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アートの社会への応用


象の鼻テラスについて

横浜出身の私にとっての横浜臨海部のイメージは京浜工業地帯の排煙と黒い海という怪しげで危険な香りのするものだった。そこは、時に頑丈に施錠され、高いフェンスに覆われていた。

もっとも50年以上前の話だが、今日の美しく開かれた空間からは想像もできない。

象の鼻テラスは2009年、横浜開港150周年の記念事業として象の鼻地区の公園整備が行われパーク内に設けられた休憩所として建設された。

この地の整備にあたっては、2004年に起動した創造性を核とするまちづくりビジョン「クリエイティブシティヨコハマ」を推進する施策の一つ「ナショナルアートパーク構想」に基づき計画され、BankART1929や黄金町エリアマネージメントセンターと同様クリエイティブシティヨコハマを推進する「創造界隈拠点」と位置づけられている。

事業者の選定はプロポーザルが実施され、スパイラル/株式会社ワコールアートセンターが受託、今日まで運営を担っている。私は、2009年の開館以来今日まで事業運営責任者であるアートディレクターを務めている。

象の鼻テラスの活動

象の鼻パークは横浜港に向かって左手に赤レンガ倉庫、中央には大さん橋、その奥には横浜ベイブリッジ、右手に山下公園を望む、我が国の大都市部には類を見ない長い水際線の只中にある。象の鼻パークから横浜スタジアムに伸びる日本大通りは日本初の西洋式街路で近代都市計画のシンボルといえる。また、象の鼻パークには神奈川県庁(キング)、横浜税関(クイーン)、横浜市開港記念会館(ジャック)の「横浜三塔」を同時に臨めるポイントがあるなど古今東西が交錯する絶好のロケーションである。

諸外国の最先端の文明を輸入し、我が国の発展の礎となった記念碑的なこの土地がいつまでも美しく快適な空間であり続けるために、多様な専門家と市民と協働しながら運営してきた。

運営コンセプトは開館以来変らず「文化交易」。かつては欧米諸国から文明を輸入したこの地から、文化を積極的に発信、交易する港として位置づけた。また、象の鼻テラスにおける活動は基本的にすべてアーティスト、クリエーターが携わり、市民参加型で取り組むこととしている。それは、アーティストたちの発想、表現は、いつも私たちを刺激し、横浜というまちの新たな可能性への気づきをもたらしてくれるからに他ならない。

事業プログラムは、これまでのスパイラルでの活動を礎に、アートの創造性がリアルな社会、まちづくりにも応用可能である、という信念の基、今日現役で活動を行う多様なジャンルの表現者と協働を行なっている。また、アーティストとともに活動する市民は国籍も年齢も身体的な特徴も当に多様で、象の鼻パークや臨海部、中心市街地、郊外部も活動フィールドと捉え旺盛に活動を行ってきた。

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象の鼻テラス
Photo: Katsuhiro Ichikawa

スマートイルミネーション横浜

オラファー・エリアソンやアンソニー・ゴームリー、ロワイヤル・ド・リュクス等、アートスペースから積極的に屋外に出て行われるダイナミックな表現、特に公共空間で展開されるスペクタクルな活動に関心を持ち、2009年世界各地の状況をリサーチした。その結果を踏まえ、2011年に「光」を題材にアーティストとフェスティバルを企画した。ところがその計画の最中に東日本大震災が発生。あわせて、原発事故。関東地方では計画停電が実施されるなど、とても光のフェスティバルどころではなくなった。しかしながら、関係各所と協議の結果、アート、省エネルギー、環境技術に着目をした光の祭典「スマートイルミネーション横浜」として開催することとした。コンセプトはまさに、パラダイムシフトが起きた当時の状況を反映し、「アートと省エネ技術の融合」とし、豊かな横浜の新しい夜景開発に取り組んだ。初年度には、光のアーティスト髙橋匡太氏が考案した「ひかりの実」を被災地である陸前高田の子供たちと制作。その後、関東大震災で生じた瓦礫を用いた埋立地という歴史を持つ、当時の復興のシンボルである横浜の山下公園に設置した。その様子はNHK「ゆく年くる年」でも取り上げられた。

その後、2019年度まで9回実施。毎年、多くのアーティストと市民の皆さまと、新たな夜景創出に取り組んできた。

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スマートイルミネーション横浜2011 《ひかりの実》髙橋匡太
Photo:Hideo Mori

フューチャースケープ・プロジェクト

象の鼻テラスの活動ミッションの一つに「テラスとパークの一体活用」が謳われている。都市公園とは異なる複雑な構造に立つ施設であるがゆえに敷地から一歩外に出ようとすると公園管理者、水辺の管理者や事業者等との複雑な調整を余儀なくされる。また、設立当初は新しいこの施設と場所の認知度の向上に苦慮した。ここでもやはりアーティストやデザイナーの力を借りてブレークスルーすべくいくつかのプロジェクトを実践してきた。ほかには、パークの木陰の不足、山下公園と赤レンガ倉庫を結ぶプロムナードからのアクセスの悪さなど、活動を通じて具体的に解決すべき課題も多く顕在化してきた。

2019年開館10周年を迎えるにあたり、こうした課題を俯瞰し、創造的に解決すべく、『フューチャースケープ・プロジェクト』を企画した。

今日、市民の意識とともに「公共」の解釈が急激に変化してきた。公共空間他をシュリンクする経済を再び活性化しうる資産と見立てることや、その運営に関する公民連携事業推進の機運が高まってきた情勢を受け、本プロジェクトのテーマをあらめて公共空間とした。

この記念事業の構想にあたっては、現在の社会的背景と象の鼻テラス、パークがもつ課題に創造的にアプローチすることを目標に定め、象の鼻テラス・パークの設計者である小泉雅生氏らを中心とする検討グループを設置。まちづくりにおける気鋭の論客やステークホルダーを招き、旺盛に議論を重ねた。長時間にわる議論を経て、この環境をもっと楽しく、もっと快適にすること、そのための具体的な取り組みについて、アーティストだけでなく市民からもアイデアを募った。多様な市民、子供、高齢者、障がい者、外国籍居住者、観光客などを招きワークショップを開催。それぞれの立場での課題や理想をうかがった。こうしたプロセスを経て、公募によりアイデアを収集し、提案者自らがプログラムを実施することとした。結果として公募には100のアイデアが集まり、これらすべてを実施すべく、開催日直前まで関係各所と調整、議論を重ね、そのほぼすべてを実現することができた。

プロジェクト推進に携わったスタッフの各所調整に係る業務負荷は相当なものであったが、この「調整」という対話こそにこのプロジェクトの価値の本質が潜んでいると考えている。

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象の鼻テラス開館10周年記念・「フューチャースケープ・プロジェクト」提案者によるプランの集合図
Illustration:荒牧悠 / Haruka Aramaki

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象の鼻テラス開館10周年記念・「フューチャースケープ・プロジェクト」(2019)象の鼻パーク 
Photo:Ryusuke Ohno(©︎Arts Commission Yokohama)

コロナ禍の中、3回目の開催

2020年、今度は未知の感染症の世界的な拡大によって生活様式の変化という新たなパラダイムシフトを経験することとなった。約2年経った今も、感染状況は世界各地で感染拡大が続き、新しい生活様式の模索とともにアートと社会のありようについても、変容が求められている。

そんな中、今年のテーマを「ニュー(ノーマル+クリエイティブ)ライフ」とし、6月に隣接する山下公園も会場として企画した。しかしながら、COVID-19の感染者数の増加はとどまることを知らずやむなく延期。10月に日本大通り駅も会場に加えて開催。創造界隈拠点が連携する事業「クリエイティブウォークウェイ」に、郊外部の鶴見区小野町商店街で行うプロジェクトとも連携して参加した。

今回もアーティスト、市民の創造力を深く信頼し、コロナ禍の日常を少しでも豊かにするためのアイデアを募集。招待作家に加え、公募プログラムに応募いただいた17組の参加者を得て、本年の「FUTURESCAPE PROJECT 2021」を開催した。公募プログラムが集積した最初の週末は、晴天にも恵まれ、実に久しぶりに人々のリアルな笑顔を目にすることができた。私だけではないであろう、人恋しくて堪らなかった多くの人々の触れ合いと体験の喜びを目にし、人間という生物の業を垣間見たような気さえした。

これから

今日の状況は、自由と責任は相反するかのようで実は表裏一体であることをあらためて実感することなった。一方、社会の寛容性は低下の一途をたどっているようである。社会全体がより一層成熟し、豊かな寛容性を持ってすれば公共空間の規制の枠も旧来の堅牢なものでなく、求めに応じて柔軟に変化し、表現、活動の場が無限大に拡張しうるではないだろうか。

本事業がアートの創造力の発露となり、よりよい日常、よりよい公共空間が実現されていくことを期待している。

2021年11月27日

今後の予定

「生活とアートの融合」を活動テーマにするスパイラルと「文化交易」をコンセプトにする象の鼻テラスでは、今後もさまざまな事業を通し、アートを媒介とした豊かな社会の実現を目指し活動を展開していきます。

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