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さっくり耕せ、淡路島

 「さっくり耕せ、淡路島」これは、2006年のキャッチフレーズ。でも、ん? よく考えたら「ART-SIGHTSEEING」もあったっけ? なんかそれぞれにキャッチが飛び交ってる、淡路島アートセンター
 私たちの淡路島アートセンターは、2005年6月にNPO法人になったばかり。アートNPOについて? なんやろ? ちょっとかっこいい免許証だと思って。しかも活動に助成をいただけるなんてすごい! そんなの持っておかない手はないじゃない! と大あわてで取得するも、え? の連続。そんな甘いはずないよな。あ?。でも眩しすぎるこの世界。なんでこんな毎日になったんやろ。。。
 私たちの住む淡路島は、兵庫県に属していて、瀬戸内海にぽっかりと浮かぶ。自動車は人気の神戸ナンバー! 神戸からは「明石海峡大橋」、四国からは「大鳴門橋」大鳴門橋が掛かってるから車ですぐ。だから都会のオアシスが売り。ほんまに、関西空港からパールライン(高速艇)で渡ってこられるし、世界とつながってるっていうのも、ものすごく自慢。
 それに、古事記・日本書紀では、国生みの島として登場する。やっぱり、淡路島からじゃないと始まらない。これが、私たちのなかではかなり大きく占める考え方。

 でもね、私個人については、遡ること、ん十年前、淡路島はつまらなかった。っていうか楽しいことを見つけられへんかった。流行りのものは微妙に遅れて入ってくるし、だぼズボンのつっかけ履きのヤンキーが大きな顔してるし、大学がないから、高校生の上はほとんど大人。女子高生は3年になれば、先輩もいなけいし同級生にも相手にもされへん(自論)。魚も毎日やし大嫌いだった。隣のおばちゃんは、毎日「どこいくん?」って。「学校やっちゅうねん!」。敬語もない、プライベートもない。そんな島での学生生活が大嫌いだった。また、美術系というだけで変わり者扱いされてた。自己表現は、御法度な窮屈な生活。
 島というコンプレックスを強く持ちなから、京都での学生時代は「おいでやす?、なにしはります?」っと茶店でバイト。島になんか絶対帰らない。楽しみは、本土にある。隣の人なんて知らない。開放的な毎日。でも、数年で帰ってきちゃった(詳細は、個人的に)。

ほんなん言うたって淡路島やもん

フィッシングダイアリー「インタビューマッピング」(すもと公設市場)


 昔、自宅でばあちゃんが雀荘をやってて、学校から帰ったら、マージャンパイを拭いて(東西南北は右下に表向けて)、たばこ補充して、プラッシー(タケダのオレンジジュース)とサワーロイヤル詰めて、点棒21点を揃えるのが日課だった。
 ひとりっこやし、両親働いてるし、家雀荘やし、一人遊びは得意やった。
 さるのこしかけってホントに座れる? 渦潮は塩を入れたらできる? さるすべりって登りにくい? 蝉って握ると鳴く? そんな実験やったなあ。
 蝉はね、針金さえあれば捕れるんよ。針金を金魚すくいのような輪っかにしてそんでもって、家の周りを回る。そんとき見つけた蜘蛛の巣をできるだけたくさん巻き付ける。そんでOK。これで、蝉は捕れる。そっと近づいてペタッってするん。そんな遊びは、父から。
 いろんなことを経て、今年、淡路島に帰ってきて14年になった。あんときの勘が、よみがえってきた。アンテナが動きだした予感。
 子育てにも失敗しつつあって「不要家族」も板についてきて、それでもとっても自由で毎日が楽しくって明日が楽しみで「あ? わ? ;じ? 大好き!」といいながら、のうのうと生活できていることこそ「アート」の魔力。ここに身をもって。
 ここ数年で「アート」を共通語にどんなにたくさんの方と出会うことができたか。でも、この気楽さはやっぱり「ほんなん言うたって、淡路島やもん」に助けられてる。

洲本市民工房


 現在、洲本市民工房で働いている。今年で5年目。洲本市の観光課に属していて、市民ギャラリーと作業スペースの運営をしている。スタッフは臨時職員の男の子の他、シルバー人材センター派遣のおっちゃん、おばちゃん各2名、計6名。
 施設でいろんな方に接することは、すべての企画に反映されているのだけど、特に強い味方は、シルバーさん。ホテルマン・銀行員・専業主婦・喫茶店ママを経て、市民工房で全力でフォローしてくれてる。人生の大先輩でもある。
 元ホテルマンのおっちゃんは、電話の受け答えが非常に丁寧。「さようでございますか」。元銀行マンのおっちゃんは、要約するのが大好き。「ほしたら、○○か!」。専業主婦のおばちゃんは、真っ赤なTシャツが似合う箱入り娘。元喫茶店ママは、子育て論と世間話がお得意。市民工房へは、特に希望したわけでもなくて派遣されてきた面々。当初は、「アート? そんなんわからんけど、きれいそうな仕事やし」って、新しい施設だからという事だけで希望してきた。でも、今では「美術手帖」を愛読し、新聞の文化欄をスクラップ収集する。新聞社への広報もアンケートの集計も電話の応対もシルバーさん。
 「よかったなあ」、「ありゃ悪いわ」、「なんじゃわからん」、「字ちっさいわ」の反応が直球。でもって、おばちゃんたちのフィルターはすごい。どんなプロジェクトも淡路弁変換機能付き。
 「これ見てん!、淡路島アートフェステバルってなあ、アートのことよ。わからんだ?、私もようわからんねん。そこにな、なんや上(かみ)? 島外のこと? からLOCOっていう偉いアーチストさん来たらしいわ。紙コップやで。テレビ見た?かぶっとっただあ。白ーい、まるーいのゾロゾロあるいとっただあ。顔見えらんのよ。前見えへんのちゃうんか思うだあ。なあ、かぶってみ」
 紙コップ人間・LOCO(淡路島アートフェステバル2005・2006参加)によると、淡路島でのコップかぶり率は非常に高いそうだ。お客さんの躊躇がまったくない。

LOCO(撮影:RAW)

いろいろ思うに

 私自身は、知らないことを「知りたい」と思うことが、知ってることを「もっと知りたい」と思うことより多分勝っている。でも、「知らない」ことを「知らなくてもいい」と思う人にたくさん出会ってきた。「興味がない」ことの多くに「わからない」ことをかっこ悪いと思う人にたくさん出会ってきた。
 私も「わからない・知らない」が恥ずかしく、いまさら聞けないことがたくさんある。その場にいることすら嫌だっていう場面もよくある。絶対に質問しないで!と目を伏せる場合がよくある。でも、案外食べず嫌いというか、そこを少し乗り越えると「なあんだ」っと落ち着くことも多々ある。視点を変えてみたり、聞いてみたり、何にせよ「きっかけ」さえあれば。って思う。
 「アート」は、往々にして食わず嫌い派が多い。変わりもんと思われがち。また、「アート用語」は、もっとわかりづらい。なんでカタカナ多い? こんなんじゃ、特別視されてもしかたない。私自身も困惑しながらも、今はムリして「アート」という言葉を使ってる。「アート」っていう言葉に、たじろいで何かを知りたい関わりたいと思うことの弊害になってほしくないし。本質は、もっと別だって思ってるから。
 でも、幸い? 「アート」って言葉すら頓着しない人がこの淡路島には多くって。「なんかやってる」で集まってくれるのは淡路島の有り難いところ。
 2006年11月に「きむらとしろうじんじん」の淡路島野点プロジェクトを開催した時、じんじんさんがおっしゃってた。自称「アートに理解ある」という人がまちにいると、それはそれで結構やっかいなんだって。

きむらとしろうじんじん「淡路島野点プロジェクト/洲本市民広場にて」

きむらとしろうじんじん「淡路島野点プロジェクト/洲本市民広場にて」


 私がしてることは、アートマネージメントなんて格好のいいもんじゃなくて単に「どこいくん?」のおばちゃんと同じ興味で。しかも人にとっては、おせっかいな行為だと自覚してる。
 けど、淡路島には、おいしい海の幸、山の幸に恵まれていて、自然がたくさんある。それらは、関わっているそれぞれの「人」がいるからこそのものだから。いろんな意味での「おいしい」とこをお裾分けする人になりたいと思ってるんだけど。。。この「おいしい」も独りよがりだったりするかな。

淡路島アートフェステバルへ

 2005年は、阪神淡路大震災10周年事業として4軒の空き家でのプロジェクト30企画。2006年は、空き家や観光地や商店街でまたまた30を超すプロジェクトをやってしまった。
 これらの企画は、企業助成をいただけたことで開催できたけど、私たちのプロジェクトにとっては、資金面だけでなく「冠」のおかげがとても大きい。だれが、訳のわからないバーチャルな淡路島アートセンターに協賛するでしょう。いくら地道にPRしたところでせいぜい周辺町内会の範囲。
 「あのトヨタが?」「アサヒビール?」があったから、島人を「安心」させられたし、随分たくさんの関門をくぐり抜けできた。来場者にも恵まれた。「安心」がどれだけ大切か。それがいつしか「信用」のあるプログラムに移行できて、いろんなメディアで紹介いただくことになって最終的に「信頼」につながっていくなんて。結果、自治体から別の助成金をつけてもらえたり。
 今までやりたくてもできなかったこと、たとえ、志が同じであっても大手企業にたどり着かなければなかったこと。アーティストにしても、小規模な個人企画なら参加してはもらえなかっただろう。土地だけでもムリ。「冠」って大きい。そこは正直、虚しかったりもしたけど。

 助成をいただいたらそれなりに、作品のクオリティだったり、まちづくりへの貢献度だったり評価は絶対ついてくる。もちろん評価は評価で受けとめながらも、私たちのプロジェクトは、ご近所さんの顔色が一番重要だったりもする。やりっぱなしもできないし、今後もこの淡路島に「住む」ことが大前提のプロジェクトだから、終わった後の始末と次に繋げることがまたそれはそれで醍醐味。
 アーティストの支援になってるのかどうか、それはなってるって思いたい。ずぶの素人。逆に教わってることの方が多いし。いい空気吸って、美味しいもの食べてもらうことだけに今は精一杯。招聘アーティストと地元アーティスト共に何かが芽生えることに期待してる。また、淡路島で表現したいって言ってもらえる土壌になるように。

最後に

沼島リサーチ


 スタジオ解放区の林さんから、リレーコラムが回ってきて、絶対にむりむりむりーと答えたのにやっぱり書くことになって。書いていく側から「違うんちゃう?」って自分につっこんでる。 まあ、やまぐちができたんだからって希望を与える存在になれたらええか。愚か者をさらけ出してみよう。そんなノリで書いてみた。
 今後も一心不乱に耕してたら、淡路島が最大のフォローをしてくれるかな?いや、もっと考えて耕さなあかんか。
(もちろん、メンバーには最大の敬意を)

 ちっちゃな島だけど未来は明るい、なんてったって「国生み」の島だからね!みんな淡路島に続け?!

【番外編】

淡路島アートセンターについて

 私たち淡路島アートセンターの活動は、2004年の台風23号で土砂崩れに遭った1軒の空き家と出会った。見つかった当初は、自分の住んでるところも大きな被害で大変だったから、空き家はどうやって解体しようかとか産業廃棄物だけでいくらくらいかかるんだろとかそんなことしか考えられなくて。っていうのも台風が来て初めて自分名義の家が見つかったから。
 まあ、そんな具合に知った空き家となんだかんだやることになって、淡路島アートセンターを発足した。

「日の出亭」
2004年台風23号の後、発見されたの日の出亭。淡路島アートセンターの出発点です。


 富田祐介による猫足バスの浴室「非日常へと導く装置2005・2006」、久保拓也の移動可能な「どこでもキッチン」、ニシダユキコによる和室と耐震強度計算、前川和昭による漆喰の外壁。

富田祐介「非日常へと導く装置2005-2006」(日の出亭風呂場)

のぞき穴から撮影。

久保拓也「どこでもキッチン」

久保拓也「どこでもキッチン」

前川和昭「people」(日の出亭)


 イタリアンシェフ井壺幸徳と、彫刻家久保健史による「イタリア料理と彫刻家」。※メニューが彫刻作品で、シェフはその彫刻からイ ンスピレーションを得て料理をつくりを振る舞うというイベント。

井壺幸徳+久保健史「イタリア料理と彫刻家」


 布団職人土井章広の布団、山口友基によるテーマソングなど。今では、私たちにとってはお城。まだ壁はないけど。

土井章広「HERO」(日の出亭崖)

山口友基「サンシャイン」(日の出亭)


 そんな、リノベーション作業と平行して「淡路島アートフェスティバル」(アサヒ・アート・フェスティバル2005/2006参加)を開催した
http://www.asahi-artfes.net/2005/program/25.htm
http://www.asahi-artfes.net/program/13.html

 2006年の招聘アーティストは2005年から継続の、紙コップアーティストLOCOと写真作家RAW。スポンサー企業を一緒にまわりながら「お国自慢プロジェクト」と題してその場で撮影してプロジェクトマップを作成した。

LOCO+RAW「お国自慢プロジェクト/プロジェクトマップ」(撮影:RAW)


 フィッシングダイアリー(伊藤存・大西伸明・中瀬由央)も2005年から。今年は「生き物&チップス」がかなりセンセーショナルだった。これは、参加者と生き物を捕獲しそれを食すという最も簡単なイベント。捕獲したものが全て同じ視点で捉え優劣つけずに同じ高さで食すというもの。一見簡単そうだけど捕獲したものによっては...という企画。開催は夏休み。参加者は子どももあり。となると...(どんなものが並んだかは画像をお楽しみください)。

フィッシングダイアリー(伊藤存・大西伸明・中瀬由央)

フィッシングダイアリー(伊藤存・大西伸明・中瀬由央)「生き物& チップス」


 メディアアーティストの馬野訓子プロジェクトは、大阪電気通信大学の学生らと地元ケーブルTV淡路島テレビジョンの番組オープニング映像を作成したり、ワークショップ、映像編集となかなか長期におよぶ体力勝負企画になった。

馬野訓子


 そのほかに、「UMI*HOTALバスツアー」と題して神戸からの観光客が淡路島の祭りに日帰りツアーで参加する、DREAMVISION (富田浩幸×塩崎隆敬)+oretachi企画「富田ママの日の出流おもてなし」や公設市場をつかったコミュニティアーツの片山啓・佐久間大介の「いちご美術館」、造形作家のAWAJIC HORROR、そして空き家や観光地を舞台に演劇を披露した京都造形芸術大学の学生ユニットの「BUSSTRIO」、「コント弱男ユニット」。小中学校でのワークショップを担当した「Chacosy」、淡路島テレビジョンのCM担当した木藤大資×窪田尚之、そして地元の高校に通う高校生チームなど。総勢20組。

DREAMVISION(富田浩幸×塩崎隆敬)+oretachi「UMI*HOTALバスツアー」

富田ママ「日の出流おもてなし術/日の出亭にて」

片山啓+佐久間大介「いちご美術館/すもと公設市場にて」

AWAJIC HORROR「偽屋/すもと公設市場にて」

BUSSTRIOワークショップ風景(洲本第三小学校)

弱男ユニット「世界無責任旅行 淡路島出張編/大浜海水浴場にて」

Chacosy(チャコシー)「色から出会う/学習小学校・柳学園中学校にて」 撮影:KAZUKI

高校生チーム「お菓子なところ」

(2006年12月23日)

今後の予定

■NPO法人カコア主催「ミーツ・アーツ・ミーティング」参加
開催日:2007年3月11日(日)13:00-16:30
会場:コムズ大会議室(松山)
テーマ:「人と地域を変えるアートの力とは」

淡路島アートフェスティバル2007 テーマ:「アート回覧板」
※ただ今、参加アーティストを募集中。

■2007年5月
ROGUES’GALLERY ガソリンミュージック&クルージング

■2007年7月7日-9月9日
「アサヒ・アート・フェスティバル」参加
・フィッシングダイアリー淡路島レポート
・馬野訓子プロジェクト
・日の出亭プロジェクト
・伝統芸能ワークショップ:淡路島人形浄瑠璃/能:馬野義男(観世流)
・移動人形劇:美術生きのこり塾
・沼島プロジェクト

■2007年10月
・きむらとしろうじんじん/淡路島野点プロジェクト

おすすめ!

「タマネギ92号」



淡路島で是非ともPRしたいもののひとつに「淡路島のタマネギ」があります。淡路島のタマネギは、糖度は13度以上すなわちスイカや温州みかんより甘いと定評です。

今回、淡路島に住む以上やっぱり同じ苦労を語りたい!そんな思いからタマネギを育ててみたいと思います。題して「淡路島タマネギ92号プロジェクト」。そこで、「淡路島タマネギ92号プロジェクト」をご支援いただける、タマネギのお父さん・お母さんを捜しています。

【募集】
淡路島タマネギ限定92個(一人1個)・無料

【お渡し方法】
タマネギは、お送りするか(実費)、井壺シェフのお料理を召し上がっていただくか(実費)、それぞれのご要望をできるだけお聞きしてお渡しできればと思っています。

【ご承諾いただけた方にお願い】
子タマネギの名前・性格・親御さんのお名前・ご住所・アドレス・受け取り方法を明記してawajishima.art.c@hi.awaji-bb.jpまで送付お願いします。

【締め切り】
2007年1月31日(水)ただし、定員に達した場合は締め切ります。

*発育状況は、淡路島アートフェスティバル2007HPでアップします。いかんせん素人のため失敗などございます。どうぞご勘弁を。ではでは、失敗を笑い飛ばしていただける皆々様。どうぞよろしくお願いいたします。

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

全国NPOフォーラムin別府では大変お世話になりました。
あべりあさんのお話には目がクルクルしました。
地元大好き繋がりということでバトン回しますね。
かき入れ時に申し訳 ないけどよろしくお願いいたします!
正月はやっぱり餅っすね。
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