災害に向き合い、生きる強さ培う文化の力〜GBFundの今後に向けて
企業メセナ協議会が2011年3月に設立した「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド」(略称:GBFund)は、当初の運営期間としていた2016年12月末を過ぎた。この間のファンドの成果を検証し*1、自然災害が相次ぐ日本各地で、文化による復興支援の可能性があるとの判断から、協議会では当ファンドを「芸術・文化による災害復興支援ファンド」と名称をあらためて継続することとした。
*1:検証作業のまとめは報告書『GBFund2011-2015』に詳しい。
「アートも生きるためのライフライン」とは、宮城の北東部、南三陸町でアートプロジェクトを続けているENVISIプロデューサー、吉川由美氏の言葉である。彼女は2010年夏、南三陸の人々とともに、まちなかで「きりこプロジェクト」を展開した。「きりこ」とは宮司が半紙を切り抜いてつくる神棚飾りだが、この様式をまねて、町の人々の思い出や老舗の歴史などを切り紙で表し、それぞれの軒先に飾るアートプロジェクトだった。約650枚の「きりこ」を眺めながら、人々は昔の出来事を語り合い、外から嫁いできた女性たちは地元を知り、新たな交流が生まれたのである。
2011年3月11日の巨大津波は海岸から町へ注ぐ志津川を遡り、あらゆる構造物を呑み込み、押し流し、愛しい人たちを海へとさらっていった。その惨状をテレビでみているしかない我々の手元には、数日前に刷り上がった機関誌『メセナnote』があった。そこには吉川さんによる「きりこプロジェクト」のレポートがあり、「2011年夏、きりこは南三陸町の家々の軒先を再び飾ることだろう」と結ばれていた。
東日本大震災の発災後、企業の対応は迅速だった。現地の工場や支社など自ら被災しながらも、逸早く義援金を拠出し支援物資を準備、社員ボランティアを派遣した。さまざまな公的機関が寄付を募る中、我々協議会も芸術・文化にかかわる専門機関として何かできないかと議論を重ね、3月23日の臨時理事会で決議したのが、「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド」の設立である。
被災者・被災地を応援する目的で行われる芸術・文化活動や、被災地の有形無形の文化資源を再生する活動を支援すべく、広く寄付を募る。震災直後は人々の安全と食料の確保が最優先だが、まさしく「アートもライフライン」、人々の気持ちを奮い立たせ、地域の誇りを取り戻していくために、芸術・文化が果たしうることが必ずある。ファンド名を「芸術(G)・文化(B)・復興/ファンド(F)」の意から「GBFund」と略し、寄付を呼び掛けたのである。
すぐに反応を示したのは多くの個人の方々だった。「自分の寄付が何に役立つのか、わかりやすい」「かつて訪れたまちの再生に役立ててほしい」などの声とともに寄付が集まり、毎月定額の寄付を続けてくれる人もいる。アーティストたちも動いた。チャリティー公演や展覧会の企画、会場での募金箱の設置、寄付を目的としたCD制作等々、現地に赴いて活動するアーティストも多数いたが、日頃の活動で支援につながることを考え、寄付を申し出てくれたのだ。
企業からの寄付も集まる。自社所有のミュージアムショップの売上を寄せてくれたり、寄付つき商品の開発、メセナプログラムでのチャリティー企画、社員有志による募金もあった。当時の協議会理事長、福地茂雄氏はこう呼びかけた。「やぶれ傘でもいい。どしゃぶりのときに差し出すのだ」と。結果、GBFund設立当初に目標とした1億円を2013年半ばに達成し、2016年12月末までの寄付総額は1億5,316万7,413円となった*2。
*2:詳細は協議会WEB「かるふぁん」サイトを参照されたい。
GBFund設立当初、寄付募集と同時にやらなくてはならなかったのは、支援先を探すことだった。避難所生活を強いられている方々に「芸術・文化」による復興支援が求められ、受け入られるのか。現場の実状を把握するにあたり、大きな助けとなったのが、企業メセナを通じて培われた人的ネットワークである。とりわけ、2002年に始まったアサヒ・アート・フェスティバル(以下AAF)には、全国各地のアートNPOや市民団体が集っており、東北で活動する団体がいくつか参加していた。震災直後、AAFのメーリングリストに飛び交った情報の多さは圧倒的である。東北の仲間の安否を確認し、いま何が必要かを尋ね、阪神・淡路大震災を経験した淡路島からは物資が送られ、南三陸に思いを寄せる「きりこ」が、各地のAAF参加団体から届けられた。GBFundの趣旨を、ENVISI吉川氏はじめ、当時いわきアリオスに勤務していた森隆一郎氏、せんだいメディアテークの甲斐賢治氏らに伝え、いま何を支援すべきかを訊くことができたのである。
同時に、東北地方に数多ある郷土芸能が、地域コミュニティを再生する大きな鍵になるのではないかとの考えがあった。しかし協議会ではそれまで、祭りや郷土芸能との接点が少なく、どうアプローチしたものか悩ましかった。そこに、神輿や和太鼓を制作する浅草の宮本卯之助商店から連絡が入る。「祈りのバチ」を制作し、支援に充てたいとの相談だった。逆にこちらからは東北の芸能について教えてほしいと頼み、出会ったのが全日本郷土芸能協会の小岩秀太郎氏、岩手出身で鹿踊の踊り手でもある。彼にGBFundを周知し、申請を呼びかけてほしいと頼んだ。しかし助成申請など経験のない保存会の方々、実際には小岩氏が代筆したり、ほぼ白紙に近い申請書が届く。一般的な助成制度ならば情報不足と却下されようものだが、そこに切々と書かれた言葉が選考委員*3の胸を打つ。「あの太鼓がいまあれば、どんなにいいだろう」「津波で逝った仲間を初盆で弔わなくてはならない」「先祖代々続いてきた祭りを絶やすわけにはいかない」等々。
*3:【GBFund選考委員】
片山正夫(セゾン文化財団常務理事)
加藤種男(企業メセナ協議会専務理事)
俵木 悟(成城大学文芸学部文化史学科准教授)
船曳建夫(文化人類学者)
吉本光宏(ニッセイ基礎研究所研究理事)
我々の予想以上に、多彩な芸能が東北各地にあることを、GBFundで初めて知ったのである。地域ごとに獅子頭の顔つきや鹿踊の振りが異なり、念仏剣舞や念仏踊り、悪魔祓いをする獅子舞などの伝承があることを知るにつけ、各々が地域コミュニティのアイデンティティであることを実感する。そこで2012年から、GBFundに「百祭復興」という枠組みを設けた。文字通り、100件の祭りや郷土芸能を支援しようとの趣旨で、これにニューヨークのジャパン・ソサエティーが共感してくれ、以降3年間で27万ドルの支援を得ることができた。それも含め2016年末までに、92団体・105件の祭りや郷土芸能への支援を実現できたのである。
被災地の状況が変化する中で、助成対象も変わっていった。発災直後は、緊急度が重視され、祭りの道具を調えることや、避難所生活をしている人たちを励ますような活動を採択した。だが徐々に、現地の人々の関与度の高さや主体性が重視され、中長期の復興を意識した活動に焦点をあてることになっていく。現地のお母さんたちがつくった品々を販売する仕組みづくりや、地元の工芸品や技術を活かした商品開発、持続的な拠点形成など、新たな創造へと向かう活動である。
同時に、「忘れない」ためのプロジェクトもいくつもあった。今回の災害がどれほどのことであるのか、被災により損なわれたものはなんだったか、住まいを失い、隣人との関係性が分断される中で、故郷を思い起こす契機は何か。人々の話を聞き取り、紙媒体や映像に記録し、あるいは作品そのものとし、災害を象徴する日時になんらかのアクションを起こすことで、忘却に抗おうとする静かで強い意志だ。
建物の基礎だけが残ったまちには盛り土がされ、嵩上げで整地される。海岸には防波堤の高い塀が我々を守ってくれるかのようにそびえたつ。しかし自然をあなどってはならない。過去に幾度も、この地域は津波の脅威にさらされたのだ。それを伝える絵が、文章が、諺が残されている。忘れてはならない。原発事故で時間が止まったまま、除染に努めても故郷に帰れない人々の毎日がいまもあることを。
わずかな回数ながら、協議会会員や寄付者の方々と助成先の活動を視察したり、AAFやアートNPOリンク、復興推進コンソーシアムなどの企画に伴って被災地を訪れる機会を得た。2012年9月、岩手県大槌町小鎚神社の例大祭では、地元の芸能団体がいくつも集い、被災の傷跡が生々しく残るまちなかを練り歩いた。高齢化と過疎化に拍車をかけたであろう災害の後にもかかわらず、多くの青年が活き活きと虎舞を踊り、子どもたちが七福神の扮装をしていた。「祭りのときだけは、余所に働きに出た若者たちが帰って来る」とは地元の方の声。山車の提灯には「メセナ協議会」の文字が書かれている。ご寄付をいただいた方々への感謝の証だ。
NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)は、京都を拠点にコンテンポラリーダンスの企画制作などを行うが、震災直後、まずはダンサーのスキルをもって、避難所生活で凝り固まった体をほぐすことができないかと被災地を訪れる。ところが、ここで、現地に脈々と継承されてきた芸能のすごさに感銘し、「習いに行くぜ!東北へ!!」と題して、ダンサーたちが郷土芸能の動きを習い、ともに祭りに参加することとなる。JCDN代表の佐東範一氏は、「日本にこんなすごいアートがあるなんて、衝撃的だった」という。三陸の風土、生活の中で培われ、子どもの頃から身体に叩きこまれた動き、高い美意識が反映された衣装の見事さ。「この芸能のすばらしさを世界に発信したい」との思いが、2014年より始まる「三陸国際芸術祭」へと発展していく。地元の芸能団体を中心に、アジア諸国からダンサーやカンパニーを招き、それぞれの踊りを披露し、地域の人たちと新たにコミュニティダンスを制作する。
なぜ、三陸地方に、これほど多彩な芸能が残されているのか。被災した直後から「大船渡復興 東北三大祭り」を始めた前・大船渡市長の甘竹利勝郎氏は、「仙台までは東京の文化で染まってしまう。大船渡はアクセスの悪さも却ってよかった」という。いわば「陸の孤島」であることで、独自の文化が守られてきたのだと。
さて、あらためて考えてみたい。我々がいう「アート」「芸術・文化」とは何なのか。近代化の過程で咀嚼し、昇華させてきた芸術文化は、今日のライフスタイルでは身近なものだし、教養として学び、劇場や美術館で心震える体験をすることもある。だが同時に、各地固有の風土や四季の移ろいに磨かれた感性、万物に宿る神への畏敬と五穀豊穣への祈り、先人から伝えられてきた戒め、これらを表する芸能が我々の神髄を揺るがすことに、はからずも今回の震災で覚醒させられたのではなかろうか。
2016年秋、リオ・オリンピックでは、「TOHOKU&TOKYO in RIO」として、岩手の鬼剣舞と福島のじゃんがら念仏踊りが披露され、冒頭紹介した「きりこ」のワークショップなどが、現地のパソ・インペリアルで行われた。「復興」の象徴であったかもしれないが、日本を代表するコンテンツとして注目を集めたのである。
GBFundの運営を通じて、学び、考えさせられたことはいくつもある。自然災害は人智を超えて起きる。その際に、誰かとつながれるネットワークを日頃から培っておくこと。被災地の人々自らが立ち上がるための、地域コミュニティの礎をなす文化を継承すること。そして先人の経験をアーカイブし、忘れないことである。さらには、自らの基盤となる文化を認識しつつ、未来に向けた新しい祭りを創造していくことが、これからのコミュニティをつくる力となるだろう。
GBFundは今後「芸術・文化による災害復興支援ファンド」となる。被災しても心を強く保ち、遠方にいる友とつながり、創造性を発揮するために、我々が誇り高く生きる術としての「アート」を応援していきたい。
(2017年2月21日)