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作品の力

 私がまだ大学でアシスタントをしていたころ、一心不乱に名刺を印刷している学生を見かけた。上級生ならまだしも、まだ1、2回生であるその学生に私は聞いた。

 「なんで名刺刷ってるの?」

 学生は、いろんなギャラリーに出向きその名刺を配るのだと答えた。私は普段その学生が作品を作っているのをあまり見かけたことがなかったので、思わず言った。

 「名刺作るのもいいけど、まず作品を作った方がいいんじゃないかな?」

 その後学生に言われた言葉が、今でも私の耳に強く残っている。

 「今はそんな単純な時代じゃないんですよ。」


 このリレーコラムのバトンは私がお世話になっているギャラリーの上山さんからいただきました。ここで、その紹介文を少し抜粋させていただきます。

インターネットのとあるサイトの片隅に、わずか一点小さくUPされていた彼の作品を見た瞬間に"この子だ!"と強烈に引きつけられました。連絡先が見つからず、出身大学、出品コンペの主催者、友人のブログ、様々に連絡し1カ月以上後にやっと出会えた。

 当時のことはよく覚えています。私は大学を卒業後、アルバイトをしながら絵を描いていました。
 画家になりたいというよりも、どこか漠然と自分が納得いく作品を描きたいと願いながら制作を続けていました。卒業を間近に控えていたころに、いくつかのギャラリーから誘っていただいていたものの、それらはすべてお断りしていました。

 情けないお話ですが、美術大学に4年間も通っていたのにもかかわらず、美術の現場、いわゆる"アートマネジメント"の世界など全く知らず、右も左もわからないという理由から不信感だけを募らせていたのです。それに加え、ついこの間まで学生だった自分の作品が放つ、未熟でどこか甘えた雰囲気が嫌で仕方なく、それらを寄せ集めて展示するなど到底考えられなかったからです。また、自分でお金を払ってギャラリーを借り展示したところで、見に来るのは家族や友人くらいだろうと感じていました。そのような内に向けたものではなく、もっと外に向けて自分の作品を晒したかったのです。なのでなおさら、先程述べた通り、自分が納得のいく作品を作る必要がありました。そうすることでしか今の情況を打破する手段がないと感じでいたのだと思います。作品を描き上げてはその強度を試すように、手当たり次第にコンペに応募するという生活を、大学卒業後2年近く続けました。

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「いろんなキャビネット」(2007/1620 × 1303mm)
今のギャラリーにお世話になるきっかけとなった作品。

 そんなある日、友人からある電話をもらいました。

 「ギャラリーの人で、お前に連絡したいっていう人がいる。電話番号教えて大丈夫?」

 そのとき電話してくださった方が上山さんでした。いつものように丁重にお断りをするつもりでいたのですが、自分に連絡をするために手を尽くしてくれたことと、インターネットの片隅にあった作品に惹かれたからという旨のお話を聞いて、素直にうれしく思いました。偶然にも同じ京都にお住まいだったので、断るならきちんと会って断ろうと思い、電話を受けたその日すぐにバイクでギャラリーへと向かいました。

 とても長い時間話をしました。
 これから先の展望や、作家に対する考え方。
 当時はまだギャラリーを立ち上げる前だったので、ギャラリー・作家ともにスタートラインに立てるということに強い魅力を感じました。そしてなにより、現状を打破しようと想いを込めた作品がつないでくれた縁を私自身が信じてみたく思い、お誘いを快諾しました。その後現在に至るまでの6年間、さまざまな活動をさせていただきました。百貨店という場所での初めての個展や海外でのアートフェア。卒業後の無知な状態だった私も、そのような現場で実際に経験し学べたということは、とても貴重な財産となりました。そして現在、5月に控えている松坂屋名古屋店での個展ために制作するとともに、初めての海外での個展へ向けて準備を進めています。

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「スナックシリーズ」(2013-2014/100[120] × 180mm)
5月の個展へ向けて制作しているお菓子の箱を模した作品。

 たくさんの貴重な経験をしてきたこの6年間で、私が最も強く感じたのは作品がつなげてくれる人と人の出会いの重要さです。言い換えるとそれは、自分が作った作品の力を信じるということにつながります。それは当たり前のことのようですが、つい見過ごされがちです。作者本人でさえ自分が作った作品が持ちうる力を信じることが出来ていないという現状を私は目の当たりにしてきましたし、実際私自身もそうでした。それは自分が生み出した物に責任を持たないのと同じです。

 昨年末、個展のために海外に打ち合わせに行った際、そのことを痛感させられる経験をしました。国も言葉も違う人たちが、同じ場所で同じ作品について話をしているその状況下で、作者本人である私自身がなぜか疎外感を抱いていたのです。思い返せば同じような状況に陥ったことがそれまでにも何度かありました。自分の作品が周りの人たちに評価をされても、喜びや自信につながるどころか、どこか他人事のように感じる。それは前述した通り、私自身が自分の作品の力を信じられず、作者としての責任を放棄していたからだと気付きました。そして、自分の作品が国も言葉も違う人たちが集い語るきっかけを作ることができたんだと、ようやく実感できたとき、私は初めて心の底から自分の作品を誇らしく感じました。

 自分の作品をきちんと自分自身で評価し信じること。
 それは自信過剰になるというのではなく、自分が作ったものにきちんと責任を持つことなのだと痛感しました。

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「クワガタムシの引き出し」(2010/1620 × 1303mm)
今後予定している海外での個展のきっかけとなった作品。


 名刺を印刷していた学生が言った、
「今はそんな単純な時代じゃないんですよ」

 私がその言葉を忘れられない理由。それは、作家を志している若者たちが、実は誰よりも作品の持ちうる力を信じていないという、その現状を突き付けられたからです。この情報過多の時代で、いかに良い作品を作ろうが、見せるべき時と場所を間違えると意味を成さないと感じてしまうのもわかります。そのためにまずは人脈を形成し、最高のステージを用意しようとする気持ちもわかります。しかし、最高の条件が整ってから最高の作品を作ろうとしたときに、果たしてその作品はそれに見合った強度を持ち合わせているのでしょうか。

 現状を打破できるのは作品だけだと信じ、まずは今置かれている状況下で、いかに最高の作品を作ることができるか。それこそが作家に求められる力なのだと思います。そうすれば名刺など配らずとも、出会うべき人との縁をそのときごとに作品がつなげてくれるはずです。インターネットの片隅にあった小さな作品画像がきっかけでそうなったように、今の私があるのは、そのときごとに作品がつなげてきてくれた人たちとの出会いがあったからこそです。作家を支えてくれる人たちがその作家を信じ応援してくれるのならば、作家にできることは自身の作品の力を信じ、それに向かって直向きに作ることです。

 単純明快で当たり前のことですが、これが今の私が自分自身の言葉を持ってお話できる数少ない答えの1つです。

(2014年2月24日)

今後の予定

個展 『アニマルボックス(仮題)』(松坂屋名古屋店) 2014/5/7-5/13

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バトンタッチメッセージ

今回の私のコラムでは、作品を通してつながる人と人との縁というお話をさせていただきました。下保さんとの出会いもそうした縁から生まれたものです。お会いしてまだ日が浅いのでゆっくりお話することができておりません。ですので、下保さんのコラムがどのような内容になるか私自身も楽しみにしております。
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