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世界の「ノイズ」に触れる

〜子どもたちと国際映画祭

1989年に山形市の市制施行100周年記念事業として始まった山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)も、昨年丸30周年を迎えた。隔年開催のため、映画祭会期としては来年のYIDFF 2021で17回目になる。山形市からいただいている開催補助金も2000年代に段階的に削減されたが、現在はその補助金に加え、芸術文化振興基金やさまざまな民間の助成金、そして正・賛助会員の皆様からご支援をいただくことでその不足分をカバーしながら、国際映画祭として、インターナショナル・コンペティション、アジア千波万波の二つのコンペティション部門に加え、個性豊かな特集プログラムを複数実施できるほどの規模を何とか維持し続けている。

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山形国際ドキュメンタリー映画祭2019 表彰式(2019年10月16日、山形市中央公民館)
©山形国際ドキュメンタリー映画祭

国内ではすでに古株といってもよい当映画祭にとって、現在大きな課題となっているのが若年観客層の開拓だ。長きにわたり山形に通ってくださっているオールドファンの方々に加え、学生などの若い層、特に高校生未満の子どもたちにも映画、そして映画祭という場に興味を持ってもらうべく、これまでさまざまな取り組みを行なってきた。ネット上に玉石混交の映像があふれる現在、時間と労力、時に人生をかけて制作された、最先端の「映画」「映像芸術」に触れる喜びを、彼らに少しでも知ってもらいたい。その試みの一端をここでご紹介したい。

一つは地元中学生による映画祭への参加、とりわけ公式上映作品の団体鑑賞の取り組みである。山形映画祭では早い時期から、世界各国から来県したゲスト監督たちに、市内の景勝地「山寺」の初秋の絶景を地元の中学生たちの案内で堪能してもらう日帰りのエクスカーションを、山寺中学校や地元の山寺地区の方々の協力のもと企画し続けてきた。これは監督たちに喜ばれるだけでなく、中学生たちにとっても英語のトレーニングと実地の国際交流を体験できるよき行事となっている。一方で、せっかく日本でも数少ない国際映画祭が山形で開催されているのだから、公式上映作品を映画祭の会場で子どもたちに実際に見てもらうような機会がつくれないだろうかと、10年ほど前に中学生団体鑑賞プロジェクトをスタートし、2011年以降、これまで4回にわたって実施してきた。山形市内の希望のあった中学校から1、2年生をインターナショナル・コンペティション作品の上映会場に招き、一般のお客様とともに作品を見、監督との質疑応答に参加してもらっている。

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山形国際ドキュメンタリー映画祭2019 インターナショナル・コンペティション作品『約束の地で』公式上映時の質疑応答の様子(2019年10月11日、山形市民会館)
©山形国際ドキュメンタリー映画祭

昨年の映画祭では、市教育委員会のご協力で新たに交通費の補助が出ることとなり、市内の三校が参加。ボスニア出身の貧しい姉妹が、活路を求めて家族とともに欧州に移住を試みる姿を記録したフランス人作家によるコンペティション作品『約束の地で』を、1、2年生合計約300人に見てもらった。作品の背景にあるボスニアの紛争の歴史や、現在の欧州における移民・難民の境遇、人種差別問題など、内容をより正確に理解するための学習を事前に行った学校もあり、質疑応答では次々に手が挙がり、作品制作の動機についての質問や、感想を伝える子どもたちの発言で盛り上がった。この作品で中心的に描かれるのは、よりよい未来へのかすかな希望と絶望とが交錯する姉妹それぞれの苦しい日常であるが、ドラマティックな展開や大事件が起こらないため、「何がいいたいのかよくわからなかった」との感想を漏らす先生もおられた。けれどむしろ子どもたちのほうが素直にこの映画から貧困や差別の問題を受け止め、理解してくれたようで、質疑後もクローディア・マルシャル監督を囲んで輪ができ、監督と子どもたちとの会話が弾んだ。来年以降もぜひこの取り組みと支援が続き、子どもたちに、未知の国の人々の人生について知り、考え、つくり手と対話する時間を持ってもらえるよう準備を進めていきたい。

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『約束の地で』クローディア・マルシャル監督と中学生たち
©山形国際ドキュメンタリー映画祭

また若年層参加に向けたもう一つの取り組みは、「ドキュ山ユース」という高校生ボランティアチームの活動支援である。これは2017年の映画祭にボランティアとして参加してくれた市内外の高校の生徒たちを中心に結成されたチームで、「ドキュメンタリー映画」の意外なおもしろさを同世代の高校生たちにもっと知ってもらうことを目的として活動している。その内容は主に上映会の企画・運営だ。定期的に集まり、上映したい作品や企画について話し合い、ポスターをつくり、公民館や放課後の高校で上映会を運営する。上映会の資金は、地域の公的基金や助成金を得てまかなっている。昨年の映画祭期間中には、休日に大学生や大人たちと一緒に会場ボランティアとして受付に立ったり、コンペ作品上映時に質疑応答の司会を務めるなど活躍する一方で、市内のカフェに同年代の高校生を集め、好きな映画について自由に語り合うパーティーも企画・開催した。

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ドキュ山ユース企画上映会「ドキュメンタリー映画を体感してみませんか?」の様子。前年の映画祭2017で上映された『乱世備忘―僕らの雨傘運動』の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督とともに。(2018年2月12日、山形市民会館)
©山形国際ドキュメンタリー映画祭

自主活動だから当たり前なのだが、傍で見ていてうれしいのは、彼らはとにかく自分たちが楽しいから参加している、という姿勢がはっきりしていることだ。もちろん就職活動や受験などで途中から参加できなくなる子もいるのだが、近隣の複数の学校の1年生から3年生まで参加者が絶えず、新しい顔を加えながらわいわい企画を考えている。最初はそれほど映画に深い興味を持っていなかったかもしれない(そしてもしかしたら最後までこの映画祭の作品にはピンときていなかったかもしれない)けれど、それでも何かが心に引っかかってくれていればそれで十分だ。ちょっととっつきにくい社会派ドキュメンタリーや3時間超えの長編、よくわからない抽象的な映画を見たこと、自分たちで上映会を立ち上げたり、2年に一度の映画祭というお祭りを楽しんだ時間と経験は、彼らのかけがえのない財産となってくれるはずである。

映画祭の運営において地域コミュニティとの協力・連携は欠かせない。何よりこうした地元の若い世代が、国際映画祭にかかわることの教育的意義ははかり知れないが、だがその成果と呼べるようなものは当然ながらすぐには見えてはこないだろう。映像文化全般に対する、未来に向けた長期的な努力と投資が必要である。良質の映画・映像とは、ありふれたメッセージや単純でわかりやすい感動を与えてくれる伝達メディアではないし、「映画は世界の窓」といったよく使われる収まりのよい言葉でもいい表すことはできない。他の芸術領域の作品同様、この世界の「分からなさ」をその複雑な姿のまま示し、あらゆる場所に(また自分自身の中にも)存在する、普段は見えない世界、壁、ノイズを経験させてくれるものであり、それゆえときに居心地が悪くなるような刺激物となるだろう。そしてその居心地の悪さがどこから来ているかを、作品を見ながら知らず知らずのうちに考え始めるかもしれない。これからの混迷の時代を生き延びねばならない若者たちには、普段から身近な映画館でも得られるこのような機会を逃さず、恐れずいろいろな国の多様な映画を見て、ノイズだらけ、矛盾だらけの世界に少しでも触れてほしい。そして自分の固定観念や常識に気づき、乗り越え、上の世代が及びもつかないほど、視野をぐいぐい広げていってほしいと願っている。

(2020年3月23日)

山形国際ドキュメンタリー映画祭

ウェブサイト:http://www.yidff.jp/

平成元年(1989年)、山形市が市制100周年記念事業として第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭を開催。以降隔年で映画祭を継続開催し、世界各国の優れたドキュメンタリー映画を集め、国際審査員を招いてコンペティション形式で上映している。2006年に運営組織がNPO法人として独立。毎回国内外から2万人を超える多くの観客・プレス関係者を集めている。奇数年10月開催の映画祭の他に、毎月の金曜上映会の開催(ドキュメンタリー映画の秀作や日本映画の名作などを上映)、子ども映画教室の開催(年間2~3回)など地域に根付いた映画に関する活動を日々展開している。また2014年に「311ドキュメンタリーフィルム・アーカイブ」を設立。東日本大震災に関する記録映画を収集・保存し、ウェブ上にデータベースを構築。国内外に作品情報を発信している。

2007年サントリー地域文化賞、2011年川喜多賞、2013年地域再生大賞準大賞等を受賞。映画祭を核とした、映像に関する活発な市民活動が評価され、2017年には山形市がユネスコ創造都市ネットワークの映画分野に加盟認定を果たした。

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