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2030年:保存修復の倫理エシクス

2030年の美術館、というテーマをいただいた。住友文彦氏、荒木康子氏、山口洋三氏と続いたバトンを上手に先につなげることができるのか、いくばくかの不安を抱えてはいるが、「保存修復」のキーワードを手掛かりに、未来へ目を凝らしてみたい。

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フランチェスコ・ボッティチーニ《戴冠の聖母子と諸聖人》1479-1480 修復後(撮影:田口かおり)

私が絵画や文化財の保存修復に本格的に携わるようになったのは、2005年のことである。当時、まだ駆け出しだった私には、数年先の未来さえどうなっているのか皆目見当もつかなかったが、この10年あまりで美術の世界に驚くべき速度で訪れたさまざまな変化は、保存修復の状況を確実に、そして大きく変えてきた。作品素材や展示環境の多様化、展覧会数の増大は、各作品のたどる経年変化の道程をより予測不可能なものにした。諸々の変化にあいまって、美術館や博物館のあり方に時に寄り添い、時に距離を持ちながら「並走」する保存修復技術の選択肢や調査方法も、広く拡大されつつある。こうした変化は、今後10年でさらに加速するとみてまず間違いないだろう。

あらためて振り返ってみると、未来のコレクションのあり方を考える動きは、ここ数年でより一層活発化したように感じられる。特にイギリスの動向は注目に値する。イギリス博物館協会(The Museums Association)は、2018年に新たなリサーチプロジェクト『コレクション2030』を開始し、国内の美術館や博物館の収蔵品の状況を詳細に再把握すべく調査を進めながら、2030年にコレクションがどのような状態であることが望ましいのか、議論を重ねて指針を定めようとしている。創刊以降、イギリス国内に留まらず各国の美術館の情報発信を続ける「Museum-IDマガジン」もまた、2018年春号より『#Future Museum Project』と題した企画を立ち上げた。ここでは、アメリカ、カナダ、オランダ、ニュージーランド、デンマーク、コロンビアをはじめとする国々において、美術館・博物館・大学・関連施設など、芸術作品や文化財の収集と展示に携わる者たちの声を──とりわけ「未来の美術館の役割」についての個々の見解を収集している。ここにおいて、ブリジット・マッケンジー(フロー・アソシエーション代表、前大英図書館教育普及部長)や、ベン・ハムリー(クイーンズランド美術館)は、保存(conservation)の責務を重要視しているが、とりわけ前者のマッケンジーが美術館/博物館を「極端なまでの保存と救助」に特化した場所になりうる、と予見していることは興味深い。気候変動、大規模な環境破壊―エコサイド―、限られた資源をめぐる戦争など、混迷を極めるであろう人類の未来において、美術館/博物館は文化遺産や芸術作品を広く公開するための「聖域」ではなく、むしろ、略奪者を外に遮断し、内側に守るべき対象を閉じ込めるための「シェルター」と化すだろう。収蔵品は、紛争地帯からより安全なこの種の「シェルター」に移送され、デジタルツールは、作品が由来する場所やコミュニティと収蔵場所をつなぐための手段として活用される――と彼女は述べるのである。マッケンジーが描く仮想未来から想起されるのは、先に住友氏が引用されたスヴァールバル世界種子貯蔵庫である。コラムの言葉をそのまま引用させていただくと「多種多様な芸術品と資料が気象変動、大規模災害、戦争などの影響から守られていく場所」。さらに解釈を拡大することが許されるのならば、続いてゆるやかに連想されるのはアーサー・C・クラーク著『3001年終局への旅』に登場する、月面のピコクレーターの「狂気の保管庫」だ。今までに発見されたすべての病原体や有毒物質、解毒剤、コンピューターウイルスまでもが保管されているこの保管庫から何かしらを取り出すためには専用のマニュピレーターが必要で、目的のモノをつかみ出した後のそれは、安全のために焼却破壊されるという設定になっている。何かを保存することーーつまり何かを未来へ残すという選択は、常に暴力と表裏一体である、という警句が、ここには確かに立ち上っている。

話を戻して、上述のようないささか心が冷え込む未来を眼差す彼女が、将来的に博物館と美術館に求められるであろうものとして一番に挙げるのが、収集と展示、保存の「倫理」なのである。10年以上先の未来に目を凝らすまでもなく、文化財と美術作品を巡る倫理(ethics)は、すでに私たちにとって緊急の考察課題となりつつある。具体的な事例としてまず浮上するのは、略奪文化財や被災文化財だろう。複雑かつデリケートな来歴をたどり、物理的にも大きく破損し改変されていることも少なくないこれら作品群をいかにミュージアムにおさめ、情報を公開し、保存し、時に修復するのか、歴史的・技術的・倫理的な判断が問われている。

被災文化財レスキューの重要性についてはすでに荒木氏のコラムで言及されている通りであるが、過去、応急処置的に行われた被災文化財への修復をどこまで現代において「手直し」するべきかは、大規模な災害を経験した世界各国が共通して抱えている課題である。イタリアにはいまだに1966年のアルノ川大洪水の残した傷跡が生々しく残っており、現在進行形で被災文化財の保存修復が進行しているが、被災した結果作品に残された「欠損」や、そこに施された過去の修復跡を、一つの「生の記録」として知覚可能なかたちで残しながらも、美術作品として鑑賞可能になるよう色彩や形状を回復させるにはどの程度の処置が必要十分なのか、多様な方法論が林立している状況にある。まさに作品の「生」と介入の程度をめぐる倫理の問題である。

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「Gurlitt: Status Report(グルリット:状況報告)」展
グルリットが所有していたクロード・モネ作品が隠されていたスーツケースと新聞の切り抜きの展示
ドイツ連邦共和国美術展示館 ボン(Cornelius Gurlitt artwork collection exhibition, Bonn, Germany: Shutterstock.com)

被災文化財に関しては、2015年、ドイツ人のコルネリウス・グルリット(1932-2014)が、ナチス専属の美術商であった自身の父ヒルデブラントから相続した約1200点の退廃芸術コレクションをスイスに遺贈したことが、記憶に新しい。いわば「負の遺産」を受け入れる決断を下したのはベルン美術館で、同館が2017年11月から開催した「グルリット展」(2017〜2018年、ドイツのボンと二箇所で開催)は、国際的な評判を呼んだ。遺贈された作品群を調査成果とともに一般公開するという本展企画の基盤となったのは、修復士、研究者、学芸員らの共同作業であり、所蔵者の遍歴や売買の記録を丁寧に辿り来歴を再構成する緻密なリサーチに他ならない。作品のほとんどがオリジナルの額から外された状態で見つかっており、来歴を示すスタンプや書付が付随しないものが多かったことから、調査は困難を極めたと思われる。来歴調査費用や弁護士費用がかさみ、美術館がしばしば財政赤字に苦しんだことも、大きく報道された。

ナチス・ドイツが略奪したとされる美術作品の数は60万点以上にも上る。グルリットの例を皮切りに、調査や修復はこれからの10年でさらに増加すると予想される。その過程において、どこまで、どのように、いかなる判断基準に基づき作品を保存あるいは修復するのか、担当者は事例ごとに難しい判断を迫られるだろう。

目の前の作品がどのように制作され、どのような遍歴を経て現在にたどり着き、どのような状態にあって、今後どうなっていくのか。いつの時代にあっても、保存修復の基盤には、まずは作品を「よく視る」こと、すなわち基礎調査があったことは間違いない。ただし、近代前後の基礎調査が、作品の修復方法を決定するよすがであったのに対し、現代においてはむしろ、最低限の修復処置こそほどこすものの、作品を可能な限り現状のまま長く保存する「最小限の介入(minimal intervention)」を目指すためにこそ、用いられるようになっている。修復は作品を未来へ残すための行為でありながら、実際に作品の構造や外観を自在に変えることのできる危険を孕む処置でもありうる。介入の内実は時にマッケンジーが目指す「極端なまでの救助」の真逆をいく破壊行為に結びつくこともあるだろう。幾多の災害と戦争を経たうえに現在進行形の歴史的、政治的問題を抱え、数多くの物語を背負った作品群を前に、保存修復という分野は、「作品を物理的に立て直す」実践から、「作品の生の歴史の再構成のための調査」の方向へ、アーカイヴとドキュメンテーションの分野へと、より大きく舵を切りつつある。そしてこの傾向は、存命の作家の作品への介入を余儀なくされる現代美術の保存修復分野においても、顕著に認められるように思うのである。

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バンクシー《少女と風船》2002年 ウォータールー橋 ロンドン(撮影:Dominic Robinson:wikipedia)

2018年、12月5日にサザビーズで落札されたバンクシーの《Girl with Balloon》は、作家により仕込まれたシュレッダーにより、落札直後にずたずたに裁断された。火を吹いて内側から壊れていくジャン・ティンゲリーの《自己破壊の機械》から約50年、瞬く間に変容する自在な容態を持つ作品群を前に、私たちは、芸術の「仮死状態」とも「生の謳歌」とも「持続」とも呼びうる新たな瞬間に日々立ち会っている。保存修復に携わる者は、その生と死の有様の採譜を専門的に請け負うようになっていくだろう。芸術作品の「今」をどのように保存し、いかにそこに介入し/介入せずに、共存するかを考えること、それは、私たち自身の生の倫理を問い直す未来にも結びついていく振る舞いなのかもしれない。

(2018/12/14)

今後の予定

「タイムライン:時間に触れるいくつかの方法」展(京都大学総合博物館・2019年4月17日〜6月16日)を企画開催します。京都の造形芸術家・井田照一の作品と、現代美術の作家たち(大野綾子、加藤巧、土方大、ミルク倉庫+ココナッツ)の作品を、修復調査の記録や光学調査データとともに展示し、近現代美術の複合的な「生の時間」を浮き彫りにする展覧会です。

また、継続的に行ってきたヴィンセント・ファン・ゴッホ作品の調査内容が「印象派、記憶への旅」展(ポーラ美術館×ひろしま美術館 19年3月23日〜7月28日、8月10日〜10月27日)にて公開されます。どんな調査を行い何がわかったのかをお話しするギャラリートークを19年6月15日に開催しますので、ご興味のある方はぜひお立ち寄りください。

2030年の美術館 目次

1
2030年の美術館
2
地方美術館で2030年を思い描く
3
成長しない美術館
4
2030年:保存修復の倫理エシクス
5
香港の視座バンテージ・ポイントから
6
美術館で学ぶということ
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