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アーティスト・イン・レジデンスとは

1.アーティスト・イン・レジデンスとは?

 アーティスト・イン・レジデンス(以下、「AIR」)とは、簡潔に表現するならば、アーティストの滞在型創作活動、またその活動を支援する制度といえます。すなわち、アーティストが国境や文化の違いを越え、非日常の空間に身を置き、異なる文化や歴史の中での暮らしや、現地の人々との交流を通して、刺激やアイディア、インスピレーションを得、新たな創作の糧としていく活動なのです。

 そもそも、アーティストという存在自体、その多くが未知なる文化や社会への憧憬を心に秘めるコスモポリタン、あるいはノマド的気質を持ち、文化間を渡り歩く存在ともいわれています。ニューヨーク、パリ、ベルリン、そして東京といった大都市には、世界各地からアーティスト、そしてアーティストを志す多様な文化背景を持った人々が集まってきます。その中で、出会い、議論し、そして情報やノウハウを共有し、切磋琢磨することによってお互いを高めあっているのです。AIR専用の施設に滞在して創作するばかりでなく、ビエンナーレやトリエンナーレなどの国際展でインスタレーションを創作する場合や、美術館や大学などでのレジデンスが行われている場合も数多く見られます。
 特にコンテンポラリー・アートの世界では、どこのレジデンスに招かれたか、またどのAIRで活動したかは、美術館やギャラリーでの個展、ビエンナーレやトリエンナーレなどの国際展への参加と同様に作家のキャリアにとって、大変重要な活動となっています。

 現在、全世界にどのくらいのAIRがあるのか、正確な数を把握するのはなかなか難しいのですが、世界中のAIRを網羅的に掲載しているオランダのアートNPOのTrans Artistsのサイトには、およそ1000のAIRが登録されています。また、国際交流基金が提供するサイトAIR_Jには、現在、国内の約30のプログラムが登録されています。しかし、おそらくレジデンスはもっと広がっていると行われていると思われます。
 それでは、このように世界に広がりを見せているアーティスト・イン・レジデンスの歴史は、いつ、どこで始まったのでしょうか。

2.アーティスト・イン・レジデンスの歴史

 アーティスト・イン・レジデンスの原点は、1666年、フランスの王立アカデミーがローマのヴィラ・メディチ(メディチ家の別荘)を買い取り、フランス・アカデミーを設立し、そこに栄誉ある「ローマ賞」を受賞した自国のアーティストたちを自己研鑽のためにローマに留学させたことにさかのぼるといわれています。王立アカデミーからローマに派遣されたアーティストたちは、当時、世界一の芸術の都であったローマで創作活動に専念しながら最先端のアートに接し、自らの表現方法や技術を研鑽し、ヨーロッパ中から集まった知識人や王侯貴族と国際的な人脈やさまざまなネットワークを築いていきました。要するに、これから活躍が期待される若手のアーティストを育てるシステムでもあったのです。
 感受性や受容力が最も研ぎ澄まされている時期に、アイディアや方法論において試行錯誤を繰り返しながらも、絶えず自己の表現の可能性を追求し、挑戦し続けている若手のアーティストたちにとっては、国や文化の境や壁を越えての創作活動は、かけがえのない成長の機会となります。それゆえ、アーティストに対し、創作に専念するための時間と奨学金を提供し、情報や人的ネットワークを広げることを支援することがアーティスト・イン・レジデンスの基本プログラムなのです。

 その後、19世紀半ばを過ぎ、産業革命がヨーロッパ各国に広がるようになると、今度は、アカデミーへの反発と自然の復権を求めて、コローやミレーなどバルビゾン派と呼ばれるアーティスト・コミュニティーが生まれてきます。そして、その活動はアメリカへ伝わり、20世紀前半まで盛んに活発な活動が展開され、この動きの中でAIRの活動も継続されていきました。
 この流れの中で、現代的な意味でのアーティストの国際的な移動と創作活動を支え、常に前衛的な実験とアートの可能性を提示してきたのが、ベルリンのクンストラーハウス・ベタ二エン(以下、「ベタ二エン」)です。ベタ二エンは、1974年、まだ東西の壁がベルリンを西と東に隔てられていた西ベルリンで、活動を開始しました。初代館長となったミヒャエル・ヘルターは、1975年、国際アートセンターを立ち上げました。現代アートは完成した作品よりは創作のプロセスがより重要であることを十分に認識していたため、活動の中心を実験とプロセスを重視するAIRに置いていたのです。また、ベタ二エンでは、最先端のアーティストを世界各国からベルリンに招き、ベルリンのアート・シーンを牽引する存在となっていました。こうしたベタ二エンの活動に触発され、ニューヨークのPS1を始め、次第に世界各地にAIRの活動が広まっていったのです。

 さらに、モノ、カネ、情報、人の移動が加速的に増加した20世紀後半になると、世界各地でビエンナーレやトリエンナーレといった国際展が数多く開催されようになり、美術館といった場所も広さも制限されがちなスペースを越えた、特定の社会的な文脈や環境の中で意味を持つサイト・スペシフィックな作品やインスタレーションが増えてくるようになると、このような創作活動を支える制度や体制がますます必要とされるようになってきました。AIRは、こういった目的に最も適うシステムとなっていたのだと思います。従って、異なる文化の中に短期的に滞在しながら創作活動を行うことや、またその活動を支援することは、時代の要請として生まれ発展してきたといえましょう。

 現在、アーティスト・イン・レジデンスは、ヴィジュアル・アートに限らず、映像、ダンス、演劇、パフォーミング・アーツ、文学などほとんどすべての芸術分野にわたり行われており、アーティストに限らずキュレーターや評論家、あるいは美術史の研究者、アート・マネジャーにいたるまでアートに関わるすべての人々が対象となっています。また、レジデンス施設ごとに設備や受け入れ条件が異なることもあり、多彩な事業が運営されているのもアーティスト・イン・レジデンスの特徴です。従って、政府が支援する新進アーティスト育成のための奨学金から、アートNPOや個人による個性豊かなアーティスト支援事業など、分野も規模も多種多様に行われているのです。また、世界のAIRのネットワーク組織としてRes Artisが立ち上げられています。

(2011年4月15日)

※本シリーズは全4回の連載です。次回は2011年5月に掲載予定です。

おすすめの1冊

「現代アートとグローバリゼーション」>『グローバル化する文化政策』 菅野幸子
勁草書房
2009年

アーティスト・イン・レジデンス入門 目次

1
アーティスト・イン・レジデンスとは
2
日本のアーティスト・イン・レジデンス
3
日本のアーティスト・イン・レジデンス(2)
―主体や分野の多様化と世界の注目
4
日本のアーティスト・イン・レジデンスの課題と可能性
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