分科会D+総合セッション

NPO法人アートNPOリンク
アートNPO的!?経営戦略
大阪・フェスティバルゲートをケーススタディに

総合セッション
「なぜ、いまアートなの? アートの力、アートの社会的価値を考える」

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総合セッション

※「舞台は高級クリニック、パネリストは著名なカウンセラー」という設定で行われた総合セッションは、分科会企画運営団体の代表者が、フォーラム応募の動機となった問題意識や参加者と共有したい課題、分科会実施後の思い等を2分程度でプレゼンし、パネリストが感想やアドバイスを述べるという内容。なお、代表者は「分科会実施前の問題意識」も事前に“カウンセラー”に提出している。
>> パネリスト紹介

総合セッションでの分科会代表者の質問内容

事前コメント:
昔、市民運動。今、非営利活動。もしくは…昔、アンダーグラウンド、今、オルタナティブ。いったい何が変わったのか。思うに、前者は 少し素朴かつ直情的で、時にルサンチマンすら見え隠れした。後者はそのままではならない。では、いかにそれらの諸活動が、根本的な役割を変えずに洗練されうるのか。今回、昨今の利益最優先の経済に危機意識を感じつつも、あえて企業活動における強力な概念“ブランディング”に、その諸活動を支える戦略を学ぶ。

当日コメント:
劇場ではなく、美術館ではなく、ギャラリーではなく、違う文化装置がフェスティバルゲートにできるかもしれないという中で、企業などとどのように付き合っていけばよいか、どう実現すればよいか。オルタナティブな文化装置についての戦略を含めた存在価値について聞いてみたい。

(NPO法人アートNPOリンク理事:甲斐賢治)

映像記録

※推奨環境:映像はFLV(Flash Video)形式です。ご覧いただくには、Macromedia Flash Player が必要です。
※出演者の所属はフォーラム開催時のものです。

レポート

チラシ

※画像をクリックするとダウンロードできます。 (PDF : 475KB)



総括

「アートNPO化により、存続することが目的となってしまってはいないか」
「アートNPOは成人病化している」


分科会Dと後半の総合セッションから飛び出したこれらの発言は、アートNPOの現状を指摘した。このようなアートNPOに対する鋭い批判が出たことは想定外ではあったが、成果であった。


このセッションにはたくさんのテーマを内包しすぎたかもしれない。

そのテーマとは、いま<社会>の中で、アートが果たしうる<役割/可能性>とはいったい何を指すのか? …という疑問。フェスティバルゲートを拠点に活動するアートNPOの実践紹介と、そのNPOの拠点消失問題の共有。そして、企業を昨今の位置にまで押し上げた「ブランディング」を中心とする、市場に培われてきた卓越した<マネジメント・スキル>を獲得することであった。

「アートNPO的経営戦略」を議論するにおいて突き当たった課題は、アートNPOは、<社会>の、そして<時代>の中でいったいどのような位置に立とうとしているのか? という問いだった。

今回のセッションでは、大阪・新世界フェスティバルゲートを拠点にする3つのアートNPOの活動事例の紹介と、フェスティバルゲートそのものの存続に関わる問題を“ネタ”にディスカッションを行った。

実施内容は映像にて詳しく報告されているので、参照いただきたい。よって、このレポートでは開催動機についてもう少し詳しく触れたうえで、セッションの総括を行うこととする。


まずは「いま<社会>の中で、アートが果たしうる<役割/可能性>とはいったい何を指すのか?」についての議論を進める上で、数ある事例の中でも、大阪・新世界フェスティバルゲートをケーススタディとしたのにはワケがある。

それは、新世界周辺にあるホームレスや社会格差問題と、この複雑な背景をもった地域をアートによって活性化しようという長期展望を持っていたはずの施策が、同時に市政改革の名の下に遊休施設の処分へと進み、その結果アートNPOの拠点剥奪という事件を、その正負ともに大阪固有の地域課題に留めて小さく考えてはいけないという考えに拠っている。

この地域には、日本の<システム>に取りこぼされた人々(マイノリティ)が全国各地から集まっている。企業(市場)という体系、行政(統治)という体系、この2つのそれぞれに歴史ある<システム>と<マネジメント・スキル>をもってしても、どちらもがいまだ解決しえない“人間性”や“労働”にまつわる根本的課題が表出しているのがここ新世界周辺地域だ。

そして、この地域のイメージを変えることを目的に建設されたにもかかわらず、たった数年で遊休施設化したフェスティバルゲートに、「公設置民営」を謳いアートNPOが誘致された。これらアートNPOは、アートが人間性における課題を解決する糸口を提示することができると信じて、地域を巻き込んださまざまなアートプログラムを独自に展開、さらなる発展を遂げようとしていた。

だが、施設の売却を理由に行政が撤退を迫る申し立てが急遽降って湧いた。この寝耳に水の話に対し、これまで地域やコミュニティとともに独自の活動を展開していたアートNPOがゆるやかに連携して対応することになった。この連携は個々の組織にあるアートに対する考え方の違いを明らかにしながらも、それら差異を許容し、それぞれのNPOがもつ活動領域やクライアントの幅の広さを共有することによって、新世界周辺地域の地元キーパーソンとのネットワーク化を達成し、アートが社会に果たす役割についての成果をみせはじめていた。

われわれは、このアートNPO同士の、ゆるやかな連携による課題への対処法が、パートナーシップを切望する全国のアートNPOにとって有益なマネジメント事例となることを見いだし、地域を巻き込んだ活動をケーススタディとすることで、アートの社会的役割について考えることができると直感したのだ。


つぎに、アートNPO活動を継続するために必要な<マネジメント>とはどのようなことなのか、アートNPOが社会の中で認知されるためにはどういう<ブランディング>が有効なのか?

拝金主義が台頭する現代社会において、アートNPOを含むマイノリティが存在を否定されないためには、市民自治の理念に基づいた政治に参入する意志とともに活動を継続させるためのさまざまな<マネジメント・スキル>を獲得する必要がある。「質の高い生活・持続可能な社会」の実現において、アートが社会と不可分離な存在であり、生活に不可欠であるという理解を市民に得られなければ、いつまでたってもアートを取り巻く現状は変らない(cf. 変らなくていいという意見もあるが…)。

だが<マネジメント>とひと言で言っても、先に記したように、合理的な資本主義が消費し、政治が切り捨ててきた労働者もまた<マネジメント>の結果である。そして、昨今の拝金主義を産み出し、新自由主義を達成したのは、他ならぬ消費者の選択意志を単純化させてしまう<ブランド>志向である。

つまり、ここで紹介するアートNPOたちが行ってきた活動と、これら市場が開発してきたメソッドは、そのめざすところは対局にあるということだ。

「経営戦略」というHow toを表題に掲げた我々は、そこで大いなるジレンマを感じながら、<アート・マネジメント>について検討することになった。


「アートNPO化により、存続することが目的となってしまってはいないか」
「アートNPOは成人病化している」


「高級クリニック+著名カウンセラー」というエリート主義的な“格差付け”する総合セッションのコンセプトに違和感はあったが、アートの現場の先端を走り続けている方々のアートNPOに対する指摘は、極めて重要な指摘であり、真摯に受けとめる必要がある。

いまアートNPOは、ミッションを、そのビジョンを忘れてしまってはいないか。その高い”こころざし”を提示できていないのではないか。

アートNPOは、この批判を甘んじて受入れ、自己批判をし続けなければならない。

況やわれわれは、フェスティバルゲートに居を構えるアートNPOが撤退を命じられたとき、その命を覆すだけの成果を目に見える形で、説得力をもって示すことができなかった。地域からの大手の支援を受けるには至らなかった。われわれに足りないスキルのひとつは、アートNPO活動を市場原理に即してプレゼンテーションする能力だった。

そして、われわれは思い至ることになった。つまり、<ブランディング>という概念は、「アートNPOの社会における立ち位置の的確な提示」「ミッションやビジョンの的確な提示」というプレゼンテーションに活用できるのではないか。ここに<ブランディング>は効力を発揮し、<マネジメント>は足りない技術を補うためのテクニックとネットワークを提供することができるのではないか(すべての企業戦略が成功してないと同様に、極めて難しいことは重々承知だが、いまはあまりにもその方法を知らなさすぎる)。


アートNPOはアートシーンの”先端”よりも社会の”突端”をゆく多様な存在。

セッションの途中、どのようなブランディング手法がアートNPOにとって有効かということがひとつでも提案できればいいと考えていた。

しかし、議論は社会におけるアートNPOの立ち位置、つまりどのような文脈のなかにアートNPOが存在しているのか、そしてアートを通して社会課題にアプローチすることによってどのような未来を築かんとしているのかという、原点ともいえる問いにたどり着くことになった。

それは、甲斐氏の発言と会場から出た質問に起因する。

「アートは社会から阻害される身体をもっている…アートが社会のなかにない…じゃあ、ここに社会はないのではないか」

「アートの力だけで社会は変えられない。…ソーシャルはどこなのか」

アートが社会に果たす役割を考える以前に、この地域には”社会”があるのかという根源的な問いを投げかけられたのだ。

そこから、アートがなにものにもおもねることなくアートのままで存在し続けるためにも、受容先の社会そのものの脱構築を果たさんとするアートNPOの役割が見えてきた。コミュニティの活性にアートが有効だと言われるようになって久しいが、実際のところコミュニティの活性にアートは必ずしも必要とされていない。アートがなくてもコミュニティは活性し、ときに衰退し、人が集う<パブリック>な場がある限り何度でも需要に応じて発生する。

ただアートは、コミュニティという孤立化したセクトを軽やかに超えうる存在だ。その特性を生かし、さまざまなコミュニティに他者として出会い、揺さぶりをかける存在となることで、社会そのものを実体化するための機会をつくりだすことができる。それは、孤立化するコミュニティ間にゆるやかな連携をうみだすことも可能だ。

それらの結果、コミュニティが相互に関連し連携しあえる真の意味での<社会(=social)>が日本に誕生してこそ、ソーシャル・インクルージョンがはじめて実体を伴って語られ、社会の中でアートがアートとして活躍できるようになるだろう。つまり、アートは<社会>そのものを現前化する存在としてその役割を期待されているのだ。

アートをこれまでアートの文脈にとどめ続けたのが「高級」と名付けたがるアート原理主義な思考だとし、そこから脱却しうるのは異質分子であるところの市民主体の非営利活動というのがアートNPOではないか、と考えると、改めてアートNPOに可能性を感じはしないだろうか。

アートの、そして市民が主体となる社会の発展のためにいま必要な「アートNPO的経営戦略」とは、これまでのアートの文脈を超えた「連携(“知の連帯”=ネットワークと“相互補完”=パートナーシップ)」にヒントがある。


アンケート

回収数:4

A) アートNPOの存在をご存知でしたか
  • 知っていた=2名
  • 知らなかった=2名

B) 分科会Dの感想、コメントをご自由にお書きください
  • 4NPOの皆さんの活動は地域に根ざしたすばらしい活動だと思いますが、大阪市のコンペをするにあたっては、「なぜフェスティバルゲートでなくてはならないか」「24平米という広さではたして多くのアートNPOを誘致できるのか」「その地区にある公民館の活動となにが違うの?」という点が気になった。少々理想的に語りすぎてはいないでしょうか。いろんな規模のアートデパートにした方が盛り上がると思うのです、元大阪人としては。
  • アートを通じて地域と関わっていらっしゃる事例を拝見する事ができて大変参考になりました。
  • 短時間でしたので、なかなか深く理解までいたらなかったことがとても残念です。一度フェスティバルゲートに行ってみたいと思います。

C) 本日の登壇者にメッセージを!
  • 今後、日を改めてお話を伺いたいと思います。学生ですので、今後にいかせればと考えております(卒業論文等)。
  • すばらしい活動、おもしろい活動だと思います。がんばってください。


当日配布資料


文責:NPO法人アートNPOリンク事務局 樋口貞幸

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