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ある劇場職員のつぶやき

こちらの記事は2006年掲載「アートマネジメント入門」の改稿版です。

1 劇場はおもしろい

「少々まじめで控えめじゃなかったですか」。慣れない講義室で「アートマネジメント」について緊張しながらの話を終えて戻ってきたところで、ふと、こんなことをいってきた若手職員君を前に、本当はこの短い映像を見るところから始めようかと思っていたのだけど……、と一息ついて画面をのぞきこむところから今回の話を始めたいと思います。

映像で紹介されているのは、ニューヨークのリンカーンセンター内にあるオペラハウス(メトロポリタン歌劇場)。あるバレエ公演の開演2時間ほど前から、劇場内で起きていることが映し出されます。専属のオーケストラもあるこの劇場で、これだけの(実際にはもっといろいろありますが)さまざまな部門・空間・人が客席や舞台の向こう側に存在しているわけで、もちろん「マネジメント」も大変です。私どもが運営している劇場とは規模や特徴も異なりますし、世界にはいろいろな劇場がありますが、「劇場」というのはこんな場所。とてもおもしろい場所です。「多くの才能が集い、新たな創造が日々行われ、たくさんの発見、驚き、感動、楽しみ、交流が生み出されるとともに、それらをしっかり次世代に引き継いでいく」。劇場への寄付を呼びかけるリーフレットにこんな説明を書いたことがありました。マネジメント側の人間としては、直接、「創造」をするわけではありませんが、そうした活動をする人の隣、あるいはまたその隣くらいにいて、そうした活動がうまく行われるよう段取り、お客様に届けていくのが仕事です。劇場では、ある時間、ある場所に、アーティストやスタッフ、観客が居合わせ、その場で現われては消えていく営みを共有し、またそのために稽古や準備を重ねていく――、奇跡とまではいわないにせよ、これはよく考えるとなかなかすごいことだと思います。しかし、それに人は期待し、こうした場をつくりあげてきました。

発見、驚き、感動、楽しみ、交流といったものは、劇場に限らず、私たちが「アート」に感じ見出す基本的な要素だというのは、他のジャンルのアートや「アート・プロジェクト」はもちろん、最近「社会的包摂(ほうせつ)」といわれ注目されているような活動にも共通していると思います。そんな要素がいっぱいの「アート」は時に人の人生を変え、社会を変えていく力を持っています。満面の笑みを浮かべながら劇場をあとにする子ども、演劇を観たあとカフェでなにか難しいことを考えていそうな青年、まだまだ叫び踊り足りなさそうなポップスコンサートの観客……。

人を変え、社会を変えていける「アート」の活動に携わる……、アートの役割やアートマネジメントの役割、そしてそこにかかわる自分たちの役割にしっかり想いを馳せて仕事をしていかなくては、と思うのはそんなときです。

2 おもしろさを伝え、支える

映像を見ながら、横で私のつぶやきを聞いていた若手職員君は、「劇場ってほんとおもしろいところですよねぇ。でも、集客に苦戦してるという話ばかりじゃないですか。どうしたらいいんですかねぇ」、と、さらっといいます。

そう、劇場や公演のおもしろさを人にどう伝え、おもしろいと思ってもらうか(まずは来てもらうか)、日頃からそのおもしろさをいかに縁の下でしっかり支えるか……。それを真剣に考えていかねばなりません。人口は減り、少子高齢化も進む。プロ野球のファンは減っているが、球場に観に来る人は増えているとか。音楽もCDを買う人は激減らしいですが、ポップスなどのライブ・ビジネスは好調とも。老朽化した劇場を閉じるという話も少しずつ聞く中、劇場へいらっしゃるお客は今後どうなっていくのか、そんな時期だからこそ注力すべきことは何か。

あらためて、劇場のおもしろさ、劇場で何かを見たり聴いたりすることの楽しさ、もっというなら、劇場が身近にあることの意義、といったものを感じ取ってもらう工夫についてさらに考えていかなければなりません。まずは、受け取る側、楽しむ側、あるいは観客の視点での工夫といったことでしょう。もちろんすでにさまざまな取り組みがされていますが、さらに踏み込んで、たとえば、科学の領域で定着してきた「サイエンスコミュニケーター」といった実践のような、より受け取る側に密着するようなかたちでアートに関心をもってもらい楽しんでもらうことを働きかける存在を生み出せないだろうか、といったことを考えたりしています。専任は難しいとしても、既存のものに少し要素を付け加えるだけでもよいかもしれません。地域の劇場の役割として、こうしたことを意識した実践も大切だと思いますし、これまでの「ボランティア」といったものとはまた少し違うかたちでのアートへのかかわり方の提案にもできるかと思っています。すでにこうした取り組みをしている劇場や美術館なども出てきました。

ほかにも、アートジャーナリズムへの期待、とでもいいましょうか、アートにかかわるさまざまな情報共有、問題提起をさらに盛んにできないものだろうか、と思っています。広報・宣伝といった情報だけでなく、批評、評価、課題や議論、調査報告といった、中には「業界」として議論されるべきこと、あるいは社会にも広く共有されるべきこと、などをうまく見つけ伝えていくということです。関連して、アーカイブといったことも考えていかなくては、と思っています。調査研究や技術開発は、健全な産業発展に不可欠だと思いますが、アートマネジメントが関連するような領域の調査研究を充実してもらい、ジャーナリズムの力も借りるなどして、現場に届けてもらいたいのです。今や大学や研究機関も大変と聞きますし、マネジメント側からもっと働きかけをしていかないといけない時代に入っていくのかもしれません。

そして、劇場というものを支えている「インフラ」も気にしていかないと、と思っています。一つには、安全への視点、あるいは、人が集まる場を支える技術についての視点です。そもそも劇場には危険と隣り合わせな空間が広がっています。舞台上が工事現場のようになることすら日常茶飯事といっても過言ではありません。そんな場を成り立たせるために、私たちは、たとえば、舞台上での作業における安全上の基準といったものを決め、実践しています。舞台上の大道具が倒れないような重心の決め方、固定の仕方、素材、また、作業にあたる者の装備…。さまざまな法律や規則、基準、申し合わせ、といったものが遵守され、経験や知識を持ったスタッフにより作業が行われ舞台は幕を開けています。人が集まる空間にかかわる技術やノウハウも大切です。公演中の客席の二酸化炭素濃度のことを気にしなければならない、とか、舞台上に三相4線による電源供給がされていることを把握していなければならない、とはまったくいうつもりはありませんが、空間がこうしたさまざまな要素で成り立っており、誰かがこういう点を把握していなければならない、という意識を、劇場のみならずアート・プロジェクトなど、「現場」に携わる人の基本としてこれまで以上に定着させていかなければならないでしょう。

「でも誰がやるの?財源は?」。件の若手職員君は、間髪をいれずに誰かの真似をしながらこう聞いてきました。とりあえずの私の答えは、「将来、いつか振り返ってみたときに「今の状況があるのは、文化芸術基本法とか、オリンピックとか、文化庁移転のころからの中長期的な取り組みがあったからだよね。」といえるようになっていてほしい。そんなレガシー希望。」

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Photo: Toshiaki Nakatani

3 アートマネジメントの感覚

「ロボットは自動車をつくるが、決して買わない」。これは私が経済というものに興味を持ち始めたころに読んだ経済学の本に書いてあったフレーズです。妙に強い印象を受け今でも覚えているのですが、今や、この断言もこの先どうなるのか怪しいと感じられる雲行きです。アートも然り。まだ想像することができないような何かにおいて、「アート」を巡るさまざまなものが変化していくかもしれない。変わらないもの、残していきたいものをうまく残し引き継ぎ、同時に新しいものを重ねていく。そうした変化に対するマネジメントのかかわり方や感覚といったものを考えていかねばならないだろうな、と思っています。

つい先日、夏休み企画として、私どもの劇場では建築ツアーを開催しました。ロームシアター京都は、1960年に前川國男氏による設計の建物として開館(当時の名称は京都会館)しましたが、老朽化といった状況の中、歴史的な建築物としての建物価値の継承を考慮にいれた再整備工事が行われ、2016年にリニューアルオープンした施設です。「モダニズム建築」として、また多くの市民に愛着を持たれているこの建物について、建築という点から解説するツアーは大変好評を博しました。そのツアーの質疑応答の際に、「この建物はあと何年持ちますか」という質問が出たのですが、それに対する講師の答えはこうでした。「今後、最低60年はもつ設計です。理想は100年。ただ、建物が維持されていても、そこで行われているものがそのころどうなっているのかわかりませんけれど」。演劇や音楽、ダンス、古典芸能といった舞台芸術は今後、どうなっていくのでしょう。私たちが何の気なしに口にする「演劇」や「音楽」といったジャンル分けですら、どうなっていくのかわかりません。統計上の分類が…とか、補助金の枠組みが…とかいいつつ、「そこにあるもの」をマネジメント側が従来のジャンル分けに押し込めてしまったりすることで、あるいはなにか「新しい」枠の中に位置づけることで、知らぬ間にアートの可能性を削いでしまったりすることも出てくるのでは……、そんなことをふと考える「感覚」も必要なのかな、と思ったりしています。

さて、明治期に書かれた『奥役十訓』というものがあります。これは、歌舞伎において、役者や出演者、スタッフなどと直接かかわりマネジメント(制作)を担う「奥役」の仕事の心構えを記したものですが、そこでは、たとえば、「芝居の仕事は一人一役たるべし、他人の領分に切り入るな、作るは易し繕うは難し、奥役は常に繕い方に廻るべし」とか、「常に役者の女房を神のごとく敬い、飼い猫にも油断するな」とか、「腹を立てられる人を幸福だと思え、怒りを忍ぶ時にはこれを商売と思うべし」といった言い回しが並びます。人と人の濃密な関係のもとに成立している歌舞伎の世界に求められる人物像をうまく言い当てているように思いますが、私たちもそれぞれの現場にふさわしい現代版の奥役として、どんな振る舞いをすべきか、その心構えについて常日頃から考えておく姿勢も持っておくべきではないでしょうか。

先日、ある劇場職員に、「もっと字をきれいに書くように」「言葉にこだわったほうがいい」と「心構え」を伝えたのですが、ヴァイオリニストが、一つひとつの音の音程や強弱、音色に極限までこだわるように、私たちは、一つひとつの言葉を大切にし、書類作成や説明、プレゼンに臨まなければならないと感じています。それはそのこと自体が大切というよりも、そういう世界との橋渡しを私たちがするゆえ、という感じでしょうか。なにか特別なことではありませんが、こうした感覚もまた、大切なのだと思います。

さて、隣の若手職員君も、もう説教話なら失礼します……といいたそうな表情をしています。奥役十訓にも「笑われるとも憎まれるは損なり」とありますので、今日のつぶやきはここまでとしましょう。アートとのかかわり方がそうであるように、アートマネジメントへのかかわり方もさまざまです。アートの世界に魅力を感じてしまった皆さん、ぜひこちらへ。ご相談にのります。一肌脱いでやろうという皆さん、なにかおもしろいこと一緒にしませんか。もちろん、私ももう一二肌脱ぐつもりで頑張ります。

ではまた12年ほどたったころにでも、「アートマネジメント」について振り返り、見つめなおし、展望することを楽しみに。

(2018/8/31)

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アートマネジメント入門 ─改稿版─ 目次

1
アートマネジメント、再び
2
アートマネジメントの悩み、再び
3
ある劇場職員のつぶやき
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