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香港の視座バンテージ・ポイントから

2030年というと、現在私が勤務している準備中の美術館M+(エムプラス)が予定通りに開館すれば、10周年を迎えていることになる。そのとき、私たちが今思い描き疾駆している美術館のヴィジョンは明示され、理解され、機能しているのだろうか?

その問いかけを後に可能にするために、では今何を考え行動しているのか、ということを記載しておくことにしようと思う。デザインキュレーターという仕事柄、スペキュラティブ・デザインという推論的な手法を用いた作品は大いに好むが、個人的な仕事や生活、それを取り囲む社会に対してのかかわり方としてはまったく現実的で、常に現在ということに真摯に取り組んで行くしかないと思っている。つまり現時点でその態度でかかわれる場所の一つとしてM+という美術館の構想に惹かれて香港に来るに至った。

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美術館のデザイン、設計はヘルツォーク&ド・ムーロン
The M+ building in October 2018. Photo © Eason Tsang Ka-wai

香港に建設中の美術館M+は2006年にアドバイザリーボードが立ち上がり、2007年に母体となる西九文化區は世界のトップミュージアムと並ぶヴィジュアルカルチャーの美術館を香港に設立するとして白書を発行、名称のM+は美術館や建物だけに止まらないという意思でミュージアム・プラスという意味を持っている。2012年からは香港という場所を視座とし、20−21世紀のアジア、世界を俯瞰する美術、デザイン、建築、映像のコレクション収蔵が始まっているが、白書の中にそれらをなぜヴィジュル・カルチャーとしたのかというくだりがある。

“ヴィジュル・カルチャーとは流動的なコンセプトで定義しにくいが、一方でその柔軟性は新しい見地の模索を可能にし、変容し続ける時勢に対応することで文化自体の活気づけを可能にする”

ここに読み取れることはつまり、コレクションは歴史を反映しつつも、多義的に新しい世界の見方、理解の仕方を可能にするレンズとなるという見方である。そして私はそれを妥当だと思っているが、ヴィジュアルカルチャーとくくってしまうと、なんでもありのカルチャースペースになってしまうのではないか? と見えなくもないが、そうでないことはハイレベルな美術館の組織とスタンダードづくりを最初の段階から徹底してやっていることがそのアプローチを確固とする。

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コレクションリサーチの様子
The Lunuganga Trust, Colombo, Sri Lanka, 2018. Photo: Ikko Yokoyama

私自身が関わっている美術館準備の一部分として、もう少しそのコレクションのアプローチを掘り下げてみたい。

20世紀の美術、デザイン、建築史は間違いなく欧米の視点でカノンが作られてきた。無論、私も同僚もそれに基づいた教育を受けてきたが、私たち国籍も多彩なM+のキュレーターが現在コレクションと美術館という新しいインスティチューションづくりを通して試みていることは、アジアからの視点でそのカノンを広げると同時にインクルーシブにすることを考えている。大きな美術館への収蔵で様々な意味での価値付けをすることになってしまうことは十分に理解しているが、アーカイブも含め作品をインターナショナルなスタンダードでアクセス可能な環境に収めるという利点を尊重し、慎重にロードマップを描いている。収蔵会議に美術とデザイン/建築別々のコミッティーはなく、積極的に作品間で共有される(もしくはコントラストする)接点、視点、社会背景などを探していく。例えば日本のアート、インドの建築といった国ごとの代表作を集めていくのではなく、そこにどんな横断的なネットワークや影響があったのかをコレクションや開館後の展示で研究していくには無限の可能性がある。

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倉庫に届いた収蔵作品。ダイハツ・ミジェットが1961年からパキスタンに輸出が始まったことで、
東南アジアの 交通手段として広く利用されるようになった。
Unpacking in storage: Daihatsu Midget MP5, designed 1962, made 1962–72 by Daihatsu Motor Co., Ltd.
M+, Hong Kong. Photo: Ikko Yokoyama

そうする一つの理由には後発の美術館ということがある。ギャラリーやオークションから作品を購入することもあるが、デザインや建築においては作品のプロセス(模型やプロトタイプなど)や眠っていた資料、廃棄されがちな物を残してくれていた人達がいるからこそ収蔵が可能になることが多くリサーチにも収蔵にも時間かかる。限られた人手、時間と予算の中で全アジアとその先の世界を同時に進めることは到底出来なので、連想ゲームのごとく、人や土地、アイデアや影響のネットワークの物語を追っていくことになる。さらに、秀逸な美術コレクションを持った美術館やアーカイブはアジアにも数多くあり、新興の美術館ができることは、それらの美術館と連携することで相互を高めることを可能にする視点とシステムを持つことが重要になる。

個人的な視点では20年以上北欧に暮らし、このコラムの1回目で住友氏が取り上げたニューインスティチューショナリズムの只中にいたわけだが、その実践の成功例も理想と現実のギャップも垣間見たことで、脱植民地経験を持つ今後のアジアではEUのような型とは違う、すでに多様な地方性、人種性をそのまま抱擁する新たなハイブリッドモデルが生まれつつあるのではないか? という興味と期待を持っている。

すでに生活やコミュニケーションがユビキタス化した現在も2030年も、発展国も途上国も手法は変容しようと建物を建てることも、生産業がなくなることもありえない。ただ同時にスクリーンベースの生活習慣によって、触覚や立体的な知覚の認識は稀薄になっている。美術館がマテリアル・カルチャーを、またデジタル・カルチャーも小さくともマテリアルなしでは生まれないということをフィジカルな作品へのアクセスで提示していくことは21世紀の美術館としても十分妥当な活動であると思っている。現代とは常その時をさすがゆえ2030年も2130年もそこにいれば現代ということになる。そのため今私たちが行なっている活動は近代—ポスト・モダン以降、現代と言われてきた時代をどう定義して来たる現代に繋げていくかという活動なのではないかと思う。

(2019年1月20日)

関連リンク

2030年の美術館 目次

1
2030年の美術館
2
地方美術館で2030年を思い描く
3
成長しない美術館
4
2030年:保存修復の倫理エシクス
5
香港の視座バンテージ・ポイントから
6
美術館で学ぶということ
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