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残されたモノたちとの対話

── STM(スズ・シアター・ミュージアム)分館での保全作業にむけて

奥能登国際芸術祭から令和6年能登半島地震の震災後の活動を通して、地域文化の保持と発信を目指すスズ・シアター・ミュージアム分館の取り組みを紹介する。モノとモノに込められた物語にこだわった保管/補完の試みが、被災地の復旧・復興に際して、どのような意味を持つのか考えてみたい。

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2023年に改修されたSTM分館の玄関

奥能登国際芸術祭とスズ・シアター・ミュージアム

民俗学者として能登で調査を続けてきた私に、珠洲市の奥能登国際芸術祭から連絡があったのは、2019年の終わりのことである。地域の民具や生活用具をリソースとしたアート作品群をつくる「大蔵ざらえ」プロジェクトに協力してほしいという。

この企画では芸術祭の実行委員会が主体となり、サポーターたちとの協働作業で、珠洲各地から寄贈の申し出のあった家々を訪れ、多様で大量のモノたちを収集した。こうして2021年の第2回芸術祭では、珠洲市内の大谷地区にある旧西部小学校の体育館を全面改修した「スズ・シアター・ミュージアム(以下STM)」が公開された。ミュージアム内では8つのエリアにアーティストの作品や生活用具の展示をみることができる。STMというユニークな試みと今後果たすべき役割については、機会をあらためて紹介したい。

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2023年の芸術祭の際の分館収蔵展示の様子

STM分館の収蔵展示

さて、2023年の第3回の芸術祭では、STMに展示されたモノ以外の大蔵ざらえの資料を収蔵展示というかたちで公開することが決まった。資料を仮置きしていた旧大谷保育園を改修し、そこに置かれている資料を依代(よりしろ)に、持ち主の語りや家の記憶の紹介を目的とした。

分館に置かれた資料は、寄贈をうけた家ごとに集められ、その由来や来歴が記録されている。私たち研究者やアーティストが聞き取り調査を行い、資料を提供していただいた方々とのインタビュー映像も残している。磯漁で使った道具、山間の農作業に用いた唐箕や千歯こき、港のそばの商家のお椀やお皿、一つひとつのモノは小さいけれど、各々が珠洲という場所に生きた人や、家の記憶を宿したモノたちである。それらの整理作業は、まだ端緒についたばかりであった。本格的に作業に取り掛かろうとした矢先に、あの震災が起き、STM本館同様、分館も大きなダメージを受けた。

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STM本館の被災後の様子

被災した分館とその整理作業

震災後、春を待たずに私たちは、「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」の一環でSTMと分館の整理作業を始めた。破損した資料もすぐに廃棄することはせず、できるだけ資料ごとの破片をまとめて保管した。しかし、地震の揺れは凄まじく分館の資料棚の多くは、支柱が捻じ曲がって使えなくなっていた。建物自体もダメージを受けていたため、本格的な整備作業は遅々として進まなかった。

それでも分館を整理したことで、わずかではあるが、地域の復旧作業に寄与することもあった。2024年6月には同じ大谷地区で被災した家屋から文化財レスキューで預かった資料を分館に仮置きすることになった。同年9月には解体される家から建具を救出し、その再利用を目指すプロジェクトの一環で、旧家からいただいた建具を分館で預かった。運び出し作業には大谷地区の区長、丸山忠次さんにもご協力いただいた。ちなみに建具のプロジェクトを計画されたのは、STM本館や分館の改修を設計された山岸綾さん(中部大学)である。

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文化財レスキューで引き取られて分館に仮置きされた資料

度重なる被災

残念ながら分館は、繰り返し災厄に見舞われた。建具を運び込んだ際に館内を確認すると、一番大きな資料スペースの窓が破損していた。隣家の解体作業の際に蔵の一部が傾いて窓を突き破ったという。ガラス片とともに蔵の壁土が部屋内に散乱していた。それからほどなく9月21日の豪雨が奥能登を襲った。分館の周辺にも濁流が押し寄せ、玄関の周辺部は50センチ以上の泥に覆われた。最初にあの姿を見たときには、呆然と立ち尽くすしかなかった。さすがに声も出ず、何かがポッキリと折れかけた。しかし、私の思いとは裏腹に、復旧に向けた動きは確実に胎動し、地道な広がりを見せていく。

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豪雨で被災した分館の清掃に集ったボランティアたち

広がる支援のネットワーク

10月初旬から復旧作業がはじまり、その後、複数回にわたり分館を訪れて、泥の掻き出しと整理作業を行なった。作業にはヤッサープロジェクトのスタッフはもちろん、山岸さんやSTMのキュレーターを務めた南条嘉毅さんをはじめとするアーティストたちも加わってくれた。山岸さんからの連絡で地元に滞在していたボランティアたちが参集してくれた。彼らとの協働は、芸術祭が培った地域内外のネットワークによるところが大きい。みんな泥だらけになりながら、地道にそして確実に分館の周囲を片づけ、玄関周辺を掃除した。後に南条さんには、水の浸かった玄関部分の壁を外して、現況調査もしてもらった。

これらの作業の最中に分館の意味を考えさせてくれる出来事もあった。分館周囲の泥を整理していたとき、大きな欄間の一部が見つかった。サイズ感からいっても近隣で被災した寺院にあったものと思われた。ボランティアの一人は、流されたアルバムや写真を見つけてきた。水損したものが多かったが、分館内で裏干しして預かることにした。これらは、被害にあった家々からすれば、あまりに取るに足らないモノかもしれない。それでも分館に集った人たちが、作業の合間でも地域に残された記憶の欠片を拾い出そうとしてくれたことがありがたかった。

震災からの復旧過程では、圧倒的な量のモノが廃棄されていく。自分たちで選びはじめるとつらいので、すべて捨てるつもりです。必要なものがあればなんでも持っていって下さい、そう語る地元の方もいた。諦念と感傷に押し流されそうになりながら、それに抗するよすがとしてのモノを残したいと思う。

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解体された珠洲市の映画館「スメル館」のスピーカーの修復作業の様子

復旧・復興に向けての活動

2025年の3月、ヤッサープロジェクトの現場をまとめるアートフロントギャラリーの沼田かおりさんやアーティストの南条さん、カミイケタクヤさん、鈴木泰人さんらの協力で、分館に新たな資料棚を組み立てて設置した。こうして昨年6月に運び込んだレスキュー資料を整理することができた。アーティストたちとは、破損資料の修復のためのワークショップや、被災資料を用いたイベントの企画についても語り合った。企画に向けて5月には、解体された映画館から救出したスピーカーの修復も進められた。

ヤッサープロジェクトの一翼は、資料をデジタル化することで、失われた記憶をできるだけ残していこうとする。対して分館では、モノ資料の保管/補完にこだわりたい。どれほど取るに足らなくても地域の記憶の器であり、物語をたどりなおす存在を残していくことが、分館の役割ではないだろうか。いつか、ここを訪れる人たちが、珠洲という場所の記憶の微細な欠片を拾い出し、新たな物語を紡ぐ場になっていくことを願っている。

STMとともに分館の再共創はまだ始まったばかりである。

(2025年6月9日)

今後の予定

まず、STMとその分館の再開を目指す。また、本年度より複数年に渡り、奥能登地域全体の無形文化(祭り、芸能、年中行事など)の現況調査に着手する。

活動データ

2022年より、人間文化研究機構の広領域連携型基幹研究プロジェクト「横断的・融合的地域文化研究の領域展開:新たな社会の創発を目指して」を組織し、日本各地の地域文化の創発的な研究に携わる。2024年の能登半島地震以後は、ヤッサープロジェクトと連携しつつ、地域社会の復旧と文化の保全活動を推進している。

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