのプロジェクトのためだったのではないかと思うぐらい、つながりをフルに活かして、1から10まで関わってつくりました。このプロジェクトを経験したからこそ、この後はどんな仕事が来ても乗り越えられると思えるまでになりました。

続けていると、数年周期で自分を成長させてくれる仕事が入ってくるんですよね。私の場合は、自分で何かを表現したいというより、出会いのなかで、相手や場所などの意向を受け、サイト・スペシフィック的な発想で、都度、全力投球して仕事を行ってきました。良くも悪くも楽観的なところがあるので、ここまで続けられてきたところはあると思います。20代の早い段階で、現場で濃密な時間を過ごしたことも、その後、活動を続ける上で大きく影響したと思います。

プロジェクトごとに最適なアウトプットの仕方は異なるし、アウトプットにプロジェクトの思想や美学が必然的に現れると思うので、少しでも多くの人に届けられるように、今後も丁寧に仕事を行っていきたいし、その経験を伝えていきたいです。

おわりに

活動を続けていく限り、もやもやが消えることはない。

けれどもやもやを一人で抱え込み過ぎず、時には自分のもやもやを打ち明け、時には周りのもやもやを受けとめる。もやもやをエンジンに、入江さんのように一緒に現場を過ごした人と時間を信じて、これからも走っていきたい。

(2023年3月30日)

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