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オケ裏生活30年



愛知県愛知県芸術劇場コンサートホール
©名古屋フィルハーモニー交響楽団(撮影:中川幸作)

静岡での学校公演。演奏会場の体育館横で畑仕事をしていたおじさん(私もおじさんだが)から「今日は何があるの?」と声を掛けられた。「オーケストラのコンサートです」「へえ~、あなたも演奏するの?」「いや、私は裏方」「オーケストラって演奏する人ばかりじゃないの?」「今日は演奏者が70人位で、裏方は全部で7~8人かな」とやり取りがあって「私も裏方。本職はサッカー場のグラウンド整備」という。聞くと、Jリーグの競技場や練習場の芝整備をされているプロの方だった。芝の僅かな長さの違いや土の固さがプレイに影響するらしく「選手が安心して練習や試合に臨めるように整える仕事」らしい。開演前の短い時間でお互い名前も名乗らず仕舞いだったが、違う職種とはいえ裏方同士の興味深い話で思わぬひと時を過ごせた。

また、神奈川の小学校公演では、なんという奇遇か、校長先生が私の小中学校の先輩であることが判明し、驚くと同時に故郷で過ごした懐かしい時代の記憶に呼び戻してくれた。

宮崎県都城市

『ふるさと納税』では常に上位にランキングされ、名産の焼酎「黒霧島」が人気となっているまちが私の故郷だ。宮崎のPRに務めた東国原元県知事も同じ小中学校の先輩である。楽器を嗜む親戚たちや興行師だった親父の影響で、わが家には多くの楽器や機材が転がっていた。小さいころからそれらを遊び道具にしていた私は、坊主頭に蝶ネクタイ姿でキャバレーバンドに潜り込み、その末席でラッパを吹いて小遣いを稼ぐ怪しげな中学時代を過ごした。

地元で吹奏楽が最も盛んな高校に進むと、音大を出たばかりの若き熱血指導者からあらゆることを教わり、師と仰ぐようになって強い影響を受けた。同時に音大を目指す先輩の音色に憧れホルンに転向。一方で演奏会の企画や構成、ホールとの打ち合わせなど裏方の役目を務めることもあり、演奏以外の仕事にも興味を持ち始めた。思えばこのころの経験が今の仕事に導いてくれたのだろう。

しかし、裕福でなかった家庭の事情もありひとまず断念、手堅く手に職をつけようと上京することを志す。

かりそめのカリスマ美容師

原宿で竹の子族やローラー族が全盛期の当時、東京にさえ行けば何かが得られると思った私は、人気職業として注目を浴びていたカリスマ美容師を目指し、最新技術を学ぶには東京でなくてはならぬと周囲を説き伏せ、美容学校に通いながら六本木の美容室で働き始めた。練習で使うウイッグ(首人形)を網棚から落として混雑する地下鉄車内を驚かせたり、芸能人の肌に触れドキドキ興奮する修業時代を経て、放送局やイベント会場などにヘアメイクで出入りすることも多くなっていった。やがて、小規模なヘアショーでスタッフが少ないときは率先して舞台裏方を手伝いながら、裏方仕事につきたい気持ちが強くなって美容師を辞めてしまう。

具体的な目標はなく漠然としていたが、アルバイトと住居も転々としながら、たまたま名古屋に来て、今の職場である名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)のアルバイト募集を知った。

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名古屋市音楽プラザ

運がよけりゃ

1988年4月、名フィルのステージ・マネージャー(ステマネ)のアシスタントに応募した7人の中から、偶然にも当時のステマネと誕生日が同じだった私は、翌日から働けると答えただけで採用された。実力ではなく運がよかっただけで夢が近づいてきた。

ステマネという仕事の知識はまったくなかった。楽団のステマネは、舞台設営、本番進行だけでなく、楽器の管理と準備、アルバイトや運送の手配、主催者や会場との打ち合わせなど、舞台裏のあらゆる雑用までを担う裏方のボスだ。私はボスの指示に従い、コントラバスや打楽器、ハープなどの大型楽器をエレベーターのない練習場の1階から3階まで階段で上げ下ろし、楽器や椅子、譜面台を並べ、空き時間には指揮者や共演者へのお茶出しや、練習場の電話番も務めながらこの仕事の魅力に惹かれていった。

その年、名フィルは初の海外ツアーを控えていた。パスポートを持ったこともなかった私が、唯一の楽器スタッフとして参加できるチャンスに恵まれ、8月末にはパリに向け飛び立った。世間はバブル景気に浮かれていたが、ツアーでの日給は国内の仕事と同じ1日5千円だった。お金はなかったが気分はバブリー、この経験がこの仕事を頑張ろうと思う契機となった。そして、翌年春には先輩ステマネが退団されることになり、自然と任されるままその後釜につくことになった。

デキる男ではなかったが、運がよかっただけで夢が現実となった。

時代は昭和から平成へと移り、名フィルは固定の練習場を失って、毎日違う会場を彷徨う日々を過ごしていた。演奏者は毎回環境が変わって大変だったが、私はひたすらオーケストラに立ち合い、演奏者や指揮者からの叱咤、助言を糧としながら次の仕事に反映させていくことが楽しかった。

もちろん、ステマネとなった最初のころは失敗もあった。本番転換でソロピアノの蓋を開け忘れたり、指揮者に指揮棒を渡し忘れて舞台に送り出したこともある。客席で演奏するバンダ(舞台以外での演奏)の譜面灯を、演奏途中に誤って消してしまい奏者から怒鳴られたこともあった。また、オーケストラは指揮者と楽譜を交互に見るため眩しい照明を嫌がる。昔のホールスタッフには職人気質が多く、ワザと眩しい照明をセッティングされ、それを事前に指摘できるかどうかで一人前として認められるというような試練も受けた。そんなことをクリアしながら、演奏者や指揮者からの信頼も徐々に得られるようになり、仕事に誇りと自信を持てるようになった。

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最近の演奏会から
第450回定期演奏会(2017年10月6日@日本特殊陶業市民会館)
©名古屋フィルハーモニー交響楽団(撮影:中川幸作)

アルバイトから嘱託を経て正規職員に採用され、職場結婚で伴侶も得た。92年に愛知県芸術劇場が開館、素晴らしい音響のコンサートホールで演奏できることがうれしくて堪らなかった。楽団創立30周年の96年末には、念願だった楽団拠点となる名古屋市音楽プラザが完成し、入団して初めて練習場と楽器庫と楽譜庫、事務局全員のデスクが揃った。パソコンが導入され、それまで電話とFAXしかなかった通信手段もメールに移行し、事務局の仕事は劇的に変化していった。

楽団事務局にはステマネのほか、楽譜担当(ライブラリアン)、企画制作、楽員出番調整管理等の演奏現場に近い職種のほか、広報宣伝、チケット販売や会員管理、協賛等の営業、一般的な会計を含む楽団総務などの部門がある。

97年頃から企画制作も兼任するようになった私は、オーケストラの敷居を低くし、より身近に親しんでもらおうと始めたボブ佐久間とのポップスオーケストラの主担当として積極的に取り組んだ。ボブさんとプログラムを相談するほか、チラシやプログラム制作も一括して務めるなど、全体を把握するプロデューサー経験ができたことはその後に大きく役立った。名フィルを愛したボブさんの作編曲作品はいずれも素晴らしいが、5年前に一定の成果があったとしてその活動を終え、今や膨大な量の楽譜が演奏されないまま眠っていることが残念だ。

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オーケストラと友に音楽祭2015 ポップスコンサート(2015年5月5日 @飯田文化会館)
©名古屋フィルハーモニー交響楽団(撮影:中川幸作)

99年からは営業に配置転換となったが、企画制作の一部は兼務し、協賛金や助成金の確保に奔走しながら、中国・韓国・ベトナムの若手演奏者や音大生を招いた音楽による国際交流事業『アジア21世紀オーケストラ‣プロジェクト』を制作。各国を協力要請のため訪問したこともあって思い出深い。毎年25名程を招いたが、今や各国のプロオケで活躍しているメンバーも多い。レッスンや合同でのアンサンブルやオーケストラのコンサート等、楽員達の理解と協力を得て、聴衆へのアピール度も高くとても意義ある事業になったが、予算の都合で4年間だけの開催で終了せざるをえなかった。

08年まで20年間にわたり『アフィニス夏の音楽祭』が開催されていた長野県飯田市では、市民とプロオケが共同してつくる新たな音楽祭を計画。企画段階から私も参画し、09年には『オーケストラと友に音楽祭』としてスタートさせた。飯田の皆さんの熱意によって大成功となった初回から一緒になって育んできた音楽祭は、来年10回目を迎えるまで大きく成長した。

思い返せば

12年からは再び演奏現場に戻って統括する役目を担っているが、音楽の専門教育も受けていない私が、オーケストラという特殊な音楽家集団の中で、よくもまあ30年も務めてこれたものだと感慨深い。これも楽員をはじめとする音楽家や仕事仲間、側面からご支援いただいている多くの皆さんの叱咤激励のおかげと感謝している。

静岡の芝整備さんが語った「選手が安心して練習や試合に臨めるように整える仕事」同様、楽器を持たずシンフォニーを奏でる我々の仕事も「演奏者が安心して演奏に臨めるように環境を整える」ことである。

言うは易く行うは難し。

聴衆からの拍手はステージの音楽家たちへのものだが、我ら裏方もその一部は自分たちへのものと誇りに思い、限られた残りのオケ裏人生を、演奏者ができるだけ音楽に集中できる環境整備に務め、演奏面では高い評価を得られるようになった日本のオーケストラがさらに飛躍することを願う。

(2017年10月17日)

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次回執筆者

公益財団法人東京交響楽団 事務局 桐原美砂さん

バトンタッチメッセージ

オーケストラの事務局にはさまざまな仕事があり、いろんな人が働いています。音楽家と一番近くで仕事をするのがステージマネジャーとライブラリアンでしょうか。ヤマゲンにも沢山の音楽家エピソードが山盛りになっているはずですが、触れられていませんね。残念。

ステージマネジャーの仕事は過酷です。演奏旅行などのときには夜中、楽器車(4tから11tくらいのトラック、楽器車についても語り切れないほどのエピソードが)を走らせて、ホールに一番に(ホールの開錠を今か今かと待って)入り、楽員が楽屋へスムーズに入れるよう案内図を用意し、楽屋割をし、等々、楽器はもちろん、ステージ&バックステージを動かしている重要なパートです。ステージ図面、ヤマダイ、譜面台、照明さん、音響さん、ピアノが入れば調律師さんもやって来ます。どこにどう配置すればステージに安全に楽器が収まり、いい音が出せるのか、指揮者の希望も叶えつつ、実現させるのです。正に職人技。撤収の素早さもすごいです。

日本フィルハーモニー交響楽団

こちらでは日本フィルのある日のサントリーホール公演で「音が出る瞬間」まで見ていただくことができます。おもしろいのでぜひご覧ください。(演奏曲は、そろそろこの季節ですね。)

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舞台図面
名古屋フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏会
オルフ:世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』

舞台はすべてそうだと思いますが、オーケストラ・コンサートが無事に開演し、終演し、撤収するということは、1回1回が奇跡のように巧く運ばないと叶いません。だからこそ、のライブ・コンサート。このおもしろさを会場で一人でも多くの方に体感していただきたいと願っています。

しかし、願っているだけでは伝わらないのですが、「伝える」ことの困難なことは並大抵ではありません。コンサート会場から出て、お客様のもとへ音楽を届けるアウトリーチ活動は、オーケストラを伝えることもさることながら、音楽の力をわかち合う場へと進化しています。次回はこうした活動をたっぷりとお書きいただこうと、東京交響楽団の桐原美砂さんにご登場いただきます。

(公益社団法人日本オーケストラ連盟 名倉真紀)

楽器を持たずシンフォニーを奏でる、オーケストラ事務局の人々 目次

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オーケストラの事務局

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