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アートと地域の交点を地域側から考える

執筆:中川 直幸
(ことくらす合同会社 代表社員/まるごと美術館 キュレーター/NPO ANEWALGallery 理事)

TAMスタジオに参加して

「個人的なもやもやを解消する」というコピーが冠されたTAMスタジオ。1回目の対面式のミーティングを終え、色々と考えたことを、アカデミックな言説や政府統計などの数字を「時間がない」という理由で引用せず、ブログのようなかたちで、吐き出すことにした中川直幸と申します。

時間がなければ出さないという選択もできたのですが、エッセイぽくなったとしてもかたちにしておこうと考えたのには2つの理由があります。

一つは、アート×地域のプロジェクトに地域側の人間として運営に携わる身として、この交点の魅力を伝えたいと思ったこと。地域側を代表するわけではないですが、地域側の人間として活動する中で考えたことを、アート人材や行政の方に伝えたいからです。
もう一つは、お金集めに苦しむアート活動を長期間続けるために、地域で活動する人間ならではの考えから助言できるのではないか。と考えたからです。

以上のことからわかるように、私はアートと地域の交点にいるのですが、地域側の人間です。私が行っている交点のプロジェクトの運営には、私を含め、アートの専門教育を受けた人間はひとりもいません。またアートを生業にしているわけでもありません。

Photo / 奥野 譿

交点のプロジェクトにかかわることになったきっかけも、自分が育った京都のまちの「らしさ」が消えていく感覚があり、それに抗うことが動機となっています。

京都らしい景観をつくっていた町家や神社、お寺などが減少し、そこに寂しさを感じ、残すための活動として「京都市文化財マネージャー」を修了し、測量や調査に参加しました。京都のらしさを支えるソフト面、職人技術などもなくなっていく現状を憂い、当時大学生の方と一緒に職人を取材し、インタビュー記事メインのフリーペーパーを発行したりするなど現在の京都の「らしさ」を伝え、守るような活動を行っていました。

ですが、景観をつくる「らしさ」のハードも、手仕事の技という「らしさ」のソフトの課題は、ライフスタイルの変化によって、これまでの需要がなくなっているということです。なんとか活用して、社会に有意性を示さなくてはならないという思いがありました。

アートに有意性を感じた瞬間

アートに携わる人がアートに携わっているのは、きっと表現活動や鑑賞体験を通して何かしらアートが好きになったからだと思いますが、私がアートっておもしろいのかもしれない、と感じたのは、社会をつくるのに有意なのではないかと感じる出来事があったからでした。

2017年、現在私が所属しているNPO ANEWAL Gallery(以下、アニュアル)の代表理事に誘われ、徳島県の神山町で行われたアーティスト・イン・レジデンス(以下AIR)のシンポジウムにリサーチで参加しました。海外からもAIRに参加している作家が来ていて、アーティストトークをしているのですが、それを見ている地元の方だと思われるおじいちゃん、おばあちゃん方が「これはおもんないわ、もっとこうしたらいいのに」みたいなことをいっているのを聞いたときでした。

当時の私は現代アートの作品の良し悪し以前に、好き嫌いで判断することもできなかったのですが(興味がなかったので判断する資格もないと感じていたように思います)、この人たちは好き勝手に論じている、アートが共通の話題として成立していることに驚いたからでした。神山町は地域の中にアートがあるのが当たり前になっていることもあり、地域の方が理解を示して盛り上げている、当時は珍しいまちだったと思います。
それ以外に地域の方がアートに理解を示し、盛り上げている証拠としては、「隠された図書館」という作品が森の中にあるのですが、住民の方がそれを真似して川のそばに似たような図書館をつくっていたのを見たときでした。余談です。

ここから、2018年、2019年と地域でAIRを取り入れたまちづくり活動を行うアニュアルの活動に理事として参加し、アートと地域の交点にどっぷりとはまっていくことになります。

実行段階におけるアートの有意性

やっと本題に入ります。私は会社員時代にマルシェを開催したり、独立してからはひと箱古本市などのイベントを開催してきました。アートに携わってからは運営として「Multi Layered Identities」「AN AIR vol.2」などの展覧会、レジデンシープログラム、「スナック現美」などのワークショップの企画・運営をしてきました。その際に感じたアートの有意性は実行段階のていねいなリサーチにある、と考えています。

実行段階とは、企画をしてかたちにすることです。マルシェであればテーマに沿って、お店を集めて開催すること、ひと箱古本市であれば出店者を募って、場所を借りて開催することです。アートも同じなのですが、企画と並行して、ていねいなリサーチを行います。Multi Layered Identitiesであれば読書をテーマに活動するマレーシアのアクティビストと、京都の古本屋や、リトルプレス、本屋と映画館が一緒になった文化施設などを巡り、担当者の方にヒアリングなどを行ったりして、企画を詰めていきました。このようなていねいなリサーチが必要なのは、作家が地域の文化に触発される以外に、実行する際の情報として重要だと感じています。

会社員時代に滋賀県で行ったマルシェの事例がリサーチの重要性を示してくれます。
東京からマルシェで成功したコンサルを招き、滋賀県でも東京のノウハウをそのままトレースするかたちで新鮮な野菜を提供する華やかなマルシェを開催しました。ですが、野菜を食べないことで有名な滋賀県ではあまり受けませんでした。ここでの問題は、受けなかったことではなく、リサーチ不足による実感としての情報の共有ができなかったこと、軌道修正できずに同じ見せ方で2回目を実行したことだと考えています。

たとえば、もう少しわかっていれば、健康面や美容からアプローチすることが考えられました。実際湖畔でヨガは人気でしたので。

社会実装を考える

リサーチしなくても実行(かたちをつくれてしまう)できてしまうことで、後で問題になることもあります。単純に地域で昔からある同じ名前のイベントを開催してしまい、一方の主催者が怒っているなんてこともありました。ネットで検索すれば地域に同じ名前のイベントがあるのはわかるのですが、それすらも怠ってしまうのは、実行することが目的になっているからだと感じています。そこには、なぜ実行するのか、が抜けていることが多いように感じます。つまり目的が「実行すること」になっていることが多いということです。

これは一見、なにが問題なのかがわからないと思いますが、その回答のようなものもアートから学びました。

アートプロジェクトで感じたことは「実行することは手段」であり、開催の背景にある「意図や考えを社会に実装する」ことが本当の目的なのではないか、ということです。
そこで立ち止まって考えてもらったり、鑑賞した人がそこから感銘を受け、行動を変えたりすること。それが目的なのではないかと考えました。

ビジネスの脈絡では、会社で行うことは利益が見込める、新しい販路をつくるなど営利目的の実行になると思いますが、地域活動においては、公益性の高い理由が背景にあるはずです。その目的をどのように地域社会に実装するのか。アートの展覧会では必ずといっていいほど入口にステートメントが掲示されています。そこには展覧会の開催理由が記載されており、なぜこのタイミングで、この作家を選んでこのような展示をしているかが記載されています。それを読むと社会をどのように見ているかを理解したうえで、作品を鑑賞できるため、作品や展覧会に説得力が生まれる感覚があります。

最近訪れた、森美術館の「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」では、コロナにより変わった生活や心境から、これからの「よく生きる」暮らし方のようなものを、五感を通して作品を鑑賞することで考えるきっかけをつくっています。
このような社会へのメッセージのようなものを社会に実装するために、実行される展覧会などは、作品の美しさだけでなく、そこに存在する意味のうえでも美しく感じられます。
このようなアート領域の人材が得意とする実装するための思考と実践は、ビジネス分野でも、行政の地域プロジェクトでも重宝されると思います。さらにアーティストの中には、社会の問題と深く結びついている作家や、風景を作品の素材として捉える人もいるため、単純に客寄せパンダにはならず、どちらもが目的の延長線上の交点で交われると思うのです。

まちづくりでアートを取り入れる理由

そのような考えの中、なぜ私が、まちづくりの脈絡でアートを取り入れているのかというと、始めは多角的に地域の魅力も課題も可視化してくれる可能性があるからでした。現在は少し違います。

社会に対してのメッセージや実現したい社会を実装するための文化的な能力として捉えています。単純に視覚的に魅力のあるものではなく、その作品が生み出される倫理観、政治観、社会観、論理展開などを合わせた作家やディレクターなどの美意識とコンセプチャルなものを現実世界で視覚化、感覚化できる表現力が、社会に目的を実装するために必要だと考えています。おそらく視覚的な美しさだけならデザインでも代用できるのですが、かたちだけを真似することになってしまい、社会実装まではいかないように感じています。よく「解決の手段としてのデザイン、問いかけのアート」といわれていますが、私の認識としては「実行手段のデザイン」「実装手段のアート」であると違いを認識しています。
私たちがライフワークで行っている展覧会は、運営で話し合った「こんな地域社会っていいよね」がベースにあり、それを実現するために開催しています。

そのためにアートと協業している感覚です。

ビジネスでも、デザインの実行力だけで、10回カタチにして1回当たればよいようなつくって捨てる消費型プロジェクトではなく、そこにアートも加えたうえで、マーケティング主導の表現と一拍距離をとりながら、コンセプチャルな思考のうえに成り立つ社会で機能させるための長期の社会実装型プロジェクトを展開してみるとおもしろいかもしれません。

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地域×アートにおけるアート発の問題点

目的を伝える社会活動の中で、アート活動は有意だと思うのですが、問題だと思うこともあります。アートゆえの課題だと思うのですが、それは「時間・期間」にかかわることです。

どういうことかというと、短期的、一時的に開催されるアートプロジェクトは、市民の活動への参加や、地域に浸透させていくこと、地域社会の変革、などを考えた場合、その目的は達成されることはほぼないと思います。もちろん、アカデミックな文書と似ていて、そこでの活動はアーカイブされ、アーティストやキュレーター、ディレクターによって社会に伝えられ続けるとは思うのですが、私が神山町のAIRプロジェクトで感じたような、文化が地域の核となり、経済も人間関係も豊かにするような、地域社会を醸成する要素になりえないところです。その課題を超えているプロジェクトは多くありますが、パラシュート型で行われて、去っていくものもまだまだ散見します。

そのような場合は、長く続けている実行基盤のある地域の団体がコーディネーターになり協業し、緩やかに継続し続けられるかたちを模索してもよいかもしれないと感じます。その際は規模だけに囚われず、続けていくことが価値に転換する瞬間まで、地味でも続けていくことがよいのではないかと考えます。「アートによる地域振興」をうたう瀬戸内の公益財団法人福武財団の助成基準にも「10年続くもの」という条件がありますが、地域×アートの評価基準には期間を通してしか生まれない変革が重要だと思うのです。もちろん、アートのためのアートであれば、そこは関係ないのですが。

地域×アートを文化経済圏へ

アートプロジェクトは、なかなか自走するための資金を集めるのが難しいと感じます。アートをデザインのように実行手段として課題解決やビジュアルコミュニケーションツールとして役に立つかたちに変えれば、社会で消費されお金にはなると思うのですが、文化面から社会実装する手段として捉えるなら、その魅力は「思い」「社会への希望」のような抽象的でコンセプチャルなものを可視化・感覚化することだと思うので、単純に消費されるかたちに置き換え難いです。

そこで、資金に変換するのが難しいこの考えを自走させるためには、地域×アートの展覧会などのプロジェクトから、社会の中で経済や行政と結びついて文化と経済が共生するような「文化経済圏」のようなものを地域社会で構築することだと考えています。おそらく日本で初めて「文化経済圏」という言葉を使ったのは瀬戸内文化経済圏だと思います。2022年には文化庁も文化審議会文化経済部会から文化と経済の好循環を考える文書を作成し、社会の土壌をつくるシステムとして文化と経済の共生を謳っています。

短期間で利益を上げるKPI重視の現社会では、現状把握能力に優れたマーケティングと、実行能力に優れたデザインのコンビネーションは、企業にとっても、企業が提供するサービスを受ける消費者にとっても理解しやすく、役に立つため、経済社会の歯車として長年機能しているように感じます。
そこに、理想の社会という、KPIで評価すると、低スコアをマークするけれども、共同体のあり方としては、心地よいかもしれないことを現実世界にインストールする際の手段としてアートを置いてみます。
そうすると、企業にとっては長い目でみるとブランドイメージが向上しそうな気がします。消費者を個人ではなく共同体として捉えれば、将来的にあってよかった、と思えるようなことを社会に提案できるようになるのではないかと考えています。
KPI重視社会における利益追求に有意なパートナーが、現状把握能力に優れたマーケティング×実行力のデザインのコンビネーション。それはfor BUSSINES、for CONSUMER(マーケティングにおけるtoB、toCではなく、経済活動の意義から考察した筆者の造語です)を主軸に置いた社会の構造の最適解のように感じます。
ですが、SDGsなど地球規模で社会を考え、企業もその中の一つの存在である、for CONNUNITYを主軸にし、そこに経済活動を乗せていく、BUSSINESS on、CONSUMER on ような社会構造では、実装力のアートは有意であるように思います。
これまでの構造から新たな価値観への転換期にこそ、社会にどのように実装していくか、を考える力が必要だと思うのです。

展覧会やアートフェアのようなわかりやすいアートのかたちだけでなく、マイクロな文化経済プロジェクトがこれから始まると思いますが、私も現在行っている展覧会から社会の歯車として長期間かけて社会で機能する文化経済プロジェクトへの変革を考えていくつもりです。

地域×アートの評価は「時間・期間」の概念をどこまで考えて計画されているかも盛り込む必要があるように思います。またそのようなプロジェクトのマネジメントでは、小さいけれども社会の歯車になる可能性があるものを、経済的に社会的に有意であることをスポンサーや行政に伝えることも、必要になるのかもしれません。

中川 直幸
[ことくらす合同会社 代表社員/まるごと美術館 キュレーター/NPO ANEWALGallery 理事]

2016年フリーランスのデザイナーとして独立。地元京都に戻ってくるも、伝統建築、職人仕事など、これまで京都の「らしさ」を担保していた、ハードとソフトの減少に寂しさを感じ、活用してサポートする活動を開始する。組織化せずステートメントで繋がる緩やかなコレクティブやコミュニティに可能性を感じ「ひと箱古本市」、「上京OPENWEEK2018」、「想いのしおり」などのプロジェクトに運営として参加。2018年から「NPO ANEWALGallery」、2019年から有志の団体である「まるごと美術館」の運営に参加し、地域特性を生かした文化的・経済的な豊かさを考えた公益プロジェクトを行う。2021年からクリエイティブコミュニティKOTOKURASとして活動する。

地域とアートの交点 目次

アートと地域の交点を地域側から考える
Q1.「ヨーロッパで活動する作家から見た京都・日本にはどのような魅力があるか?」
対話篇:東野雄樹氏(アーティスト、批評家)
Q2. 地域の活動を支援してきたスポンサーは何を期待するのか?
対話篇:根本ささ奈氏(アサヒグループホールディングス株式会社 コーポレート・コミュニケーション 広報部門)
Q3. 地域を新しい角度で見るプロジェクトを通して醸成されるものとは?
対話篇:曽我高明氏
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