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アバンギャルドじゃ〜

更にある真実の追究

街がまるごと美術館

 「アート@つちざわ<土澤>街かど美術館」は、岩手県東和町の土沢商店街を中心として半径およそ500mをエリアとした現代美術の展覧会です。会場である商店街コミュニティに一歩足を踏み入れるとすべての空間が美術で埋め尽くされているような感覚に陥ります。
 2005年に初めて開催され、一般公募で集った130名の作家が大小さまざまな作品を77箇所の会場に出展。1か月間でのべ1万人の来場者でにぎわいました。翌年にも同様の方式で行ったのですが噂が噂を呼び、出展作家数はさらに増えて200名。観客はのべ1万5000人を数えました。3年目の2007年には趣向を変え「街かど美術館advance」と銘うって、渡辺豊重氏ら4名の選抜作家が当地で約1か月の製作活動を行い、住民とたっぷりふれあいながら開催されました。

3人寄れば...

 そもそもこの美術展。キーパーソン3名による夢のような話からスタートしました。それは萬鉄五郎記念美術館の当時の事務長と学芸員、そして東和町へ移り住んだ彫刻家です。
 美術館ができて20年。「小なりとはいえ全国に通じる活動で評価されている...(中略)...これらはもっともっと東和町民が自慢してよいものだ」「しかし、地元の人々が美術館へ足を運ぶことは少なく、...それなら美術館の側からまち中へ打って出る」(千葉瑞夫館長:2005年図録より)という思いがどんどんふくらんできました。
 何事も3人集まればなんとかなるもので、事務長が金策、根回し。学芸員が全体の企画づくり、彫刻家が参加作家集めという基本的なところから始まり、20名くらいのこじんまりした美術展を当初想定していたものが、結果的には前述した規模にまで発展したのです。

住民参加協働型

 実現を支えたのは商店街の商人たち、300名近い地域住民ボランティア。そしてマネジメントに携わった土澤まちづくり会社です。
 土澤まちづくり会社は、「中心市街地の商業振興と地域づくり」を目的に2002年、100名の町民株主と当時の東和町が半分ずつ出資してできた「住民参加協働型第3セクター」です。専従職員1名の小さな団体ですがコアメンバー10数名がここを拠点に街かど美術館の運営方法を萬美術館のスタッフと共に考え、実行していったのです。

リソースを信じよう

 しばしば、アート@つちざわ<土澤>は東和町だからうまくいったのだという言われ方をします。
 他の成功例をそのまま持ってきてもうまくいかないのは世の常。その土地、その環境独特の要素が大きく影響するからでしょう。土沢で開催できた必然性は何かを探ってみるとそれなりの資源(リソース)があったということです。
 第1に、萬鉄五郎記念美術館が20年間培ってきた業績があります。それは幅広い美術関係者との人脈、展示技術、企画力、学術的な成果などなど多岐に渡ります。
 第2に、住民の自立的なコミュニティ活動です。春と秋の地域一斉清掃を始め、七夕まつりや秋祭りなどの伝統行事の運営。そして絵画や音楽などの趣味の活動、福祉や社会教育、防災などの社会活動。ささやかながらも何かしらコミュニティ活動をするという習性が住民に浸透しています。
 そして第3に、「萬のまち」に惹かれて移り住んできた多くの芸術家たち。陶芸家、テキスタイル作家、画家がごろごろ(ちょっと大げさかな)いるのも大きな資源でした。
 これらのリソースが基盤にあることを信じていたからできたのだと思うのです。

宝石は磨いてこそ光る

 一方でリソースがあればできるかといえばそれも違うでしょう。
 宝の持ち腐れ、器用貧乏、いずれもリソースを活かしきれない時に使われる言葉です。土沢も同じです。その証拠に2004年までは街かど美術館はアイデアの域を出ませんでした。でも先の「3人組」が導火線に火をつけてくれました。バラバラだった3つのリソースが、街かど美術館という共通の目標を得て有機的につながりだしたのです。
 そして先に触れた土澤まちづくり会社と萬美術館による「合同航空管制室」がマネージメント機能を果たし、着実に進みだしたのです。

アートの力

 しかし今振り返ってみるとこのようなシステムだけで実現したとは思えません。
 なぜ、200名を越える作家が東北の田舎町をめざして、しかもどんな鑑賞のされかたをするかもわからずに作品を持ち込んだのか。なぜ、300名におよぶ地元住民ボランティアが展示会場の清掃や巡回監視、解説ガイドなどを引き受けたのか。なぜ、日常的に商売を行っている商店や日常生活を続ける民家が会場として1か月も場所を提供できたのか。
 私は美術の専門家でもないし、難しいことはわかりませんが、あえて言うならば「アートがひとを幸せな気分にした」ということでしょうか。
 これをアートの力と呼ぶなら、その力が作家や住民の心をとらえたということかもしれません。

これからのこと

 実は今年、街かど美術館アート@つちざわ<土澤>を開催しないことがすでに決まっています(アートに関連した作品のフリーマーケットを開く計画はありますが)。
 理由は2つです。1つは財源のないこと。2つ目はマンパワーの疲弊です。
 前者についてはこれまで県や市、文化庁からの助成金、すなわち税金の充当でなんとかやりくりしてきましたが、今年は目処がたちません。今後も税金頼みでは継続は不可能です。そういう時代です。なんらかの費用捻出方法を開発しなければなりません。
 後者は、もともと少ない人口で、そのまた稀少なコアメンバーで動かしてきたので、第3回目を終了した時には正直、ヘトヘトでした。この状態で毎年開催するのは無謀であり、質が低下するのは目に見えていました。
 この2つの課題を解決することが、今年の街かど美術館実行委員会の主要ミッションとなります。

グローカルで行こう

 Think globally. Act locally.(目は世界に、足は地に)ということばがあります。統合してglocalという造語が使われることも少なくありません。「アート@つちざわ<土澤>街かど美術館」の運営にかかわり、このことばが思い浮かびます。
 街かど美術館は、単なるまちおこしでもなければ野外美術展でもありません。規模はともかくヴェネツィア・ビエンナーレやミュンスター彫刻プロジェクトのように、「作家と地域や環境との緊張関係」「作家と住民との対話」を大切にした美術展をめざしたいと考えています。また財政的には「市民citizenをパトロン」とする新しい振興策にチャレンジすることも忘れてはなりません。質を高めるために、門田秀雄氏の指摘する「批評性を内部にもつ個性的な美術家(たち)を企画に加える」(2007年度図録より)ことも重要です。
 土澤まちづくり会社としては地域の商店、地域住民が生業をきちんと得ながら生き延び、快適に暮らすこともぜったい外せない課題です。
 ルネサンス期のメディチ家のような御仁が現れることは望むべくもありません。このサイトをご覧の皆さんに智恵と力を貸していただくことを切に願っております。

【花巻市東和町の位置と超略歴】

 岩手県の中央部に位置する花巻市東和町。東京方面からは東北新幹線で約3時間。新花巻駅にて下車後タクシーを利用すると10分で到着します。大阪方面、札幌方面からは、JALの飛行機でいわて花巻空港に降り立ち同様にタクシーで20分の近距離。車で移動の方は東北自動車道花巻JCTから分岐して釜石道に入っていただき約5分の東和ICを降りるとすぐ目の前が土沢地区です。ね、アクセスがいいでしょ?

 次に町のプロフィールを236字で紹介します。
 東和町は農村集落が点在する人口1万人の小さな町です。その中心地にあるのが土沢地区。1612年(慶長17年)に伊達氏の藩境を守護するために築城された土沢城(現在は城跡のみ)を丘に頂く城下町として歴史を重ねてきました。その中腹には近代前衛美術の先駆者、洋画家の萬鉄五郎(よろずてつごろう)を顕彰する記念美術館があります。丘のふもとには街かど美術館の舞台である土沢商店街コミュニティがあり、1923(大正12)年には宮沢賢治が「冬と銀河ステーション」という詩で往時の市日のにぎわいを詠っています。

【写真】

4名の選抜作家
2007年開催の街かど美術館advance選抜作家さん勢ぞろい。ビートルズの「アイビーロード」を模したアングルでパチリ。左から渡辺、松本、沢村、鎌田の各氏。

渡辺豊重
渡辺豊重氏の作品「モクモク」。設置場所は地域住民が共同で手入れし利用しているコミュニティガーデン。晩秋の青空に赤が映える。

松本秋則
松本秋則氏の竹のサウンドオブジェはホームスパンハウスの裏にある小屋に展示。巧妙な歯車の組み合わせによりモーターで稼動する竹の「楽器」が意外な音を不意に奏でる。

沢村澄子
書家の沢村澄子氏の作品。家具屋さんの2階の大きな窓に「円い天」と大書。宇宙のことだそうです。ああ見上げればそこは未知との遭遇。

鎌田紀子
鎌田紀子氏作成 元銭湯の番台に鎮座ましますキモカワイイ人形。「いらっしゃ~い」と今にも声をかけてきそうなリアルさで若者に大受け。

作品づくり
住民ボランティアが作品づくりのお手伝い。書の作品を展示する木の額作りに励む。

(2008年5月19日)

今後の予定

街かど美術館今年はお休みですが、10月ごろ作品を持ち寄ってのアートフリーマーケットを開催するかもしれません。

関連リンク

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『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』(伊勢崎賢治著、かもがわ出版)

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芸術と平和の関係はピカソの『ゲルニカ』を例に持ち出すまでもなく密接不可分です。
どうすれば平和が守れるか、いろいろな議論があります。その中でユニークかつ現実的な主張を展開しているのが著者の伊勢崎賢治氏。
憲法九条を堅持しながら「軍事を直視し、自衛隊による国際貢献を」と唱えます。
氏はアフガニスタンにおいて2003年より日本政府特別代表としてDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)を指揮するなど、さまざまな紛争地域へ乗り込み、解決を請け負ってきました。現在、東京外国語大学教授として平和構築学・紛争予防学を実践研究されています。

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

彫刻家としての作品にかける思い、東和町に移り住んでアートと住民との関わりについて考えていることを聞かせてください。
また、量子力学から自動車のメカニズムまで、博覧強記ともいうべき好奇心の源はどこにあるか教えてください。
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