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がんばれ、東北。がんばれ、日本。

東日本大震災から1か月。余震が続く中、それでも前に進まねばなりません。地震前後に原稿のやり取りをした、今月のリレーコラム執筆者・クイーンズ美術館学芸部ディレクター/キューレーターの岩崎仁美さんは、ニューヨークからメールで励ましてくださいました。
コラム本文最終段では、9.11同時多発テロ時のご自身の体験をもとに、アート関係者を励ましてくださっています。

本ブログで、改めてその部分をご紹介いたします。
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(前段略)
私はこうした動向も含めて、現代美術と人類(とここで大胆に言ってしまいますが)の関わりをもっと撹拌性や直接性、そして持続性のあるものと定義づけて運営していくことがこれからの美術館の役目だと感じています。2001年のアメリカ同時多発テロ事件の経験は、私のこうした思いを確信するきっかけとなりました。事件3日後には当館でも運営を再開しましたが、自分のデスクでインターネットの事件関連ニュースに釘付けになりながら、展覧会がどうした、自分は今こんなことをしている場合なのかというやりどころのない焦燥感に駆り立てられました。美術と日常における極限的人間状況との関係のあまりの脆弱さに愕然とする思いでした。こんな非常事態にあって美術館なんぞがこれっきり活動再開しなくても誰も気がつきはしないぞと。

いうまでもなくこのたびの東北関東大震災の悲報に、あのときの思いが蘇りました。実際、次の人生では医療や福祉関係あるいはジャーナリストや政治的活動家になりたいと思わなかったこともありません。でも、私はアートを信じています。戦争や災害というに大規模な困難に直面するとき、アートが即座に人の命を救うことも飢える人の空腹を満たすこともできないけれども。多くの人々にとってアートの恩恵とものというのは必ずしも実感、認識できるものでは無いことが多いではずです。アートや展覧会の質や成功は入館者数でも入館料売上げでもなく、決して数量化できないところにあるはずです。文学にも音楽にも、科学や医学を持ってもカヴァーできないものをアートが担当しています。人間性が健全に成立し機能するために必要な、情報分類化できない本能的かつ抽象的な人間という生き物の中枢をケアするのだと。

しかもアートの威力、本当の底力は決して直接体験からのみ得られるものでもなく、ごく間接的な体験者や状況との接触によって人からコミュニティーへと見えないところで見えない速度で、じわじわ浸透していくものだと理解しています。
クイーンズ美術館は、私のこんな少し気後れするようなロマンティシズムを現実味のあるものにしていける、数少ない美術館の一つです。

最後になりますが、3月13日のパワフルな表紙デザインで知られるイギリスの有力紙インディペンデントの表紙に、日本語で綴られたフレーズをここにもう一度。

がんばれ、東北。 がんばれ、日本。

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