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日本のアーティスト・イン・レジデンス

 それでは、日本では、いつ、どのようにアーティスト・イン・レジデンス(AIR)が始まったのでしょうか。

 1980年代から90年代初頭にかけて、いわゆるバブル経済期に、日本では「ハコモノ」行政と揶揄されるほど全国各地に美術館が建設されました。作品を収容するスペースはできましたが、他方、現代アートの創作過程を見る、アーティストと交流する機会はほとんどありませんでした。
 そこで、海外でAIRを体験したアーティストやキュレーターたちによって、あるいは、海外の文化機関が日本でのAIRの機会を求めて、実験的にAIRが始められました。
 例えば、1987年には、オーストラリア・カウンシル(日本でいえば、文化庁に該当する機関)が自国のアーティストを東京に派遣し、研鑽を積む機会を提供していました。92年には京都に、アジアのヴィラ・メディチとしてヴィラ九条山が建設され、フランス政府が日本へのアーティスト派遣を始めていました。これまで約150名のアーティストたちを受け入れてきています。
 当時、日本の多くの地方自治体がAIR事業へ関心を示すようになり、国際交流基金には、海外のAIRに関する情報について問い合わせを受けることが多々ありました。同時に、海外の文化機関から日本のAIRとの交流を求める相談を受ける機会も多くなりました。しかし、AIRに関してまとまった情報やリソースがなかったため、93年、「アーティスト・イン・レジデンス研究会」を立ち上げ、内外のAIRの事例を調査し、報告書として取りまとめたところ、大きな反響を呼びました(現在は、日本のAIRの総合データベース「AIR_J」としてウェブサイト上で公開しています)

 こうして、90年に滋賀県陶芸の森で、そして93年、日本におけるAIR事業の嚆矢として、多摩東京移管100周年事業の一環として日の出町アーティスト・イン・レジデンスが実施され、翌94年に茨城県の守谷市でARCUS(アーカス)がパイロット・プロジェクトとして始められました。その後、98年に秋吉台国際芸術村、2000年には国際芸術センター青森などが相次いで創設され、当初は自治体主導でAIRが始まりました。当時、自治体が率先して開始したことの背景の一つとしては、97年、文化庁が地方自治体のAIRへの支援を開始したことも大きいと思います。地方自治体にとっても、美術館というハコモノだけではなく、AIRを通して、美術館に代わる新たなアートの拠点のあり方を模索したり、海外との交流を通じて地域の活性化をはかることが試みられたのです。本来は、AIRとはアーティスト支援の制度ではありますが、日本の場合、地方自治体の補助金、すなわち国民の税金で運営される場合、やはり当該自治体の住民への還元が重視されざるを得ません。そこで、日本では、地方自治体主導のアーティスト・レジデンス事業は、若手アーティストを支援するばかりでなく、アーティストとその地域の人々との交流や地域振興が期待されている場合が多いのです。

 それでは、いくつか、代表的なAIRをあげてみましょう。秋吉台国際芸術村は、磯崎新の設計によるスタジオ、コンサートホール、ギャラリースペース、野外劇場を備えた主棟に加えて宿泊棟などが併設され、カルスト台地と鍾乳洞の近くの美しい自然に恵まれた環境にあります。また、青森市にある国際芸術センター青森も安藤忠雄の設計による建物で、展示棟、創作棟、宿泊棟から構成されており、アーティストたちの創作活動をあらゆる面で支援するキュレーターたちは、異文化の中で作品を生み出そうとするアーティストたちの生活面や精神面をもきめ細かくサポートしています。首都圏近郊の茨城県守谷市にあるアーカスは、1994年よりパイロット・プロジェクトとして開始され、世界で活躍するアーティストを支援してきています。アーカスは、遊休施設となった小学校の校舎を秋から冬の3か月の間、アーティストが滞在して創作活動を行っており、歴代の優れたディレクターの努力により、また、首都圏に近いという地の利をいかし、着実に実績を上げてきています。また、京都の中心にある京都芸術センターもかつての明倫小学校を改築した施設ですが、京都という歴史のある街ならではの古典芸能なども取り入れ、地域のアートセンターとして根づいています。2005年には、都心にトーキョーワンダーサイト青山としてクリエーター・イン・レジデンスが創設され、世界のアーティストを受け入れています。
 また、窯業の盛んな地域にある滋賀県陶芸の森を始め、瀬戸や常滑では地場産業とも関連した事業が運営されており、世界各国から優れた陶磁器のアーティストを招聘しています。岐阜県の美濃・紙の芸術村では、日本に伝わる伝統工芸である和紙を素材とするアーティストを招き、市内にホームステイしながら滞在するという内容でアーティストと市民が仲良く交流しているのが特徴です。また、アジア美術館は、毎年、アジア域内から4名のアーティストと2名のキュレーターや研究者を招いており、アジアと日本をつなぐ実験的なワークショップや交流事業を運営しています。

(2011年5月15日)

※本シリーズは全4回の連載です。次回は2011年6月に掲載予定です。

参考リンク

  • AIR_J
    日本のアーティスト・イン・レジデンスの総合データベース
  • Res Artis
    アーティスト・イン・レジデンスの国際ネットワーク
  • Transartists
    世界のアーティスト・イン・レジデンスのデータベース

アーティスト・イン・レジデンス入門 目次

1
アーティスト・イン・レジデンスとは
2
日本のアーティスト・イン・レジデンス
3
日本のアーティスト・イン・レジデンス(2)
―主体や分野の多様化と世界の注目
4
日本のアーティスト・イン・レジデンスの課題と可能性
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