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Q&Aその2

文化・芸術が期待すること〜そこから最も遠い人たちへ〜

Q3:そもそも2020年にオリンピック、パラリンピックを"東京で開催すること"については、どのようにお考えでしょうか?(アート活動を行う個人・団体)

 東京オリンピック・パラリンピックは、スポーツの祭典だと思われていますが、じつは文化の祭典でもあります。ロンドンオリンピック・パラリンピックでは、17万7717件の文化イベントが、全国で開催され、4330万人の人々が参加したのです。(詳しくは吉本光宏さんの「2020年オリンピック・パラリンピックに文化の祭典〜新たな成熟先進国のモデルを世界に提示するために」をご参照ください。)数字だけ見ても驚異的です。日本はそれ以上の文化イベントを全国で展開しようとしています。

 私がこのオリンピック・パラリンピックに期待しているのは、この機会を通じて「いままで文化・芸術に触れたこともない人」「文化・芸術に最も遠いところにいる人」に届いてほしいと思っています。たとえば、食費にも事欠くような貧困家庭の子どもたち、痴呆の高齢者、重度の障害のある人、病気の人たち、社会的に不利益な状況にいる人たち...。この祭典によって文化・芸術が何かを慰め、勇気づけることができないのかと考えます。同時に、彼らの存在が顕在化し、その存在を知らない、忘れている人々が気づき、自分の生活や人生の延長線上のこととして考えてほしいと思います。

 しかし、そんなことはきれいごとで、新国立競技場やエンブレム問題のごたごたを見ていれば、利権まみれの、いつもの公共事業に過ぎない。とお思いの方も多いと思います。しかし、もしそうなったのであれば、日本は世界中に恥を晒すことになるでしょう。そしてそんな政治家、行政しか輩出できないわれわれ国民、市民のインテリジェンス度を自戒するしかありません。

飯舘村の様子
飯舘村の様子

 先日、レッツのスタッフ全員で福島県飯舘村に行ってきました。2017年2月に、静岡県静岡市と浜松市で「いいたてミュージアム」という展覧会を行います。そのために、福島県立博物館の川延さん、小林さんのコーディネートで視察しながら、現地の皆さんとお話しを聞く機会がありました。

 優良農地に無残にも、除染土のフレコンパック(よくテレビで見るあの黒い袋です)が何百、何千と積み上げられ、その光景が延々と続きます。人も動物もいない住宅地に、作業員とブルドーザーがうごめく、一大公共事業化している除染作業。5年近く経って、原発被害の復興とは何をもって復興と言ったらいいのか、同じ時代を生きる日本人として、私たちは知らなすぎるのではないかと思いました。

 東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、いまの政権は、海外からの福島原発被害の懸念に対して「オリンピックまでには解決するから大丈夫」と断言しました。多くの国民もそれに期待して、オリンピックを国家事業として受け入れたのも事実です。あと5年の間に、私たちはどこまで向き合うことができるでしょうか。

 東京オリンピック・パラリンピックは、私たちがいままで積み残してしまった問題を、文化・芸術によって乗り越えていく機会とできるのか。これを、さまざまな転換期として生かしていくことができるのか。東京で開催されますが、福島や沖縄と別次元ではないと思います。

 同時に、今回は障害のある人たちにも注目が集まっています。いままで表舞台に出る機会が少なかった障害の人たちが、文化・芸術同様、人の気持ちを変え、関係を変え、社会を変えていく機動力になることを心から願っています。

優良農地に積み上げられたフレコンパック
優良農地に積み上げられたフレコンパック
てつがくカフェ 「かたりのヴぁ」の様子
てつがくカフェ 「かたりのヴぁ」の様子
さまざまな立場の人たちが同じテーマで話し合う、インクルージョンな場

(2015年11月18日)

オリンピック・パラリンピック(2) 目次

1
境界を曖昧にする
〜オリンピック後の幸せの価値観
2
Q&Aその1
「アート的な手法」の解決策と「曖昧」のジレンマ
3
Q&Aその2
文化・芸術が期待すること〜そこから最も遠い人たちへ〜
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