ネットTAM

15

音楽をつくる、音楽を届ける
── 五十嵐紅トリオが語る、“演奏者”と“企画者” の2つの顔

トヨタ自動車株式会社 トヨタロビーコンサート

アートの現場レポート!企業編

企業の中にもたくさんのアートの現場が存在します。ここでは企業が行うメセナ活動(芸術文化振興による豊かな社会創造)の現場へ足を運び、担当者の方へお話をうかがう取材レポートをご紹介します。アートを通して企業のさまざまな顔が見えてくると同時に、社会におけるアートの可能性を見出します。

第15回はトヨタ自動車株式会社が東京本社のトヨタ東京ビルで開催するロビーコンサートです。1995年から現在まで、30年も継続されているこのコンサートは近隣の福祉施設や住民の皆さまに気軽に音楽を楽しんでいただく場として、地域NPOの方々のご協力のもと、社員が手づくりで開催。51回目となる同コンサートの出演は五十嵐紅トリオ(五十嵐紅・倉冨亮太・広田勇樹)です。今回は、企画・制作を担う企業担当者のお話に加えて、出演者にインタビューをし、アーティストから見て感じた企業のアートの現場をご紹介します。また、アートマネジメントについても語っていただきました。アートマネジメントを志す若い世代にむけてのメッセージもぜひお読みください!

ロビーに響く音楽

トヨタロビーコンサートとは

 『トヨタロビーコンサート』は、地域住民の方に気軽に音楽を楽しんでいただきたいという趣旨のもと、トヨタ自動車が行っているメセナ活動の一つです。東京本社のロビーを会場に、近隣の福祉施設の方や経済的に厳しいご家庭の方、さまざまな障がいのある方などを招待しており、1995年の開始以来、約18,000人以上が来場しています。公演では、社員による手話通訳が入ったり点字プログラムが配布されるなど、誰もが楽しめるような工夫が随所に凝らされています。

art-corporation-toyota-lobby-concert-staff.jpg

当日運営にはたくさんの社員ボランティア(赤いベスト着用)がかかわっている。来場者からペットボトルのふたや使用済切手を収集し、開発途上国への教育や医療に役立てられている。

五十嵐紅トリオのご紹介

今回出演したのは、ギター、ヴァイオリン、チェロによる編成で2022年に結成された『五十嵐紅トリオ』。ギタリストの五十嵐紅さんを中心に、NHK交響楽団第一ヴァイオリン奏者の倉冨亮太さん、元・東京フィルハーモニー交響楽団チェロ奏者の広田勇樹さんがメンバーを務めています。

今回の制作背景について、企画担当者の津國佳代さんは次のように語りました。

以前は音楽事務所にご協力いただいていましたが、数年前からは、テーマ設定から出演者・曲目の選定、構成や演出に至るまで、企画担当者自身が手がけるスタイルになりました。その方が、私たちの思いをより直接的にお届けできると感じたからです。

五十嵐紅トリオ様を知ったきっかけは、SNSで偶然目にした演奏動画でした。その洗練された音色に触れた瞬間、"この方々の演奏は別格だ"と直感しました。お人柄や言葉遣いにも品格が感じられ、ぜひロビーコンサートでご紹介したいと思い、公式サイトのコンタクトページから直接ご出演をお願いしたところ、快くご承諾いただきました。

津國佳代さん art-corporation-toyota-lobby-concert-planner.jpg

演奏者、そして企画者として

コンサートでは、映画音楽やジブリの音楽を大切に取り上げている五十嵐紅トリオ。それらはいずれも、作曲家がこのトリオのために特別に編曲し、独自に再構築したものです。また録音や撮影編集にも各界のエキスパートを配し、自分たちの音楽活動を巧みにプロデュースしています。今回は本番前のひととき、ギター三重奏の新たな可能性を切り拓いている彼らに、活動への思いなどをうかがいました。

「演奏者」としての五十嵐紅トリオ

art-corporation-toyota-lobby-concert-trio.jpg

五十嵐紅トリオ(左から:広田勇樹さん[チェロ]、五十嵐紅さん[ギター]、倉冨亮太さん[ヴァイオリン])

── まずはトリオ結成のきっかけからお聞かせいただけますか。

五十嵐:もともと、ギターとは性質の異なる擦弦楽器と、シンプルな編成で音楽をやりたいという思いがあって、大学時代からギター・ヴァイオリン・チェロの組み合わせで活動していました。メンバーについては試行錯誤を重ねてきましたが、現在の倉冨くんと広田くんとは、ツアー中もずっと一緒に行動するくらい仲がよくて、今のかたちに落ち着いています。

倉冨:五十嵐くんとは、デュオやトリオでの演奏活動だけでなく、山登りや温泉にも一緒に行くような関係です。気兼ねなくつき合える仲間とトリオを組めたことが本当にうれしいですし、僕にとっては、心のオアシスのような存在ですね。

art-corporation-toyota-lobby-concert-interview-1.jpg

広田:僕と倉冨くんは東京藝術大学の同級生で、学生時代からよく一緒に演奏していました。そんな中、五十嵐くんがチェリストを探していたタイミングで、倉冨くんが僕を紹介してくれたんです。初めて五十嵐くんとデュオで演奏したときにすごく楽しくて、それがきっかけでトリオに参加することになりました。楽しいことも挑戦したいことも共有できて、率直に意見もいい合える関係なので、今では半分家族みたいな存在ですね

art-corporation-toyota-lobby-concert-interview-2.jpg

── ロビー(※今回は大会議室)という空間での演奏にどんな印象をお持ちでしょうか。

五十嵐:忌憚なくいえば、音響的にはシビアな面があります。響きが少なく、奥行きもあるので、どんなに攻めた演奏をしても、客席まで音が届きにくいんです。リハーサルのときに広田くんが「普段の180%の力で弾いて、ようやくいつもの僕らの音楽になるんじゃないか」っていっていて、まさにその通りだなと思いました。

art-corporation-toyota-lobby-concert-venue.jpg

会場となったトヨタ自動車の東京ビルの大会議室

art-corporation-toyota-lobby-concert-rehearsal.jpg

リハーサルで念入りに音のバランス調整を行っている様子

広田:床の絨毯や背後のカーテンなどに音が吸収されてしまうんですよね。でもそういう制約に抗う3人の熱量が、よいものを生む瞬間もある。こういう会場ならではのおもしろさだと思います。

倉冨:本番ではお客さんが入ることで、さらに音が吸収されるでしょうから、360%の力を出すくらいの気持ちで弾かないと...って思っています(笑)。

企画者としての視点

── 五十嵐さんはトリオの活動をプロデュースする企画者の一面もお持ちですが、普段どんなことを大事にしていますか

五十嵐:僕はこのトリオの活動を、自分が追求している美学に沿って設計したいと考えています。ただその一方で、2人がやりたいことや、彼らならではの発想も大切にしたいので、日ごろからメンバーとのコミュニケーションはとても重視しています。あとは、常に全体を俯瞰して見ることですね。企画も演奏も、どちらも「表現」だと思って取り組んでいます。

art-corporation-toyota-lobby-concert-interview-3.jpg

「企画者」としての視点について語る五十嵐紅さん

── コンサートでは映画音楽やジブリの音楽をよく取り上げていらっしゃいますね。

五十嵐:まず、僕自身がそういった音楽が好きというのが大きいですし、多くの方に親しみを持って聴いていただけるのではないかと思っています。ただ、それらを単に「軽音楽」として演奏するのではなく、僕たちの技術を活かして、編曲にもこだわりながら、独自の表現を目指しています。クラシックを演奏するのと同じくらいの密度で取り組んでいます。

広田:表現の幅という意味では、クラシックよりも多くの引き出しが求められるかもしれません。ポップスやミニマルミュージックでは、リズム楽器がビートを刻むことが多いですが、このトリオではそれを自分たちで疑似的につくり出さなければならない。特にジブリの音楽はもともとオーケストラ用に書かれているので、木管や金管、ティンパニなど、さまざまなパートを3人で分担して演奏しています。

倉冨:そういった音楽は、演奏以外に想像力がないと表現できないと思っています。リハーサルでさまざまなアイデアを出し合い、話し合いながら3人で細かい表現まで追求していく時間は大変楽しいです。

art-corporation-toyota-lobby-concert-interview-4.jpg

終始笑顔でインタビューに応じる五十嵐紅トリオ

── 「トヨタロビーコンサート」という事業の意義については、どのように捉えていらっしゃいますか。

五十嵐:芸術や文化を支える存在として、かつては王侯貴族がパトロンの役割を果たしていましたが、現代では企業がその役割を担ってくださっているのは本当にありがたいことだと思います。特に今回のように、普段コンサートに足を運ぶことにためらいのある方や、さまざまなハンディキャップをお持ちの方にも門戸を開いてくださっている点は、とても意義深いです。そうした工夫は、私たちアーティストだけでは実現が難しいですし、お客様にとっても貴重な体験になるのではないでしょうか

アートマネジメントを志望する方へのメッセージ

──今後このトリオでは、どんなことに挑戦したいですか

五十嵐:レパートリーのジャンルをもう少し広げていきたいと思っています。ただいろんなものに手を出すのではなく、僕たちのよさを損なわないように、きちんと一貫性を持って進めていきたいですね。またアンサンブルのさらなる向上も必要なので、そこは真摯に磨いていきたいと思います。

── アートマネジメントを志す若い世代に伝えたいことはありますか。

五十嵐:一番大事なのは、演奏者と企画者の間で、コミュニケーションを疎かにしないことだと思います。企画者がつくりたいものと演奏者がやりたいことって、必ずしも一致しない時があるのですが、意思疎通が疎かだとお互い不満を抱えたまま進んでしまう。でもきちんとコミュニケーションをとれば、よりよいものが生みだせると思うんです。

それから、お客様にしっかり目を向けることでしょうか。クラシックの演奏者は、自分たちがやりたいことが本当にお客様に喜んでもらえるかどうか、客観的に判断するのが難しいことがあります。そういうときにマネージャーのような立場の方が、演奏者の考えを汲みつつ、未知の領域へと後押ししてくれたり、独自の企画を提案してくださったりすると、とてもありがたいですね。

アートマネジメントを志す方が増えるのは、演奏家にとっても心強いですし、応援しています。

art-corporation-toyota-lobby-concert-interview-5.jpg

インタビューは終始和やかな雰囲気で行われた

音楽の現場から生まれる対話

舞台と客席が一つになった夜

art-corporation-toyota-lobby-concert-live.jpg

「映画音楽の夕べ」と題された第51回トヨタロビーコンサート

art-corporation-toyota-lobby-concert-sign-language.jpg

舞台上では、社員ボランティアが手話通訳を務めた

彼らがその日に繰り広げたのは、「映画音楽の夕べ」と題された60分間の公演。ジブリ映画『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『天空の城ラピュタ』や『サウンドオブミュージック』では、それぞれの映画のエッセンスが見事に再構築され、生き生きとした推進力のある演奏が披露されました。特に印象的だったのは、最後に演奏された『海の上のピアニスト』の音楽の冒頭。ヴァイオリンとチェロが静謐なハーモニーを奏でる中、ギターがテーマ曲のメロディを紡ぎだすと、子どもからご高齢の方まで幅広い世代の方が、その音楽のみずみずしさ、美しさに心地よく耳を澄ませている様子がうかがえました。10月10日には、東京芸術劇場コンサートホールで3周年記念公演を開催するという五十嵐紅トリオ。今後の活躍にますます期待が高まります。

art-corporation-toyota-lobby-concert-ending.jpg

終演後、客席からは惜しみない拍手が贈られた

トヨタのメセナ活動が果たす役割

企画担当者の津國さんは過去のロビーコンサートについて、こんなエピソードも教えてくださいました。

不登校気味だった小学生のお子様が、出演者のHIPPYさんの《君に捧げる応援歌》が大好きで、毎日ご自宅で大きな声で歌っていたそうです。その様子を見たお母様が、"ぜひ生で聴かせてあげたい"と参加を希望されたとうかがいました。コンサート当日、HIPPYさんの歌声や歌詞が、お子様の心に何かしら届いていたらうれしく思いますし、それが少しでも前向きな気持ちにつながっていたら、企画した意味があったと感じます。

今回の五十嵐紅トリオ様の演奏もそうですが、アーティストの真摯な演奏には、聴く人の心を動かす力があるとあらためて感じました。自動車会社に入ってまさか音楽コンサートを担当することになるとは夢にも思っていませんでしたが、誰もが今よりもっと笑顔で幸せに暮らせる『幸せの量産』というトヨタ自動車が掲げるミッションに、音楽を通じて少しでもかかわれているのであれば、担当者冥利につきます。

この社会には、障がい、貧困、病気、家族に頼れないなど、さまざまなかたちで困難を抱えている方がいます。しかし地域を支える企業や団体が手をつなぎ、アクションを起こせば、社会的に弱い立場に置かれている誰かが一歩踏み出すきっかけを生み出すことができる──地域において、企業が果たしうる役割の大きさをあらためて実感しました。

art-corporation-toyota-lobby-concert-souvenir.jpg 

来場者に配布されたお土産
左側:能登のJAはくい『はとむぎ加賀棒茶』。
中央:筑波大学附属大塚特別支援学校≪えがおカフェ≫の生徒さん手づくりの『スノーボールクッキー』
右側:プログラム表紙は「エイブルアート」登録アーティストSeiyamizuさんのイラスト

次回の公演のご案内

次回のトヨタロビーコンサートは来年2月頃、「次世代育成」の視点から、子どもたちに焦点を当てた企画を準備中とのことです。


開催日:2025年7月11日(金)
会場:トヨタ自動車株式会社 東京本社 B1階大会議室


取材者:高巣真樹(メセナライター)
神奈川県出身。国際基督教大学在学中にオーケストラ事務局でインターンを経験。2009年から15年間、水戸芸術館音楽部門学芸員として、クラシックやジャズ公演、教育プログラムの企画制作、広報を担当。現在は国立大学で留学生のサポート業務に従事。青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム31期生。

写真撮影:ネットTAM運営事務局

関連リンク

この記事をシェアする: