「できることをやる」と決断すること。
私たちは今回のパンデミックで考えかたを大きく改めなければなりませんでした。さまざまなイベントを企画・実施してきた私にとっても、アート業界を始めとする集客イベントを行ってきたすべての事業者・企業・団体は、世の中の自粛ムードが始まる中、開催の自粛や延期、中止を横目に見ながら、私たちも同時にその決断を下したのでした。
2月初旬、本来であれば私は香港にいました。
香港のテキスタイルミュージアムで『NUNO』の須藤玲子さんの展覧会が開催され、日本各地で須藤さんが今までつくってきたテキスタイルや展覧会のドキュメント撮影と実際に制作に携わった日本の職人の皆さんを案内するためでした。(“Center for Heritage Arts & Textile”で“Sudo Reiko: Making NUNO Textiles” 2020年11月より開催。)
2月半ばから3日間の予定でしたが、そのころ香港ではいち早くパンデミックのため状況が変わり、国境閉鎖の噂や、1〜2週間の隔離が行われる可能性も出てきました。議論の結果その渡航は中止となりましたが私にとってはこれが最初のアクションに過ぎず、この後かかわるさまざまなイベントが中止もしくは延期になってしまいました。
クリエイティブアドバイザーとしてかかわったドバイ万博日本館も10月20日からの開催を延期し、2021年の10月からの開催となり、東京オリンピック・パラリンピックに関連したアート展や企業イベントもすべてが中止となりました。業界は一時カオス状態に陥り、日経平均も16,000円台まで下がってしまいました。そして3月末には企業の延命措置についても役員の間で話題になりました。
4月から本格的に始まったStayHome期間中には企業経営者としての対応に追われる中、自分の中でも考えてきた「人を集めるビジネス」について自問自答しつつ、以前からさまざまなメディアやインタビューを通して警笛を鳴らしてきた自負もある「Planetary Boundary:不可逆的かつ急激な環境変化」や「アントロポセン:人新世」「Society 5.0:経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」など、自分自身が理解しきれていなかったり、対応・実装するだけの知識が無いことに落胆すると同時に、「今できることはなにか? やるべきことはなにか?」という問いを自分なりのアクションに絡めて少しずつ動かし始めました。
4月3日 Rhizomatiksとしてオンラインイベント『Staying TOKYO』を開始
この期間中にパブリックに向けて表現を続けるために、急遽オンラインイベント『Staying TOKYO』を4月3日から開始しました。前半の2時間はゲストを迎えたトーク、後半の2時間は真鍋大度のDJ/VJの構成で行うこのオンラインイベントは、企画から実施までほぼ一週間というライゾマティクスらしい突貫で行い、緊急事態宣言の解除と同時に集客できるようなプラットフォーム『PLAYING TOKYO』へと変化させました。(結果としてまだ集客はできていませんが…)
さまざまな分野のゲストを迎えることで、社会の変化、業界の変化、やるべきこと、やれること、実施する方法、アートの意味、デザインの意味、行政の役割など、さまざまな議論へ及び、大きなうねりが見えてきました。今回のような社会問題が起こると、アーティストは瞬発的に反応し、その後にデザイン業界が反応し、その後に産業が反応します。アート=問題提起→デザイン=問題解決→産業=社会実装の順に反応が起こる。特にアートの分野の人たちは自分たちでできることをさまざまなかたちで発信していました。しかし、美術館や行政の文化機関の反応は遅れ、一時は「文化をどうやって止めないか?」の議論がSNSを通して多くの場所でも発信されていました。私も、イベントや芸術祭を企画する人間として「何ができるか?」を考えるだけではなく、アクションへとつなげていきました。
- 4月3日から始めたStaying TOKYO
- 7月からPLAYING TOKYOへ
- Staying TOKYOをきっかけに創ったオンラインイベント・サービスの実験
積極的に“前例をつくるための企画”をつくる
「このパンデミックで失われてしまったのは<ストリート>ではないだろうか?」という話をオンラインの対談で宇野常寛さんや門脇耕三さんとお話したことがあります。ストリート=人が匿名になれる場で、さまざまなコミュニケーションがStayHome期間中にオンライン化されたことで、常にブランドとしての自分であり続け、社会に溶け込んだ人間としては成立しなくなってしまったことに問題があると感じています。本来、都市や社会は駆動する人とそれを使う人に大きく分かれるはずですが、多くの人がカメラを通した「自分」というフレームでしか切り取られていないコミュニケーションのみで駆動する状況にならざるをえなくなってしまったのではないでしょうか。それは、余剰だと思われていた超個人的な嗜好やあいまいな境界で区切られたコミュニケーションから生まれたさまざまなことを失ったことで、社会を下支えしていた本質がなくなってしまった様に感じました。以前Staying TOKYOで対談したアーティストのオラファー・エリアソンが「美術館は自分を映す鏡のような場所」と話していました。一見余剰だと思われがちな芸術や表現=超個人的な社会に対する表現は必要不可欠であり、結果として多くの人が求めていることを実感し、自粛期間中に動きが鈍くなった芸術を表現できる場所をつくろうという企画が動き始めました。
Staying TOKYO オラファー・エリアソンと長谷川祐子さんとの対談:
門脇耕三×齋藤精一×宇野常寛 | 都市の未来を(コロナ禍を通して)考える
(第一弾)ウェブサイト「遅いインターネット」での鼎談
(第二弾)YouTube
奈良県奥大和との出会い。芸術祭の企画。
自粛期間中に行政や自治体の方からさまざまな相談を受けていましたが、昨年からかかわりの深かった奈良県さんとお話しをする機会がありました。
奈良と深くかかわるようになったのは、昨年実施され一人の講師として参加した奥大和クリエイティブスクール参画でした。以前から「オフスキャンプ東吉野」や地元のアーティストとはいろいろなつながりで知り合う機会があったのですが、今回のパンデミックで「観光が打撃を受けている」という相談を受け、複数回観光復興に関する打ち合わせを行いました。その中で企画として出てきたのが、コロナ禍に企画をし、コロナ禍で実施する奥大和での芸術祭でした。通常芸術祭は少なくとも1年以上かけて企画、準備をするものです。しかし、春の桜のシーズンやGWに集客できなかった奥大和は特に宿泊客の集客ができず、県の担当の方もさまざまな企画をするものの、行政として一歩踏み込めていない印象がありました。
今回の企画では、三密を回避しながら奥大和らしい自然の中で行う芸術祭で、エリアを数カ所に分けて実施し、通常の芸術祭の様なオペレーションは付けずに、無人で行うことで、自粛期間中に自分の周辺を散歩して歩いたように、身体経験を欲している多くの人にアートを通して自然や生命を感じてもらえるような企画にしたいと思ったのがきっかけです。
実施の決断は6月。県の補正予算の確保が確定し超短時間で企画を実装する芸術祭の準備が始まりました。
MindTrail 心のなかの美術館
まず声をかけたのは、昨年猿島で実施したSense Islandで企画・実施を一緒にした林曉甫さんとさまざまな芸術祭のPRの経験のある市川靖子さんでした。その後さまざまなイベント運営を一緒に組んでいるチームや企業に参画してもらい、奥大和の中でも特に自然の深い吉野・天川・曽爾の3カ所での実施をすることになりました。本格的にアーティストにお声がけをして作品詳細話を始めたのが、7月末。すでに実施までにほぼ2カ月しかなくこの記事を書いている9月中旬時点でも作品の詳細を詰めているという緊張感あふれる芸術祭ですが、「できることをやる」を決断した我々にとってこの芸術祭の実施は大きな意味があります。それは、アーティストの表現は止まらないこと、止めてはならないことと、我々の考えを実施する職能を持った者は、長いものに巻かれるのでなく、時に新しいかたちを世に見せ実例をつくり、それをきっかけにさまざまな動きをつくることをしなければならないと思います。結果として地域の観光やその地にかかわる人、地域の皆さんの意識が少しでもよいかたちで変化することを強く願っています。
今回のパンデミックは多くの力を弱めたかもしれません、しかし結果として今までの力学をもう一度立ち止まって考える時間をくれた気がします。なぜそれが今の社会に必要なのか? デジタルやテクノロジーはどのようにして使えばいいのか? 元の社会に戻るのではなく、どのように変化していけばいいのか。人が人として肉体的に、そして精神的にもあり続けるために、今何が必要なのか。そんな課題の一つの答えとしてMIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館を実施できることに感謝したいと思います。
会場風景(撮影:西岡潔)
(2020年9月24日)
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