第2回 アートの現場視察
アートサイト名古屋城2024(愛知県名古屋市)
ファシリテーター:野田智子さん[アートマネージャー/Twelve Inc. 取締役]

Introduction
「ここからはじめるアートマネジメント」をテーマに、通年の開催でスタートした、2024年のTAMスタジオ。次代のアートマネジメントを考える場として、今年も多様なプログラムが企画されていますが、そのうち2回、まさに今動き続けているアートプロジェクトの現場に赴き、みんなで体験しながら考える、という機会を設けています。
今回のレポートは、その現場視察の2回目。ファシリテーターの野田智子(以下、野田)さんが自らプロデューサー・プロジェクトマネージャーを務めているイベント「アートサイト名古屋城2024」にうかがいました。
どのようにイベント全体を設計し、参加作家や多くのスタッフとともにどんな作品や展示をつくり上げていったのか、また、約1カ月におよぶ会期に際し、会場をどのように準備・運営しているのか。世界的に知られた史跡を舞台に、現代アートの大規模なプロジェクトを実践する現場を、全国各地から集まった11名のスタジオメイトたちが巡る様子をレポートします。
名古屋城に現れた現代アートの数々と、その"裏側"を探って
国内屈指の城郭として国の特別史跡にも指定され、国内外から年間200万人以上もの人々が訪れる、"有名観光地"名古屋城。その広大な史跡を舞台に、2023年、初めて開催された「アートサイト名古屋城2023」は、好評を博しました。
プロポーザル方式を経て、2024年も引き続き野田さんがプロデューサーを、愛知県出身・在住の服部浩之さんがキュレーターを担当。今回は"観光地としての名古屋城"からインスピレーションを受け、観光する行為そのものから導き出した、『あるくみるきくをあじわう』をテーマに、11月28日(木)から12月15日(日)まで開催されました。
そもそも「アートサイト名古屋城」は、すでに恒例行事として行われてきた「名古屋城秋の特別公開」として企画されています。普段は入ることのできない、本丸御殿などを見学しようと、多くの観光客が足を運んでおり、敷地内でアートイベントが行われていることを予めご存知ない方々や、作品の鑑賞が主目的ではない方々も多い、という点は、本アートイベントの特徴の一つともいえるでしょう。
お天気に恵まれた視察当日は会期中最後の週末にあたり、たくさんの来場者でにぎわっていました。「アートサイト名古屋城」コーディネーターの近藤令子さん(以下、近藤)のご案内のもと、東門から敷地内へ。巨大な会場マップの前でイベントの全体像と概要の説明をうかがった後、さっそく各所に展示された総勢6組の展示を歩いて巡ります。
視察に際して近藤さんから、注目してほしいポイントのお話もありました。
近藤:皆さんには作品を単純に楽しんでほしいし、いち鑑賞者ではあるけれど、今日はそこから少し俯瞰した視点で、この名古屋城でアートプロジェクトをやるってどういうことなんだろう?と考えながら見てもらえたらうれしいです。どのように城内でつくられているのか、たとえば、私たちがいま一緒に見ている看板などのサインや全体マップ、無料で配布されているガイドブックも、すべて、アートプロジェクトをどう見せたいか、という視点が根底にあって、来場者にどうやったら伝わるか、をしっかりと考えてつくっています。なので、視察しながら、「こういうのがあったらもっとよかったかも」という気づきがあるとよいですね。
全国的な知名度の「名古屋おもてなし武将隊」が、恒例イベントで来場者を盛り上げる様子を横目に、まずは二之丸庭園の周辺へ。スタジオメイトそれぞれがじっくりと作品を鑑賞しながら、近藤さんからの作家や作品の紹介に、じっと耳を傾けます。
まず見えてきたのは、開けた場所にある一本の銀杏の巨木。狩野哲郎さんの作品《一本で複数の木》です。近づいてよく見ると、榎や樟など、複数の種類の樹木が絡み合っていることに気づきます。
狩野さんは、既製品や木材に加え、樹木や植物の種子、果物などを迎え入れて立体作品を制作し、時には意図的に作品内に鳥を放つなど、人間にはコントロールできない生態や環境に呼応するような活動を展開してきた作家です。
狩野さんは他にも、多くの来場者が行き来する広場の脇にある雑木林で芽吹いたバナナの木々や、60年以上前から使われる円形の噴水のような水飲み場を使った作品など、いずれもこの場所ならではといえる、ユニークな作品を展開していました。
名古屋市出身の歌人・千種創一さんと、名古屋市でギャラリーや出版活動も展開する独立系書店ON READINGによる、短歌を用いた作品群は、回遊式庭園の美しい風景と見事に調和。美しく情緒的な風景に、たくさんの観光客が写真を撮っています。
近藤さんからは、短歌の詠み手と、それを読む読み手との境目の曖昧さを、鏡という媒体で表現した作品《the Garden》について、作品としてかたちづくり、安全に展示するまでの一連のプロセスを担うインストーラーの存在と重要性が語られました。
本作は、一見、鏡に見えますが、実は鏡面仕上げのステンレスの板が用いられているそう。また、鑑賞者の安全を第一に、かつ庭園内の岩に傷がついたり、地面に穴が開いてしまったりしないように、史跡ならではの細かな制約を踏まえて設営されています。心動かされる展示の場になくてはならない、インストーラーという仕事。すべてを担当された、ミラクルファクトリーの皆さんの技術が光っていました。
本丸御殿の中庭へ移動すると、久保寛子さんによる二対の大きな彫刻作品《水の獣》が設置されています。
久保さんは、展示を行う地域や場所にまつわる物語や伝承をリサーチし、災害復旧や工事現場で使われる工業用のブルーシートや防風ネットを用いた作品などを制作する作家です。
本展では、火災から城を守るとされるシャチホコが創作の起点に。そのルーツは水を司る神獣マカラにあるとされ、さらにさかのぼれば、古今東西の神話に登場する龍が起源といわれています。西洋では災いをもたらすマイナスのイメージですが、東洋では反対に、水を司る守神として崇められている龍。加えて、水害とともに歩んできた尾張名古屋の歴史にも思いをはせながら、久保さんは制作したそうです。
同じく、リサーチをベースに制作する菅原果歩さんの作品《青い鳥が棲む場所》は、旧陸軍の弾薬庫として使われ、現在は登録有形文化財に指定されている、通称・乃木倉庫の内部で展示されていました。
現在、東京藝術大学大学院に在籍し、野鳥を対象に撮影、制作、フィールドワークによる膨大な記録をノートにまとめる、という制作スタイルを続ける菅原さん。今回は名古屋城に棲むカラスに着目し、名古屋に1カ月滞在。時には特別な許可を得て敷地内で野営しながら、カラスたちの様子を観察し続けたそうです。
収集された羽根や植物などとともに、ドローイングや分厚いフィールドノートが置かれて、印象的な展示に。障壁画のように大きくプリントされた写真作品は、サイアノタイプという日光を用いた古典的な技法が用いられており、不吉な印象をもたれがちな黒いカラスが、かつて神の使者として神聖なイメージをもたれていたことを想起させるように、幸せを呼ぶ青い鳥の姿で表現されていました。
史跡という場でアートプロジェクトを立ち上げる意義と醍醐味
さて、「アートサイト名古屋城」に参加しているのは、現代を生きる作家だけではありません。『あるくみるきくをあじわう』のテーマを象徴するような二人の作家についても、場内を巡りながら理解を深めていきました。
一人は、江戸中期、名古屋城下の武士の家に生まれ、絵師としてこの地に暮らしていた高力猿猴庵(こうりき・えんこうあん/1756~1831)。城下町を日々歩き、庶民の暮らしや風俗を丹念に描いた図絵を多数残しています。
もう一人は、美濃国(岐阜県)に生まれ、江戸から明治期の日本各地を、放浪しながら生きた旅人、蓑虫山人(みのむしさんじん/1836~1900)。自ら考案した、折り畳み式の収納ボックス「笈(おい)」をリュックのように背負い、造園や考古学の知見なども活かしながら、その土地に暮らす人々と交流し、各地の暮らしや風景を描き続けたそう。
生まれ育った名古屋で一生を過ごした高力と、全国を放浪し続けた蓑虫。対照的な人生を歩んではいますが、どちらも尾張名古屋の文化や、当時の人々の日常をつぶさに見つめ、独自の視点で生き生きと、かつユーモラスに描き残しています。
作品の画像が、大きなサイズでプリントされた展示をながめるスタジオメイトからは、思わず笑いが。日常でも旅先でも、その場所で出会った出来事を、どのような気持ちで記録し共有しようとしていたのか。現代のSNSのような即時性はないですが、誰かに伝えたい・分かち合いたい、という思いは、今を生きる私たちとなんら変わりがないように思え、キュレーションの意図に納得しました。
そもそも『あるくみるきくをあじわう』とは、民俗学者の宮本常一(1907~81)が、旅の基本とした「歩く」「見る」「聞く」から着想を得た言葉。著書『忘れられた日本人』などで知られる宮本は、1960~80年代に「観光文化研究所(観文研)」を立ち上げ、全国各地から集った若者らに旅の資金を援助したほか、機関誌『あるくみるきく』を発行し、彼らが寄せる文章を掲載していた人物でした。
予定時刻を30分ほどオーバーしながらも、まさに『あるくみるきくをあじわう』ように、たくさんの見どころを存分に巡ったスタジオメイトたち。本丸御殿内の孔雀の間で野田さんと合流し、車座になって座ると、視察を終えての気づきや、考えたことをシェアしていきました。
小学生のとき以来、約10年ぶりに名古屋城を訪れた、というスタジオメイトは、
「訪れるまではピンと来ていなかった、現代アートとお城の組み合わせやイメージ・印象が、訪れて一瞬で変化して驚いたし、蓑虫山人の書籍を読んでみたくなりました」と語り、別のスタジオメイトは、「もし自分で名古屋城を訪れていたら、さらっと見学するだけだったと思う。作品が庭園の奥の方まで展示されていたので、色々と歩き回って巡ることができて楽しかったです。」
また、会期中、ナイトミュージアムの準備や運営に、アルバイトスタッフとしてかかわったスタジオメイトからは、「本当にいろんな方々がこのイベントを支え、参加することででき上がっていることがわかったし、夜と昼という時間帯の違いなどで、いろんな層の来場者が訪れていたのがおもしろいと思いました」という声もあがりました。
一方、事業費や、プロポーザルから実際に会期がスタートするまでのスケジュールについて、という実務的な質問も。
野田:文化庁の助成などはなく、名古屋市からの委託事業費で運営しています。2023年に初めて開催したときは、名古屋城の秋の夜間特別公開に合わせ文化芸術を活用した企画運営をしてくれる事業者の募集、つまり公募型プロポーザルがあり、私の会社であるTwelve Inc.が手を挙げ、企画提案の書類審査と面接を経て決定しました。
で、2024年も同様のプロポーザルが2024年2月に出たのでチャレンジし、選考を経て3月に当社に決定。年度が切り替わった4月から準備をスタートしました。キュレーターとはテーマの部分から相談を行い、アーティストの選定もしたうえで提案資料を出しています。その時点で参加アーティストにもプロポーザルに出したいと声をかけていました。決定後は変更が発生することもなくほぼ提案通りで進みました。実際にアーティストが名古屋城へリサーチに来たりしたのは5月中旬くらいからかな。
充実したガイドブックの内容、特にアーティストが問いかけに答える「蓑虫山人とあるくみるきく」がユニーク、という声や、「キュレーションされた作家陣が、いろんな表現の領域の方々になっていて絶妙。」という声には、
野田:ガイドブックの制作には、私とキュレーターの服部さんに加え、編集者の浪花朱音さんにもかかわってもらいました。展覧会のコンセプトやテーマを、蓑虫山人の人生そのものから発想していたから「彼(蓑虫山人)からの質問」という形式にしてみたらおもしろいんでは、と浪花さんが提案してくれて。
作家の選定やテーマは、最初に私から"人の営みにフォーカスしたい"とテーマの方向性を提案し、服部さんとTwelve Inc.の山城大督とでキャッチボールする中で"観光"というコンセプトが出てきました。その中で服部さん自身が以前から関心を持ち調査していた蓑虫山人のことが出てきて。蓑虫山人の作家像や、名古屋城という場所性を話し合う中で、他の作家をお互いに提案しながら進めていきました。服部さんとたまたま同じ作家を提案することもあったりして、初回である2023年の経験を生かしながらプランを練っていきました。
さらに 「名古屋城という、アート作品がなくてもおもしろい、成立している場で作品を展示するのは、作家の方々も楽しんで取り組んでいそう、というか、よい意味でプレッシャーがかかっていたのでは。展覧会とも芸術祭とも違うようなユニークさがあった。」という声も。
野田:2023年の提案書では、「アートプロジェクト名古屋城」というパッケージでプレゼンしていて。最終的に「アートサイト名古屋城」という名称となりました。いってもらった通り、美術館や展覧会を見せるための空間ではなく、史跡という前提の場所で、アートをどのように配置するか、どう位置づけて展示するのか。史跡をアートの場所=アートサイトにするというコンセプトをそのままストレートに表現しています。あと、「アーティストが楽しそう」っていう感想はすごくうれしい。たとえば狩野さんは今回4作品を展示しているけれど、リサーチしに来てこの場所をすごくおもしろがり、点在したプランを提案してくれた。実は5作品あったのを一つ削ったほど。この場所や状況にどうかかわるか、モチベーションを高く持ってプランを考えてくれているのが伝わってきました。
と、知られざるエピソードが語られました。
名古屋が地元だ、というスタジオメイトからは「アートサイトがなかったらわざわざ来ていなかったかもしれない。地元の人が訪れるきっかけにつながっているかもしれないのはよいな、と思いました。ただ、自分はどうしても、観光客の人の声とか、アートを見に来ていない人たちの存在が気になってしまうかも。野田さんはどのように考えていますか?」という問いかけには、
野田:たしかに、そもそもここは名古屋城を目的に訪れるところで、"アートを目的に見に来ている人がいない空間"だし、普段ない場所にアートがあることに違和感を抱いている人もいる。でも私は、それ自体悪いことだと思っていなくて。ただ、これをきっかけに「めちゃくちゃおもしろい!」って思ってアートに興味をもつ人が少なからずいるかもしれない。その可能性をひろげるために、偶然の出会いだとしても、アートがある状況というのを確実につくりたいし、"アートっておもしろいかもしれないよ"っていうメッセージをどうやって入れるか、は大切にしていて。たとえば、作品のスケールを大きなものにしたり、嫌でも目に入る大きな看板をつくったり、ちゃんと読める文字の大きさで作品を解説するパネルをつくったり、ガイドブックをしっかり編集したり。そういう出会いの"門"みたいなものを、どう設計するか、は、自覚的に取り組みたいと思っています。
さらに、行政の担当者の側からアートマネジメントにかかわることに関心を持つスタジオメイトから、「集客に困っていないはずの名古屋城で、現代アートを展示するって、もしかしたら反対意見がありそうな責めた企画だと思うのに、行政はよくOKをしたと思う。どんな経緯があったのか、とても気になります。」という率直な問いかけには、
野田:いま、文化庁をはじめとする国全体で、文化財や史跡を保存修復するだけでなく積極的に「活用」していこう、という方針があって、名古屋城では、敷地内で定期的にマーケットを開いたり、季節ごとにお祭りをやったり、新しい活用方法を積極的に実践しているんだよね。この企画のフレームもその一環で、文化芸術の企画と史跡文化財の特別公開を組み合わせて、文化財や史跡を「創造的に活用する」と始まった枠組。文化芸術の企画といっても現代アートに限らず、パフォーミングアーツや映画、メディアアートなど幅広い取り組みを募集しているから、行政側も歩み寄ってくれているのかな、と思います。
そして最後に「もちろん史跡そのものに見ごたえがあるけれど、アート作品が置かれていることで、その背景や歴史をよりリアルに感じられるんじゃないかな、と思ったし、とても印象深かったです。」という声に、野田さんは
野田:ありがとう!アート作品を通じて新しい名古屋城の見方を提示できることはねらいでもあります。美術館での展示と違って、とにかく敷地が広くて、誰が観に来てくれているかもわからないので、こうやって鑑賞者の生の声を聞けるのはありがたいです。
今回、私はプロデューサーという立場でかかわっているけれど、私がプロデュースしたのではなくて、10名ほどの企画チームメンバーが、それぞれの職能といろんなアイデアを持ち寄ってできた賜物だと思っています。美術館のような既存の場所でやることのできない試みそのものを、"見たことのない風景をつくる"というモチベーションで取り組んできたので、それを今日、みんなに見に来てもらえたのは、とてもうれしいです。
今回の企画チームは、2023年に開催した前回とほぼ同じメンバーで実施しました。もし2025年も同じ公募が出たら、間違いなくチャレンジしたい。開催することになったらこの名古屋城に次はどんな風景を起こすのか、見に来てもらえたらいいな、と思っています。
と笑顔で応え、大充実の現場視察は終了となりました。
レポート概要
- 開催日:2024年12月14日(土)
- 会場:名古屋城秋の特別公開「アートサイト名古屋城2024」
- ゲスト:
近藤令子さん[「アートサイト名古屋城」コーディネーター/アートラボあいち マネージャー/アートプログラムユニット「フジマツ」] - ファシリテーター:野田智子さん[アートマネージャー/Twelve Inc. 取締役]
- 取材者:Naomi(メセナライター)
服作りを学び、スターバックス、採用PRや広告、広報、ファッション誌のWebメディアのディレクターなどを経てフリーランスに。学芸員資格も持つ。https://lit.link/NaomiNN0506 - 写真撮影:ネットTAM運営事務局