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センサリー・フレンドリーなミュージアムを目指して

アートにおけるアクセシビリティ」をテーマにバトンをつなぎ、誰もが芸術文化の鑑賞をはじめ、参加、創造することができる社会に向けて、創意工夫をこらし日々取り組まれている活動や方々を広くご紹介し、アートにおけるアクセシビリティの現在地からその意義や必要性を考えるきっかけを創出します。

第4回は独立行政法人国立美術館国立アートリサーチセンター(NCAR)による主に発達障害がある方とそのご家族に向けた国立美術館の案内ツール『Social Story─はじめて美術館にいきます。』制作の取り組みを伊東俊祐さんにご紹介いただきます。

NCARでは全国のミュージアムの「アクセシビリティ」の基準を底上げする方法を調査し、情報の発信やミュージアム運営に資する提案しています。だれもがミュージアムを楽しむことができるように、アクセシビリティが工夫されたアクセスプログラムの紹介や、世界の潮流ともなっている「DEAI」─Diversity(多様性)、Equity(公平性)、 Accessibility(アクセシビリティ)、 Inclusion(包摂性)の概念をミュージアムで展開していくための調査研究を実施。ソーシャルストーリーは現在国立美術館が運営する7施設をはじめ、全国各地のミュージアムに展開され、どなたでも安心・安全に、ミュージアムへ行く選択肢が当たり前に日常の中にある環境を生み出しています。

生まれながら全ろうの伊東さんが初めての単独渡航で米国のソーシャル・ストーリーに出会ったときの原体験から、現在のご活動にいたるまでが現場目線で綴られ、アクセシビリティの可能性について語られています。ぜひお読みください。

今回のテーマ企画には第1回でご寄稿いただいたアーツカウンシル東京の大塚千枝さんと、NPO法人エイブルアート・ジャパンの柴崎由美子さんをはじめとする皆さまにご協力をいただいています。

独立行政法人国立美術館国立アートリサーチセンター(以下、NCAR)は、国立美術館が運営する7施設──東京国立近代美術館、国立工芸館、京都国立近代美術館、国立映画アーカイブ、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館──の『Social Story─はじめて美術館にいきます。』を制作、2023年に公開しました。

『Social Story─はじめて美術館にいきます。』は、主に発達障害がある方とそのご家族に向けた美術館の案内ツールです。チケットの購入場所、ロッカーの使い方、展示室での過ごし方など、入館する前から退館までの一連の流れを、写真とやさしい言葉でていねいに説明しています。発達障害のある方に限らず、はじめて美術館を訪れる方や利用に不安を感じている方、あるいは「そもそも自分はここに来ていいのだろうか?」とためらいを抱く方にとっても、見通しを持って来館する準備ができ、安心して過ごすことができるよう工夫されています。

私がソーシャル・ストーリー(Social Story)に出会ったきっかけは、2017年当時、在学していた大学院の助成を受けてアメリカ合衆国のミュージアムのアクセシビリティを調査する機会を得たときのことでした。私は生まれつき耳が聞こえませんが、単独では初めての海外渡航でもあったため、言語や交通手段、受付でのやり取り、展示室での注意事項など、その一つひとつが未知であり、不安は少なくはありませんでした。

その際、ニューヨークのミュージアム──とりわけ、メトロポリタン美術館やニューヨーク近代美術館(MoMA)、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館──で、発達障害、特に自閉スペクトラム症の方に向けた「ソーシャル・ストーリー」のツールがあることを知りました。Social Narrative、Social Guideなど呼び方はさまざまですが、事前にウェブサイトで閲覧することができます。そこでは、入口や(海外のミュージアムならではの)セキュリティチェックの様子、展示室での過ごし方がシンプルながら具体的に示されていました。“ここでは、このようなことが起こります”ということをあらかじめ伝えてくれることで、心の緊張がやわらいでいくのを実感しました。ミュージアムに特有のルールやいわゆる暗黙の了解をあらかじめ知るということは安心につながるのだということを、身を持って体感した経験でした。

ソーシャル・ストーリーは、単なる利用案内ではありません。いうならば “あなたがここに来ることを、私たちは想定しています”という、一つのメッセージでもあります。ミュージアムに来る人々を例外として扱うのではなく、その存在を最初から前提としていくという姿勢の表明です。こうした考え方は、欧米をはじめ、アジアやオセアニアのミュージアムにも広がりをみせています。

この経験にも背中を押され、専門家のご協力を得ながらNCARで開発したのが国立美術館7施設の『Social Story─はじめて美術館にいきます。』です。余談ですが、三重県立美術館学芸員の鈴村麻里子さんも2019年当時のメトロポリタン美術館での調査をきっかけに、2020年には「三重県立美術館ソーシャル・ガイド」を制作しています。これが日本のミュージアムにおけるソーシャル・ストーリーのはじまりですが、現在も同館のウェブサイトで閲覧することができます。

この取り組みは全国のミュージアムでもじわじわと広がりを見せており、2025年には岐阜県美術館、東京都美術館、横浜美術館がNCARのフォーマットを使用して刊行されました。2026年には高知県の文化施設(県立高知城歴史博物館、県立美術館、県立歴史民俗資料館、県立坂本龍馬記念館、県立文学館)、国立科学博物館、ポーラ美術館でも、同様に刊行が予定されています。発達障害はみえにくい特性のため、今後も、同様な展開が各地で進むことが期待されます。

こうした発達特性にも関わる感覚的なニーズを踏まえ、負荷をできるだけ軽減させていく環境の整備を、センサリー・フレンドリー(Sensory Friendly)といいます。ソーシャル・ストーリーに加えて、たとえば音や光、匂い、混雑情報などをフロア情報に落とし込んだセンサリー・マップ、何らかの刺激を感じたときに落ち着くことのできる空間としてのカームダウン・クールダウン・スペース、イヤーマフやフィジェットトイなどのセンサリー・グッズの貸出、その人にとって静かに鑑賞することのできる時間帯を設けるクワイエット・アワーといった取り組みがその代表例です。ここで重要なのは、特定の人に向けた“特別の対応”というよりは、多様な来館者の過ごし方を前提として選択肢を増やしていくことだと考えています。

かつて私がニューヨークで感じた安心感を、いま日本のミュージアムで誰かが感じているかもしれません。見通しがあること、準備ができること、自分のペースで過ごせると想像できること。ミュージアムへアクセスすることは、とある人にとっては物理的、心理的なハードルでもあります。そうしたハードルを少しだけ低く、やわらかくしてくれる存在の一つがソーシャル・ストーリーです。

ソーシャル・ストーリーをはじめとしたセンサリー・フレンドリーな取り組みの広がりは、アクセシビリティの向上に向けた一歩であると同時に、ミュージアムが来館者に向けて発する、やわらかな意思表示でもあります。オール・フレンドリーなミュージアムの実現に向けた着実な歩みであり、アートにおけるアクセシビリティの可能性をさらに拓くものといえるでしょう。

(2026年2月16日)

関連リンク

NCARの活動をはじめ、全国のミュージアムでのセンサリー・フレンドリーな取り組みについて紹介します。

NCARの取り組みについて

全国のミュージアムの取り組みについて

アートにおけるアクセシビリティの可能性 目次

1
アクセシビリティの広がり:これまでとこれからに向けて
2
障がいと演劇にアクセスの道をひらく 鳥の劇場のやってきたこと
3
手話狂言は世界に咲く笑いの華
4
センサリー・フレンドリーなミュージアムを目指して
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