ネットTAM

18

モータースポーツの歴史がつむいだ文化
後編「挑戦」に彩られたモータースポーツ文化

富士モータースポーツフォレスト株式会社
富士モータースポーツミュージアム

企業の中にもたくさんのアートの現場が存在します。ここでは企業が行うメセナ活動(芸術文化振興による心豊かなより良い社会づくり)の現場へ足を運び、担当者の方へお話をうかがう取材レポートをご紹介します。アートを通して企業のさまざまな顔が見えてくると同時に、社会におけるアートの可能性を見出します。

第18回は、静岡県駿東郡小山町にある2022年10月にオープンした「富士モータースポーツミュージアム」です。日本を代表するレーシングサーキット「富士スピードウェイ」に隣接する同施設は、トヨタ自動車株式会社が支援するミュージアムで、設立時より、同社だけでなく国内外の自動車メーカー各社が展示車を提供し、企業の枠を超えた協働により実現しました。現在は富士モータースポーツフォレスト株式会社が管理運営を担っています。動態保存される本物のレーシングカーはもちろん、モータースポーツに関する歴史や資料が展示され、世界初、そして唯一の、世界の自動車メーカーや自動車博物館が協力してできたミュージアムといえます。ハイアットホテルアンドリゾーツが運営を手掛ける富士スピードウェイホテルに併設されていて、一方に富士山の雄大な姿を、もう一方にはサーキットを望む立地に、モータースポーツ好きのみならず、世界中から多くの宿泊客が訪れています。

本記事では、前後編の構成で、富士モータースポーツミュージアムの魅力を紹介します。前編では、同館が体現する「モータースポーツ文化」について、国内外自動車メーカー10社の連携による常設展示を中心に、ミュージアムの設立経緯からコンセプトまで館長の布垣直昭さんにお話をうかがいました。現在開催中の企画展『耐久レースと日本』についても取り上げる後編では、より具体的な内容でモータースポーツにかかわってきた人々の熱意を見ていきます。モータースポーツが、ひいては自動車が文化であるとはどういうことなのか。ミュージアムの役割とは何か。モータースポーツに詳しくない方にも一緒におつき合いいただき、考える機会になれば幸いです。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-1_img_2450.jpg

企画展『耐久レースと日本 ~クルマを鍛えた進化の足跡~』

前編では、モータースポーツを一つの文化として発信しようという富士モータースポーツミュージアムの挑戦について、布垣館長のお話を中心に紹介してきた。それでは、文化としてのモータースポーツの歴史、そして未来はどのようなものとなるのだろうか。後編では、2026年3月31日まで開催中の企画展『耐久レースと日本 ~クルマを鍛えた進化の足跡~』の内容も交えて、同館の魅力や社会的意義について考えていきたい。

130年以上もの歴史をどう伝えるか

「歴史を見せるうえで、やはりモータースポーツならではの情熱を伝える展示内容にしたかった」と、布垣館長は力説する。ミュージアムに少し足を踏み入れただけで、モータースポーツの歴史が、常に挑戦とともにあったということがわかる。前編でも触れた『フォード999』は、いわゆる「T型フォード」を世に送り出したことで、自動車の世界的普及に貢献したヘンリー・フォードが、フォード社の創業以前に製造したレーシングカーだ。

布垣館長:このフレームだけしかないような車が、当時の世界最高速度を記録しています。高い技術力を示したおかげで、フォードは銀行や投資家から信頼を得ることができたのですね。後の「T型フォード」につながる事業のための資金を、レースによって獲得できたわけです。彼にとってモータースポーツは、事業を始めるにあたってなくてはならないものでした。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-2_img_2279.jpg

後の大衆車「T型フォード」生産に必要な事業資金の獲得に多大な貢献をした『フォード999』

チェーンコンベアを用いたライン生産方式によって、累計1,500万台以上も生産されたという「T型フォード」が開発されていなかったら、自動車の歴史のみならず一般市民の生活も大きく変わっていただろう。モータースポーツの存在が、量産車の誕生を促したともいえる。量産が可能になったことによって、富裕層から一般庶民まで自動車は広く愛されるようになる。その流れの中で登場したのが、「世界初の量産スポーツカー」といわれる『イスパノ・スイザ アルフォンソXIII』である。レース車をベースに公道を走れる仕様へ改良したこのモデルは、スピードと実用性を融合させた革新的な試みで、後のスポーツカー文化の原点となった。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-14_img_2283.jpg

イスパノ・スイザ アルフォンソXIII(1912年)
レーシングカーから生まれた史上初のスポーツカーは、スペイン王アルフォンソ13世の名前を冠する栄誉に輝いた

布垣館長:1908年には、ニューヨーク・パリ世界一周ロードレースも開催されています。世界を一周するということは日本にも訪れていて、日本を走っているときの写真も壁面に展示しています。採光機能も備えた半透明のカーテンのような素材に、展示車に関連する資料をプリントしています。外の景色も楽しみながら、この場の空間の感覚と歴史を重ね合わせて観ていただけたらと思います。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-3_img_2260.jpg

展示車両にゆかりのある写真がプリントされたカーテンは、展示パネルでありながら、外の景色を透かし眺めることで、過去から現在が同じ空間の中で感じられる、同館こだわりの空間づくりの内の一つ。

世界一周という難題をクリアした事実もまた、過酷な道でも走破できる自動車の耐久性を人々に知らしめることとなった。このように「モータースポーツが車を鍛え、進化させた熱い歴史をたどる」と、その道程はさまざまな挑戦に彩られてきたことがわかる。日本の自動車メーカーにおいてもそれは例外ではない。日本車の信頼がなかった1950年代に、過酷なオーストラリア一周ラリーに参戦し、完走してみせた『トヨペット クラウン RSD』をはじめ、1961年にオートバイのライバルが群雄割拠するヨーロッパのグランプリで頂点に立ち、1964年から4輪の世界最高峰レースF1へ参戦して、1965年メキシコGPで見事初優勝を飾ったホンダなど枚挙にいとまがない。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-4_img_2318.jpg

全く異なるレギュレーションの荒波に耐えた『ホンダ・RA273』
本田技研工業株式会社創業者・本田宗一郎の夢、ホンダのF1への情熱。1964年にF1初参戦し、1965年のメキシコグランプリで『RA272』が初優勝を遂げた。『RA273』は、前年比エンジン排気量2倍という新規定に対応すべく開発された。展示車両は1967年のドイツ・グランプリで4位に入賞した実車である。

布垣館長:モータースポーツの歴史は130年以上あります。つまり自動車の誕生とほぼ同じ年月レースは存在しています。開業予算や展示面積が限られる中で、その長い歴史をどう説明するか。またモータースポーツ車両は生産台数が極めて少なく、非常に高額でとても自分たちだけでは必要な展示車両を揃えることはできません。だからこそ国内外の自動車メーカーや自動車博物館に何度もおうかがいして『みんなで一緒にモータースポーツミュージアムをつくりませんか?』と働きかけました。皆さんが賛同してくださったおかげで当館ができたのです。

その結果、日本中の自動車ミュージアムや自動車メーカーのみならず、海外メーカーも含めて計10社にもおよぶ企業の協力を得て運営されるという、過去に例を見ない自動車ミュージアムが誕生した。モータースポーツに参加する意義として、製品である量産車に技術をフィードバックできるという点を、各社が共通して意識していたことも、開館準備を進める中でわかってきた。そのため、公道走行が可能な車両で競う「ラリー」や、瞬発的なスピードだけでなく効率や安定性が試される「耐久レース」を中心に展示は構成されている。

企画展「耐久レースと日本 ~クルマを鍛えた進化の足跡~」

富士モータースポーツミュージアムでは、2025年9月18日から2026年3月31日まで企画展『耐久レースと日本 ~クルマを鍛えた進化の足跡~』を開催している。「日本車の耐久レースへの挑戦」をテーマに、実際にレースを走った車をはじめとした貴重な資料で過去を振り返るとともに、未来への挑戦をも展望する展示内容となっている。「モータースポーツのはじまり」や「アジアのモータースポーツ」、「世界最⾼峰レースへの挑戦」といった、15のコーナーで構成される同館の常設展のうち、「24時間耐久レースの世界」のコーナーを拡充させた内容で、「F1の鈴鹿」に対して「耐久の富士」とも呼ばれる富士スピードウェイに隣接する同施設で観るのにもふさわしい展示だ。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-5_img_2407.jpg

ミュージアム1階の常設展示から2階へ移動し、新規企画展示の準備が進められる作業現場へ。

企画展の準備中に同館を訪れた取材班に「トヨタをはじめ、国内の企業が出場に二の足を踏んでいた時代に、チームで『ル・マン24時間レース』に参加した、その勇敢なチャレンジを紹介したくて、ずっと展示したいと思っていました」と語るのは、本展を担当した山田卓弥さんだ。『ル・マン24時間レース』では、サーキットを24時間ノンストップで走り続け、その周回数を競う。1923年に初開催された歴史あるレースで、世界を代表する耐久レースの一つだ。オイルショックの影響などもあり、日本の大手メーカーがレース参加に消極的だった1970年代に、独自に『ル・マン24時間レース』に挑戦したのが、「童夢」などの「プライベーター」と呼ばれるチームだ。本展のテーマ「日本車の耐久レースへの挑戦」を象徴する一台といえる。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-6_img_2444.jpg

当企画展の担当キュレーターでもある山田卓弥さん。
展示準備が整った『童夢 RL-81』(1985年)~非メーカー・チームの果敢な挑戦~の前で

山田主幹:日本の挑戦を示すうえで絶対に紹介したかった展示車両の1台に、1991年の『ル・マン24時間レース』で優勝を果たしたマツダさんの『マツダ 787B』があります。通常のエンジンと構造がまったく異なり、他社が実用化できなかったロータリーエンジンにこだわって、各国の名門メーカーと長年戦っていたマツダさんでしたが、翌1992年からはレギュレーションとしてロータリーエンジンが使用できなくなることになっていました。この年の優勝からは、最後の最後まで奮闘しようという気迫を感じます。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-7_img_2427.jpg

『マツダ 787B』(1991年)~日本車&ロータリー初制覇の金字塔~

技術の進歩や環境への意識、時代の変化とともに、モータースポーツもそのルールや存在意義を変化させてきた。ハイブリッド車で『ル・マン24時間レース』の5連覇を成し遂げたトヨタだが、「自分たちが必ずしも優位にならない」ハイブリッドのレギュレーションを、欧米メーカーが受け入れた背景には、環境負荷の高いモータースポーツの存続に危機感を持っていたことがあるという。ハイブリッド車の耐久レースの歴史と現在、さらには液体水素を用いた未来の技術にも期待を寄せて、企画展「耐久レースと日本 ~クルマを鍛えた進化の足跡~」は締めくくられる。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-8_img_2434.jpg

『トヨタ スープラ HV-R』(2007年)~ハイブリッド・レーシングカーの偉大な第一歩~

モータースポーツ文化の継承

モータースポーツや自動車に対する関心が薄れてしまうかもしれないという危機感は、文化としてモータースポーツを発信していかなければならないという富士モータースポーツミュージアムのミッションにも通底している。現在、多くの自動車ミュージアムは、個人コレクターの方々の深い愛情によって支えられており、そうした方々が長年にわたって大切に維持されてきた車両や史料は、モータースポーツの歴史を語るうえで欠かせない存在である。同館では、こうした個人コレクターの方々と連携・関係構築を進めながら、富士モータースポーツミュージアムという舞台を通じて、ご貸与いただいた車両や関連史料の展示を行っている。単なる車両展示にとどまらず、史料や写真などもあわせて紹介することで、より深い物語性を持った発信が可能となる。コレクターの方々との協働によって、ミュージアムの展示は一層豊かになり、モータースポーツ文化の魅力を広く伝える力が高まっている。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-9_img_2438.jpg

『トヨタ GT-One(TS020)』(1999年)
1999年ル・マン24時間耐久レース参戦モデル。前年モデルの革新的なカラーリングを踏まえ、より明快なラインを持つデザインが採用された。
なお、前年の1998年モデルで採用された、不規則柄を取り入れた斬新なカラーリング(ニックネーム:「霜降り肉」)は、当時ベルギーに駐在していた布垣館長によるデザイン。
(赤枠画像:グラフィック完成直後のTS020。カーナンバーやスポンサーロゴ貼付前で、特徴的なデザインがよく分かる。)
<画像提供:布垣館長>

布垣館長:これまでに世界のモータースポーツ史を体系的にまとめた史料は存在していなかったので、私たち自身が勉強して習得するしかありませんでした。世界自動車博物館会議日本大会開催を機に、日本を初めアジアのモータースポーツを伝えていく責任も感じました。

レーシングカーだけではなく、関連史料も収集しながら理解を深め、歴史を体系的に編み直し、国内外に、あるいは後世へと伝えていく。まさに美術館にも博物館にも共通するミュージアムの役割だろう。文化が失われないために次世代に継承するべきものは、形あるものだけに限らない。展示車両の「動態展示」を可能な限り行っている同館は、モータースポーツの現場という限られた人々しか触れることのない技術を継承する場にもなりえるかもしれない。動態展示やそのためのメンテナンスについて、副館長の長谷川壮さんに聞いた。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-10_img_2452.jpg

長谷川壮副館長
『トヨペット クラウン RSD』(1957年)豪州ラリー参戦車<レプリカ>の前で。
豪州ラリーは、トヨタのモータースポーツ活動の原点であり、国産車初の国際ラリー参戦でもあった。

長谷川副館長:2024年の冬から翌春にかけて、イタリア・マカルーゾ財団からご貸与いただいたラリーカーや、個人オーナー様からご貸与いただいた1936年の多摩川スピードウェイでの競争に参戦した英国製『インヴィクタ』などの走行披露を行いました。ちなみに、走行披露のスケジュールは決まっておりませんが、館外部の車両出展イベントに合わせて年に2回程度実施しております。エンジン始動や走行披露を行うので、車両年式や走行条件などにもよりますが、約一カ月から半年ほどかけて入念なメンテナンスを行います。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-11_fmm.jpg

日々のメンテナスを行う、エンジニアの長谷川伸さん(写真中央)とメカニックの小宮山さん(写真右)

富士モータースポーツミュージアムにはエンジニア経験者が2名在籍しており、開館前の展示車両チェックは毎日欠かさず行っている。展示のために貸与された車両についても、展示室に搬入される前に、まずはタイヤ空気圧の確認や冷却水およびオイル漏れの有無など、種々の点検が同館の整備室で実施される。その際、かつて実際に当時の車両を担当したOBのエンジニアやメカニックの支援を受けることもあるという。

長谷川副館長:自社および他社からお借りしたモータースポーツ歴史車両を展示しているため、幅広い技術や製造知識の習得と実践が欠かせません。ゆえに元部署やレース経験豊富なOB、社外や海外の専門家の方々との意見交換を常に行っております。OBの方々の、まるで昨日までその車両に触れていたかのような記憶や習熟した操作から、ご苦労をともにされたモータースポーツ車両への愛情の深さを感じます。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-12_komiyama.jpg

企画展会期スタート直前!
『童夢 RL-81』(1985年)の最終メンテナンスを行うメカニックの小宮山さん

「マニュアルからでは読み取れない行間がレーシングカーにはある」と話すエンジニアの長谷川さんとメカニックの小宮山さんは、だからこそ「当時を知る方とのネットワークや史料保管が重要」だという。すでに絶版になっている部品や、現在では使用されない加工技術などもあるため、人脈のみならず「部品脈」や「製造・加工脈」が必要となるのだそうだ。華々しいイメージのあるモータースポーツだが、おびただしい数のパーツをつくる技術者の、一人ひとりの手に支えられた奥深い世界であることがわかる。

国内外のメーカーの協力によって実現した富士モータースポーツミュージアムだが、さらにその先には、レーシングドライバーやエンジニア、メカニックをはじめとした技術者たち、そしてコレクターやファンたちの熱い想いがある。130年以上もの歴史を持つモータースポーツ文化に携わる、一人ひとりの「挑戦」を受け止め、記憶し、未来へと発信していく拠点として、富士モータースポーツミュージアムは挑戦を続けている。

art-corporation-fuji-motorsports-museum-13_img_2462.jpg

ミュージアムの入口部分に展示されるトヨタ7ターボ(レプリカ)の"裏側(シャシー)"
(レーシングカーを額縁アートとして、ミュージアムの表札にした)


取材日:2025年9月17日(水)
場所:富士モータースポーツミュージアム(〒410-1308 静岡県駿東郡小山町大御神645)
写真撮影:ネットTAM運営事務局


取材者:清水康介(ライター)
主に文化や芸術にかかわる分野で取材・執筆をしています。ウェブサイトの制作を請け負うこともあります。出身は関西ですが、2020年から長野県の松本市に住んでいます。仕事用のメールアドレスはshimizu[at]karihonoiho.linkです。

布垣直昭
トヨタ自動車株式会社 社会貢献部 主査、トヨタ博物館 シニア・キュレーター、富士モータースポーツミュージアム 館長

1958年京都生まれ。1982年京都市立芸術大学卒業、トヨタ自動車入社。以来30年にわたるカーデザイン開発を通じて得た知見も活かし、2014年よりトヨタ博物館館長としてクルマ文化醸成に尽力。富士モータースポーツミュージアム設立のディレクションやデザインを担い、2022年10月の開業と共に館長に就任。

長谷川 壮
富士モータースポーツミュージアム 主幹/副館長

1969年神奈川県生まれ。2005年トヨタ自動車入社(中途入社)。トヨタ博物館、トヨタ産業技術記念館、社史編纂部門を経て2019年より富士モータースポーツミュージアムの開館準備作業に従事。現在にいたる。

山田 卓弥
富士モータースポーツフォレスト株式会社 主幹

1967年群馬県生まれ。1992年、トヨタ自動車入社。2度の海外赴任を含め、車両の開発、生産準備業務に携わる。2022年、トヨタ博物館に異動。2024年より、富士モータースポーツフォレストの一員として、富士モータースポーツミュージアムの企画運営を担当。

この記事をシェアする: