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共生社会のつくり方


(左から)布垣氏、播磨氏

奈良県内で社会福祉法人わたぼうしの会が運営する2つの施設──障がいのある人とともに、アート・デザイン・ビジネスの分野を超越した新たな仕事の創出を目指す「Good Job! Center香芝」(以下、Good Job! Center)、そして、障がいのある人が多様な表現活動をとおして個性を活かしながら働く「たんぽぽの家(アートセンターHANA)」(以下、たんぽぽの家)──を訪問したトヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ)社会貢献推進部長の布垣直昭氏と、社会福祉法人わたぼうしの会理事長の播磨靖夫氏の対談が行われた。

播磨氏は、半世紀にわたり障がいのある人が芸術活動を通して自己表現する環境づくりに尽力されてきた。令和4年度にはその功績が認められ、文化功労者(芸術振興分野)に選出された。

トヨタは、播磨氏が提唱したアートと社会の新しい関係をつくる「エイブル・アート・ムーブメント(可能性の芸術運動)」に共感し、さまざまな人々が自分らしく生きられる社会の実現を目指して、障がいのあるアーティストが豊かな感性で表現した芸術活動(エイブル・アート)を1995年より応援している。

80歳を超えてなお精力的に発信を続ける播磨氏と、クリエイティブとビジネスをつなぐ視点を持った布垣氏。だれもが活躍できる社会、そしてアートの果たす役割とは──。エイブル・アートの現状も踏まえつつ、我々の目指す究極の共生社会の実現に必要な視点や姿勢、環境づくりについて両者が意見を交わした。

障がい者と健常者の二極ではない

播磨靖夫(以下、播磨)今日は(Good Job! Centerとたんぽぽの家を)見られてどうでした?

布垣直昭(以下、布垣):すごくおもしろいと思うところがたくさんあったと同時に、僕がこれまでのキャリアで感じていたこととの共通点も感じました。
まったく人が思いつかないような、とんでもないことを思いつくのが得意な人ってやっぱりいる。ところがそういう人ほど、世の中に合わせるのが苦手だったりする。逆に、きちんとつくるのが得意な人は、人が思いつかないことを思いつくのが苦手だったり。それをうまく組み合わせて、どうやって仕組み化するかということをずっとトライしてきました。それは今、社会で求められているものととても近い気がします。

布垣 直昭氏

布垣氏

布垣:うちのメンバーともよくいっているのが、障がい者とか健常者とか、二極でいるのではなく、本当はかなりオーバーラップしていて、僕らの中にもその両方があるんじゃないかなと。今日はその縮図を見ているような気がしました。
障がいってなんなのかな? というのも、時代ごとに見方が変わってきていると思います。あるときは障がいだったり、障がいでなかったり、昔は障がいと思っていなかったけど、今は病気の名前がついて、障がいといわれるようになっている。

播磨:細分化されてね。

布垣:そんなことをいったら「僕ら本当に健常者なのかな?」とかね。度合いの違いだけのような気もします。あと、同じ人でもずっと同じ場所にいるとは限らず、ちょっと落ち込んであっち側に行くときもあるし、調子よくてそっち側に来るときもあるし、いろんな人がいろんなところで彷徨っているんじゃないかな、という感じがしますね。

播磨:最近、みんなそれに気づいてきていると思いますね。障がいのある人が「障がいを克服して健常者に近づきました」というような話もあるけれど、そういうことじゃない。やっぱり我々はどうも、「普通」というものが当たり前にある、ということをずっと思い込んで生きてきたところがある。時代がものすごく変わりつつあると感じます。

多様性が生むイノベーション

布垣: Good Job! Centerでおもしろいと思ったのが、3Dプリンターとかキヤノンの画像処理ソフトが、表現できなかった人が表現できるツールにもなるかもしれないというところです。表現する欲求は、根源的に絶対人間の中にあるけれども、たまたま表現できるツールがなかったために表現できなかった人は、それを与えられた途端、表現し始めることがあるんじゃないでしょうか。
たとえば、盲目のピアニストの辻井さんは神から啓示を受けたかのような、人を感動させる演奏をする。ピアノ以外でも目が見えない方で優れた演奏をされる方々がおられますが、彼らを見ていると健常者とはなんだろうと考えさせられてしまいます。変な話ですけど、僕らは目が見えているから、目に頼ってしまって聞こえていない音がある。それが邪魔になっていたのではないかなとすら思います。

播磨:障がいのある人の中にも、才能のあるDNAを持った人がいる。だから、いろんな才能が開花する環境さえつくれば、それが出てくることがわかったのはうれしかった。うちではブリコラージュ、つまり「あるものを生かす」ことをやっています。身体障がいのある人が筆が握れなくなると、その人が握れるような筆を開発するとか、足で描く人にはシューズに筆をつけて描けるようにするとか。

(左から)播磨氏、布垣氏

(左から)播磨氏、布垣氏

布垣:環境は大きいですね。僕らも、仕事で新しいアイデアを出そうとするときに、「お前、デスクにかじりついて新しいアイデアなんて出るわけないだろ」っていわれて、無理やりにでも「普通」から離れようとするんですよね。クリエーションの仕事をする人は常にイノベーションを求められる。ただ一方で、「普通」がわかってないとイノベートできないところもある。でも「普通」の中にどっぷり浸かっていてもできないっていうのもある。そういった違いを容認する方が変化を生みやすいのは、みんな体験的には知っているんですよね。
たとえば企業の中でも、アイデア出すのがめちゃくちゃ得意なやつばかり固めてチームつくったらすごいアイデアが出るかというと、実はそうでもない。案外、チームの雰囲気を和やかにするおもしろい人間がいてくれたりとか……。

播磨:宴会で頑張るやつがいるとか(笑)。

布垣:そうそう。そういう人が混じっている方が、かえって仕事がうまくいったり、おもしろいアイデアが出たりする。だから僕は、“共生社会” や “多様性” を「ネガティブなものを容認する」ということではなく、実際に多様性がある方が「新しいものを生み出せる」んじゃないかと思っている。それはみんな薄々わかってきているのに、はっきり口にしてくれる人があまりいなかったり、それを仕組みにする政治がなかったりするんじゃないかな、という気がしています。

播磨:たんぽぽの家では、スタッフも一人ひとり個性的な人が多いから、ともすればバラバラになる。だから、組織の連帯感がものすごく大事。組織のあり方も工夫して、いわゆるツリー型よりもリゾーム型、横型の組織にしてヒエラルキーをつくらないようにしています。僕も理事長をやっていますが、しょっちゅう来て、あれこれやっているわけではない。でもそうすると、一番の問題はバラバラになることですね。
それで僕は“自律”っていうことをよくいうんです。 “自立”は近代のイデオロギーで個人主義だけども、自ら律する“自律”、つまりオートノミーは、人間の尊厳にかかわる概念なんです。たんぽぽの家では自律と連帯を非常に重要視しています。

播磨靖夫氏

播磨氏

播磨:ただ、あんまりバラバラでいると管理的になります(笑)。きちっと朝何時に来て、何時までで終わってとか、残業、勤務超過とかうるさくいってきて、どんどん官僚システムに近づいていく。これが実は、一番頭の痛いところです。こういうことをやっていたら、だんだんと人間の個性がなくなってきて、平均化された人ばかりになっていく。企業も我々のような民間のNPOも官僚システムにどんどん近づいてきているんじゃないかということをちょっと憂いています。

心が動かないものを口で説得しても変わらない

播磨:今の世の中は論理と合理だけで動いているけれど、それだけではないことが非常に重要だと感じています。でも、それを僕が口だけでいったって誰も信用しない。だから、福祉施設にアートセンターもあるぞ、Good Job! Centerみたいに新しい技術や発想を取り込んで働く場所もあるぞ、ということを、実際につくって見せてきました。日本社会には実際に見せないとダメだということを痛感したからです。
たんぽぽの家の敷地内にある福祉ホーム「コットンハウス」は、障がいのある人が自分の部屋をオーダーしてケアつきの集合住宅にしたという、建築としてもユニークなものです。そういう先進的なつくり方やいろいろな実験をやったことで、社会が「こんなことができるんだ」と思ってくれた。

布垣:播磨先生はこうやっていろんな施設や組織をつくってこられているから、ある意味、社会的に認められていらっしゃると思うんです。わけわからんことも、ある境界を越えると説得力を持ち出すところがある。一方で、人間ってもともとはそういうものを理解する感覚は持っていると思っていて。最後の最後、何で説得されるかっていったら「魅力」なんですよね。心が動くかどうか。心が動かないものを口で説得しても変わらない経験を私も散々経験してきています。

(左から)播磨氏、布垣氏

(左から)播磨氏、布垣氏

布垣:僕が本当にできたらいいなと思っているのは、今までのネガティブがポジティブに変わるイノベーションなんですよね。障がいや共生に対しての考え方は、世の中的にはちょっとずつ追い風にはなってきているし、福祉やボランティアに積極的な人も、昔よりは増えているかもしれないが、みんなが本気で納得しているかとうとそうでもない。その一線を超える転換点を迎えることができたら、世の中変わるんじゃないかという気がするんですよね。

障がい者当事者の幸せを考える

播磨:僕は、障がいがあっても不幸にならない未来を目指してずっとやってきて、今は共感してくれる人も増えてきた。でも、人間の意識って本質的にはそんなに簡単に変わらないっていうことをリアルに感じています。一番大事なのは、“障がい者”が当事者なのに、周囲の“関係者”だけが「よかった」とはしゃいでいるのが現状じゃないかと思うんです。障がいのある人自身が幸せなのかということは、常に問わないといけないことですね。
人間どんな人でも、生きている限り何かを実現したいという思いを持っていて、それが叶ったときに幸福だと思うわけです。そういう力を社会に共有できるのが「アート」「美」だと思って取り組んできた。一人ひとりが生きる意欲を持って、その意欲のもとに実現できるような環境をつくっていく。これが我々の究極の目指すところではないかと思いますね。

布垣:幸せの基準も資本主義から少しずつ変わってきていると思っている。お金持ちだから幸せなんですかっていったら、全然そんなことないと思うんですよね。心の幸せが基準になってきたら、もうちょっとその可能性が出てくるかな、と思っています。

播磨:障がいを持って生まれる、あるいは事故や病気で中途障がいになったときに、一生を障がい者として生きて死んでいくのではなく、絵描きになる、ダンサーになる、詩人になるといった、生き方の幅があることが幸せじゃないか、という考え方になってきているんです。障がいがあっても、たんぽぽの家とかGood Job! Centerみたいな、芸術や文化にかかわれる環境、詩や小説をつくれる環境を作っていくことが大事なんじゃないかと。障がいのある人たちの幸せを考えていった結果、そういうところにたどり着いたというのはありますよね。

エイブル・アートの魅力

布垣:エイブル・アートの作家さんの作品で、今日もいろんな方の作業風景を見てきましたけど、いいなと思う部分は、邪念がないことなんですよ。プロの売れっ子作家さんの作品でも、心が動くかどうかは、必ずしもスキルと比例しない。

エイブル・アートの作家さんと布垣氏

布垣:僕は、作品を見るときに、できるだけ自分の雑念で見ないようにしているというか、この人はよく売れる絵を描く人だからとか、そういう風に絵を見ないようにという努力はしているんです。逆にいうと、エイブル・アートの中にも僕の心を打つものもあれば、打たないものもある。それでも、エイブル・アートを見て、プロのアーティストの作品と比べても、こっちの方がすごいよなって思うものもやっぱりある。テクニックやスキルでの優劣じゃないという見方はもっと広まってもいいんじゃないかなと思っています。

播磨:彼らの作品や表現をどう見るかということでいうと、「私は花を見る」という見方もあるけど、「花は私を見る」という見方もある。アール・ブリュットとかアウトサイダー・アートというのは、基本的に「私は他者を見る」というコレクター側の視点なんですよね。
でも、「他者は私を見る」という見方もあるということが大事なんですよね。他者の中に自分があって、自分の中に他者があって、その他者と自分が応答しているところが、障がい者の表現のおもしろいところ。一方的にそれを見ていいか悪いかとか、売れるか売れないかとか、そういうことじゃない。

「これは絶対大量生産じゃない」という安心感

播磨:一昨年、日本ユネスコ運動全国大会で講演を頼まれたとき、テクノロジーが産業や軍事とともに発達してきて、文明が戦争を引っ張ってきているという話をしました。ただ、これからのテクノロジーは、アートとケア、ウェルビーイングとともに発達することを追求したらどうかと思っています。こういうテクノロジーのオルタナティブについて、障がいのある人たちや生きづらい人たちがいる現場でもっと考えてもいいんじゃないかと。

布垣:たしかに経済や産業がウェルビーイングと結びつくと、必ずしも効率的じゃないかもしれないけど、新しい価値を見出せるのかなと。たんぽぽの家でつくっているアートとか工芸は、ある意味、アンチ大量生産なんですよね。もちろん、工夫して3Dプリンターでつくったりされてはいるけど、あれが完全に大量生産だったら多分価値はないだろうと思っています。
ここでつくっているものを求める人は、「これは絶対大量生産じゃない」ということに安心感を持ってくれているんだと思います。逆にいうと、そこにプライドと自信を持って、「これは世の中に1枚しかないTシャツなんだよ」と自慢して着ているんじゃないかな。かつ、それが美しい、あるいはかっこいいと思って着ているわけですよね。そういう価値観がもっと増えるといいなと思います。

Tシャツと布垣氏

共生社会が達成された状態とは?

布垣:スペシャルオリンピックス日本の会長をされていた故三井嬉子さんが「ユニファイド(スポーツ)というのは将来の社会の縮図なんですよ」とおっしゃっていて、とても納得しました。健常者と障がい者といわれている人たちが一緒にチームを組んで、初めはみんな戸惑っていたけれど、一緒にスポーツという共同作業をする中で、互いの共通点や違いに気づいて、支え合うような関係になっていく。
企業で障がい者を雇用するときにも、たとえば僕らはこれまで、障がいのある方だけを雇用している別会社をつくっていましたが、最近は、自分たちと同じ職場の一般従業員としても障がいのある方を雇用するようになってきています。ただ、それぞれにメリットとデメリットがあって、本当に “ユニファイドな”職場とは何かって考えるんですよね。政府が定める雇用率を達成したからといって、「これで共生社会です」といっていいのか。それが達成された状況とはどういうものなのか、ということをずっと考えています。

播磨:やっぱり協働が大事なんですね。対話する、コミュニケーションをとっていく、そして協働していくというのが共生のプロセスであって、初めからうまくやれるわけじゃない。そういうのは、パラリンピックやスペシャルオリンピックスとか、スポーツの分野で実験的に始まっています。

芸術を通して人間の二面性を見つめる

布垣:つまるところ、包摂性、多様性を大事だと思う社会にしないといけない。音楽でたとえると、生演奏があっても、ダウンロードしたので十分だと思っている人がいて、それでいいと思ったらもうダメなんじゃないかと。食でいったら、カニカマでいいと思う人と、やっぱり本物のカニじゃないとダメだと思う人、それぞれいいところもあるけれども、本物がやっぱり大事だよねって。
そういったものを大事にする社会、決して見捨てない社会でありたい。それを大事にしている職人や、それを支えるいろんな人たちの大事なものに対して、「それにちゃんと対価を払うよ」というふうになっていないと、どんなに巧みな仕組みをつくったところで残らないと思います。

播磨:他者に対する配慮ももちろんですが、今、自己への配慮も考えないといけない。自殺したり、あるいは自暴自棄になって放火したり、何の関係もない人を殺す。こういう時代には他者への配慮だけでなくて自己への配慮にも取り組まないといけない。芸術とか文化は、それに対して何かできるんじゃないかという考えを持っているんです。法律をつくって厳しく取り締まったらなくなるわけではないですよね。人間そのものに二面性があって、無慈悲、冷酷、残酷なことを平気でやる可能性が、我らの中にもあるのではないか、ということを芸術を通して見つめていく。

布垣:そのあたりに次の時代のヒントがあることは、みんなが感じていると思っています。

(左から)布垣氏、播磨氏

(左から)布垣氏、播磨氏

【レポート概要

  • 開催日:2023年7月18日
  • 会場:たんぽぽの家(アートセンターHANA)
  • 対談者:
    播磨靖夫氏[一般財団法人たんぽぽの家、社会福祉法人わたぼうしの会 理事長]
    布垣直昭氏[トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部 部長/トヨタ博物館 館長/富士モータースポーツミュージアム 館長]
  • 企画協力:柴崎由美子[特定非営利活動法人エイブル・アート・ジャパン 代表理事兼事務局長]
  • 文・構成:寺田凜(メセナライター)

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