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「トヨタ・エイブルアート・フォーラム その後の10年」
~エイブルアートの歩みと未来~(7)

「トヨタ・エイブルアート・フォーラム その後の10年」(7)
<福岡県福岡市>
NPO法人まる 
設立者・施設長 吉田修一
工房まるは開所から17年目の道のりを歩んでいます。近年、工房まるに多くの方が見学等でご来所いただいたり、私や樋口が工房まるの話をする機会をたくさんいただきます。それがいつ頃から増えてきたのかと考えると、いくつかの要因があるとは思いますが、障害者自立支援法施行が大きなきっかけになっていると思います。事業所開設のハードルが下がり、工賃アップも含めサービスの質や充実が問われる中、ある意味の競争が始まり、活動の中身の試行錯誤が始まったからです。

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障害のある人のアート活動について様々な地域のお話を聞いていると、私たちが活動している福岡市は、他の地域にない発展をしていると感じています。まず、アート活動に取り組む障害福祉事業所(以下、事業所)が多く、福岡市や市外郭団体である福岡市芸術文化振興財団がそれぞれ年1回、障害のある人のアートに関する事業を行っています。さらに福岡市は「ときめきPROJECT」という事業所商品のクオリティやスキルをアップ、販売促進を目的とした事業にも力を入れています。民間では「アリヤ」という事業所で作られる物事に着目した雑誌が発刊され、「だんだんボックス」という障害のある人のアートと社会をつなぐ中間支援的な団体も誕生しています。それらには多くの企業がかかわり、クリエーターの人もかかわっています。作る人、求める人、支える人、広める人、障害のある人のアートに何らかの形でかかわっている人々が、それぞれが主体的に、そして全体としてバランス良くその役割が果たされているのです。私はこの環境を見て大げさですが、この地域では、もはや障害のある人のアートは特別な存在ではなく、多くの市民の生活に寄り添う"文化"になっていると感じています。このような発展の核に「エイブル・アート」の存在があります。

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1997年4月「『障害のある人、ない人』と区切らない社会にしたい。」と、そんな思いを持って工房まるを開所しました。不安よりも何かの可能性を感じ夢いっぱいでスタートできたのは、開所する少し前に知った"げいぶんきょう(日本障害者芸術文化協会)"、今のエイブル・アート・ジャパンの存在と、いくつかのアート活動を実践する事業所の存在があったからです。そして約3年後に「トヨタ・エイブル・アート・フォーラム」を福岡で開催するに至りました。フォーラムでは私たち実行委員会の要望で、展覧会「エイブル・アート~ここからなにかがはじまる~」を開催。6日間で約1,600名が来場し、加えて来場者の滞在時間の長さに、まさに大きな可能性と手応えを感じました。2001年3月には「トヨタ・エイブル・アート」第2弾のワークショップを開催、2003年4月に第3弾の自主企画のセミナーを開催しました。
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このホップ・ステップ・ジャンプ方式の取り組みが福岡ではピタリとはまり、障害者福祉関係者もアート関係者のみならず、分野を超えて広がったことに間違いありません。報道機関をはじめ多数のメディアも「エイブル・アート」を取り上げ報道していただいたことも非常に大きな力になりました。この実績は、福岡市文化芸術振興財団が「エイブルアート事業」を始めるきっかけとなりました。現在は委託事業として私たちの法人が請負い「lifemap」という企画として継続した取り組みとなり、さらに裾野を広げる企画になっています。これらにかかわったり、参加者の中に、現在アート活動を行っている事業所やその他の活動で中心的な役割を果たされている方々が多数おられます。

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私たちは「エイブル・アート」の活動や工房まるの実践を経て、障害のある人のアート活動は単に事業所活動の幅を持たせることや、高工賃が得られる等の可能性だけではなく、社会の価値観を変え、社会に真の豊かさをもたらす力を有していると確信しています。工房まるの活動でも経験しましたが、アート活動を行う事によってさまざまな人が集い、知恵を出し合い、数多くのアイデアや新しい物事が生まれる現場に数多く立ち会いました。そこには豊かさがあふれていました。この現象が一対一の関係や事業所内、あるいは福祉現場だけでなく、社会の至る所で生まれたら社会に必ず真の豊かさをもたらすと思うのです。もしかしたら他の取り組みでも行えることかも知れませんが、アート活動で際だっているのが、全ての物事の根源がその人にあるということです。

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私たちの国もようやく国連の障害者権利条約に批准しました。権利条約の基本的概念には、障害のある人の存在を「保護の対象」から「権利の主体」へ転換することがあります。「権利の主体」は障害のある人だけに特別なことではなく、障害のあるなしに関わらず誰もが「権利の主体者」です。ですが多くの人々は自身も「権利の主体者」であることを実感する機会はほとんど無く、それを言葉で言い表すことも難しいでしょう。そうした中、障害のある人のアート活動はその概念を自然と表していて、今後、権利条約を元にした社会づくりを進めていく際に、常にイメージしておくべき姿だと思います。アートは"その人"そのものと捉えることができ、そのアートをきっかけに生まれた新しい物事の「主体」はまぎれもなく"その人"だからです。

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「エイブル・アート」が投げかけた価値観の変革は、新しい社会の到来を望む多くの人が共感し、参加しました。その中からさらにさまざまな可能性を広げる担い手が現れ、そして今もなお広がっています。「トヨタ・エイブルアート・フォーラム」は福岡の地でさまざまな関係をはぐくみ、新しい物事をもたらしました。播磨氏が「エイブル・アート」を提唱した際に描かれた世界観をどれほど具現化できているかわかりませんが、私たちはこれからも社会を豊かにする役割を果たすべく、歩みを進めていきます。

2014212日)

NPO法人 まる
代表理事 樋口龍二

私が染色会社に勤務していた時代に「工房まる」の障害のあるメンバーと出会い、彼ら彼女らの表現に魅了され現場スタッフとして転職したのが1998年(当時24歳)でした。今まで「福祉」に携わる機会がなかった私は、現場で障害のあるメンバー個人と対話することで、社会の「福祉」「障害」といった既成の概念を変えたいという欲求が生まれていました。しかし、どのように変えていけるのかまでは考えられず、当時は木工でのクラフト活動を少しずつ進歩させることに取り組んでいました。

作業所での仕事を始めて半年後、施設長の吉田から「エイブルアート」の話があり、「アートに取り組む場合じゃないのでは?」と反論した記憶があります。そのときの私はアートというものが専門的で領域の狭い世界と考えていたからです。

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そんななか、いくつかの書籍を読み、滋賀県の「やまなみ工房」と奈良県の「たんぽぽの家」へ研修に行くことになりました。そこで見たのは迫力ある粘土の立体造形や今までに見たことのない絵画作品でした。スタッフへ尋ねると「この作品を今度東京の美術館へ出展するんです」とのこと。アートを理解したとかではなく、なにか面白い動きが起こることを感じました。その波が起こる現場に自分も行って感じたいと思い、僕は吉田へ「東京の展覧会に僕も行きたい!」と伝えました。

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そして、1999年2月に東京都美術館で開催された「エイブル・アート'99 このアートで元気になる」へ足を運びました。当時、美術館に通うことがほとんどなかった私だったのですが、作品を前にすれば自然に対話をすることができました。作家の世界に魅了されたり、作品から懐かしさやユーモアを感じたりと存分に愉しむことができ、同時に忘れていた感覚が体内からよみがえってくる感じがありました。
作品との対話を終え、施設のスタッフやこの展覧会の関係者にもお話をさせていただき、それからの「工房まる」メンバーとの関わり方にもヒントをもらえることができた貴重な体験でした。
そしてその年に、私はアートのことはまったくわからないまま、「トヨタ・エイブル・アート・フォーラム福岡実行委員会(総勢15人)」の委員長となってしまうわけです。しかし「障害のある人たちと社会を柔軟につなげていきたい」という私たち「工房まる」の欲求をかなえてくれる可能性をものすごく感じていました。
2000年に開催した福岡市美術館でのフォーラムでは、わがままを言わせていただき、6日間の作品展も同時に開催させていただきました。その理由は、福岡(九州)という土地で、誰も聞いたことがない「エイブル・アート」という名前だけでは、ムーブメントの波が始まっていかないと不安に思っていたからです。また、作品を展示することによって私みたいに「アート」や「福祉」に関心のなかった人たちへ「なにか引っ掛かってほしい」という思いがあったからです。
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おかげさまで、展覧会は6日間で1,600人、最終日のシンポジウムは180人集まっていただき、次年度のアートサポーター育成ワークショップ、そして、3期目には九州のネットワークを構築することを目的とした合宿型のシンポジウム/ワークショップ(自主企画)を開催することができました。年々、福祉関係者だけでなく、美術関係者、教員、学生など他業種の方々にご参加いただきました。そして3期目(2003年4月)のシンポジウム/ワークショップに、(公財)福岡市文化芸術振興財団(以下:FFAC)の職員2名参加いただいたことがきっかけで、FFAC主催の「エイブル・アート事業」が2004年度より始まりました。
しかも、FFACが設立した「ギャラリーアートリエ」のオープンニングを「エイブル・アート展」が飾り、2007年度からは当法人が受託され、企画展名を「Lifemap(ライフマップ)」と変更し、現在(2014年)でも継続して開催しております。
また、このような流れと同時に福岡市保健福祉局からも「ときめきアート展」と題した企画展の受託を受け、2007年より毎年1月に、福岡市の中心にあるイムズで地元の障害のある人たちのアート展を継続して開催しております。
もちろんそのような企画・運営を行っていくなかで、美術関係者、教育関係者、映像作家、デザイナー、建築家、ダンサー、学生などたくさんの協力者がいることで成り立っています。
最後に協力者と共に活動を行っていくなかで生まれた言葉を紹介します。
------場の中に自分の存在を実感し、必要とされていることを確認すること。

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------忘れてしまった感覚をなにげない日常の中でひとつひとつ気づくこと。

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------表現を通じてやりとりすること。

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(2014年2月12日)
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吉田 修一(よしだ しゅういち)
障害福祉サービス事業所「工房まる」施設長、NPO法人まる 事務局長
1971年大阪生まれ。九州産業大学写真学科卒。卒業制作において「障害のある人」をテーマとした写真を撮るため初めて養護学校を訪問した。それがきっかけとなり障害者福祉の道へ。1996年に小さな福祉作業所に就職。そこを引き継ぐ形で1997年4月に無認可作業所である福祉作業所工房まるを開設した。写真による自己表現をしてきたこと、それを通じた様々な体験が工房まるでアート活動を進める大きな源となっている。2007年にNPO法人まるの設立と同時に理事、事務局長に就任。2008年に工房まるの障害福祉サービス事業移行に伴い施設長に就任。現在に至る。
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樋口 龍二(ひぐち りゅうじ)
NPO法人まる 代表理事
1974年福岡生まれ。1998年、染色会社在職中に福祉作業所「工房まる」と出会い、障害のある人たち感性に魅了され即転職。作業所職員として、現場で障害のある人たちとの活動で培ったさまざまな経験を、社会へ発信する欲望へと変わっていく。2007年に法人設立と同時に代表理事就任。近年では、「エイブルアート・カンパニー」や「TSUNAGU FAMILY」など、九州/福岡を中心に障害のある人たちの表現を社会にアウトプットする環境を構築中。既成の「福祉」「障害者」といった概念を心地よく揺さぶり、障害のある人にとっても柔軟に対応できる"まちづくり"としてさまざまな活動をおこなっている。
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