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世界をめぐるチベットの美術

― アジアからニューヨーク、欧州そして日本 ―


 日本人が観光客として、あるいは転勤留学などで初めてアジアの仏教国を訪れた時、仏教文化の違いにあらためて驚くという話は珍しくない。スリランカやタイなど南方仏教(上座仏教)の国々の場合、中国を経て日本に伝わった北方仏教(大乗仏教)との教義上の違いに加え、異なる気候風土の中で1300年以上にわたりそれぞれ独自の発展を経てきたため、人々の日常の信仰・儀礼のあり方から寺院での祭祀にいたるまで日本人の目には非常にエキゾティックに映る。

 それでは日本に伝わった仏教の源流といえるチベット仏教はどうか。大乗(マハヤーナ)仏教の基本的な共通点(自らの成仏を求めるにあたり、まず苦しみにある一切衆生を救いたいという菩薩心を起こすことから始める、など)は日本人にも自然に受け入れられる。また、チベット寺院の壁面を飾る大小の掛軸「タンカ」の絵柄の多くは釈迦の姿や曼荼羅図。彫像にも阿弥陀如来や菩薩、観音など日本の仏教美術でも馴染み深い題材が多い。

 その一方、予備知識なしにチベット文化圏を訪れた日本人にとっては非常な驚きの原因になる要素もある。たとえば、日本の寺院で見られる明王像などよりはるかに激しい形相を、派手な原色で彫像や壁画に表現される憤怒尊の異様な迫力。またヒンドゥー教と混交した後期密教の伝統による、男性原理と女性原理の象徴としての尊格の性的交合を描く歓喜仏の生々しさは、初めて目にすると衝撃的かもしれない。

 筆者がかつて何度も訪れたブータンは、世界に唯一残るチベット仏教を国教とする独立国だ。ブータンの寺院や僧院への初めての訪問は、チベット仏教についての常識の乏しい筆者にとって、まさに上記のような安堵と驚きが連続する刺激的な体験であった。

 もうひとつ、しばらくしてから気づいたことは、ブータンにはどうも「歴史に残る高名な仏師・仏画家」といった存在がいないらしい、ということだった。怪訝に思ったこのことへの答えは、チベット仏教史・ブータン史の専門家でブータンに長く住んだ今枝由郎氏の著書にあった。

「日本では古くは止利、鎌倉時代には運慶、快慶といった仏師が知られている。そして、仏像・仏画は、いつもその作者が問題になる。ところが、ブータンでは仏像・仏画の作者を云々することはけっしてない。「国宝」級の作品も、すべて作者知らずである。それは、人間の手になる造形としての仏像・仏画は問題にせず、そこに表されている仏の本質であるご加護、ご利益だけを問題にしているからであろう」(今枝由郎『ブータンに魅せられて』岩波新書、63-64ページ)

 審美眼を重んじる日本人ならではの感性も手伝って、長年の間に仏画や仏像が信仰の対象から「拝観」「鑑賞」の対象としての仏教美術になった今日、仏画や仏像に接する時の「拝む」という心を見つめ直すことが大切だ、と今枝氏はいう。この国の精神的なルーツのひとつとして、信仰の有無にかかわらず日本人が身近に感じる仏教を、われわれは実はあまりよく知らないということかもしれない。

ニューヨーク、チベット仏教美術の殿堂、ルービン美術館

 そのような歴史を認識した上で、それでも「審美」を通して仏教を探求したいという日本人が多いことは、2009年春、上野の国立博物館で開かれた奈良興福寺創建1300年を記念する展覧会が連日満員の大人気となり、8世紀の阿修羅立像が21世紀のスーパースター(失礼)になったことからも明らかだ。日本の仏教美術愛好家には、国内各地にも近隣のアジア諸国にも、訪れたい寺院や宗教法人関連の美術館などがたくさんあることだろう。そんなリストにぜひ加えていただきたい場所が、ニューヨークにある。

 マンハッタン島の南、チェルシー地区にあるルービン美術館(Rubin Museum of Art=RMA)は、「ヒマラヤ地域の美術の専門館」というユニークな目的で2004年10月にオープンした。医療ビジネスなどで財を築いたドナルド・ルービン氏とシェリー夫人が長年、趣味で買い集めてきたヒマラヤ山脈周辺の諸国・諸文化の宗教美術や伝統織物などを収蔵展示するために、巨額の私財を投じて創立された施設である。チベット、中国、インド、パキスタン、ネパールやブータンが主にカバーされる国々で、仏教以外の宗教文物も含まれるが、2000点を上回るコレクションの大多数はチベット仏教に関わりあるものだ。収蔵物の製作年代は紀元2世紀から近世まで広い時代にわたり、ヒマラヤ地域と歴史的に深い交流のあるペルシャや中央アジア、モンゴル、ミャンマーからの文物もある。

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マンハッタンの7番街と17丁目の角にあるルービン美術館(Rubin Museum of Art)。高級服飾店「バーニーズ・ニューヨーク」の本店だったが1998年、経営難で売りに出された。偶然通りかかったRMA創立者のルービン夫妻がその内装に一目惚れ。2千2百万ドルで購入、6階建ての美術館に改装して2004年10月にオープンした。(筆者撮影)

 「この種のコレクションとしては欧米で並ぶもののない」と自負するRMAの特徴は、美術的、宗教的に深い意味と価値を持つ収蔵物を単にミュージアムの手法で展示するだけでなく、仏教とそれ以外の思想や文化との比較や考察を鑑賞者にうながす多彩なプログラムを提供していることだ。2009年10月から2010年初めまで開催された企画展「C.G.ユングのレッドブック」は、心理学者ユングの思想に大きな影響を与えた仏教のマンダラをめぐって、過去から現在までのマンダラ作品の比較展示やさまざまの分野の専門家・アーティストらによるトークや対話で構成される、きわめてダイナミックなものであった。また、2010年前半の企画展「Remember That You Will Die」では、仏教と欧州キリスト教における、美しく恐ろしいさまざまな死のアート表現を比較するという刺激的な展示が話題を呼んだ。

 時には美術館を飛び出すアクションも企画される。2008年9月から開催された「Dragon's Gift」展は、ブータン各地の寺院や僧院が所蔵するタンカ、木彫、ブロンズ像などの仏教美術90点ほどが、初めてブータン国外で公開されることで注目を集めた。この展覧会そのものはハワイのホノルル美術館(The Honolulu Academy of Arts)が企画してアメリカと欧州各地での展示が実現したのだが、ニューヨーク展の開催にあたってRMAはブータンから10数人の僧侶を招いた。チベット仏教の祭礼になくてはならない、仏教説話をダイナミックに表現する仮面舞踊のパフォーマンスを、ニューヨーク市内の広場や公園、大学キャンパスなどの公共スペースを舞台に1週間にわたり連日上演したのだ。チベット式の長いホルンや太鼓が奏でる賑やかな楽曲が流れる中、カラフルな衣装と仮面を身にまとった僧侶たちが目の回りそうなスピンや激しいジャンプの連続する伝統舞踏を繰り広げると、どこでも大きな人垣ができた。

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2008年9月、RMAでのブータン仏教美術展「Dragon's Gift」のオープンに合わせ、ニューヨーク市内のあちこちで上演されたブータン人僧侶による仮面舞踏のパフォーマンス。写真はマンハッタンの高層ビル街を背景に憤怒尊の悪魔祓いの舞い。チベット文化圏では仏教の大祭で必ず上演される。(筆者撮影)
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マンハッタン・イーストリバーの船着き場で。どこでも多くの人が立ち止まり、僧侶たちの激しい動きに見入った。この他、コロンビア大学の構内、裁判所前、チャイナタウンの公園、自由の女神像の下など、ニューヨーク市内のあちこちで1週間にわたってパフォーマンス。それぞれの現場ではRMA のキュレーターがパフォーマンスの背景や内容について、簡潔で的確な説明をしていた。(筆者撮影)
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2008年秋、RMA で開かれた「Dragon's Gift」展の会場で、ブータン各地の寺院や僧院が所蔵するタンカや仏像を見る来場者。いずれの展示物も、ブータン国外へ出すことが許可されたのは初めてだった。(筆者撮影)
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ブータンは九州より少し大きいくらいの国土だが、峻険な山地におおわれて交通はきわめて不便。そのため、この会場に並べられた90点ほどの展示物すべてを実際に拝観したことのあるブータン人は、ほとんどいない。(筆者撮影)

世界に広がるチベット美術の連鎖

 RMAはチベット仏教やヒマラヤ美術の枠組みをはみ出すコンテンポラリーなイベントにも積極的で、年間150本の映画上映や毎週金曜日のライブ・ジャズという催しはニューヨークのフィルム、ミュージックシーンに定着、RMA本来の性格からは限界もある来場者の層を広げることに役立っている。ライブ・ジャズはマンハッタンのハーレム地区にあるナショナル・ジャズ博物館とのコラボレーションによるもので、毎回プレーヤーは1曲だけ「RMAの展示作品に触発された」即興作品を演奏に含むことになっている。

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RMAで2007年に開かれた、伊津建郎によるブータンの人々のポートレート写真展「The Sacred Within」の展示会場。ニューヨークで商業写真家として活躍しながら、世界中の遺跡をめぐって「聖なる場所」の撮影を長年続けてきた伊津が、初めて挑んだ人物撮影として注目された。プラチナプリントの豊かな諧調に驚く来場者が多かった。(筆者撮影)

 2010年6月から4か月間、RMAとしては初めて、現代のチベット系アーティストたちの作品を集めた「Tradition Transformed」展を企画開催した。とり上げられたのはチベット出身者とインドやネパール生まれ、男女の作家9人で年齢は30代から50代後半まで。現在の活動ベースもチベットやインド、アメリカ、ヨーロッパとさまざまだ。一見伝統的なタンカのようだが、近寄って見ると現代のキッチュな図像が散りばめられているような絵画からセルフポートレート写真作品まで、メディアも表現手法も多様だ。チベット人は過去半世紀チベット高原の父祖の地を中国に併合支配され、10数万人ともいわれる亡命者が世界中に散らばっているが、この展覧会に出品している作家の多くも亡命一世や二世という出自を持つ。

 そのひとり、ペマ・リンジンさんは1966年チベット生まれ。幼くして家族とともに亡命、ダライ・ラマ14世をいただくチベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラで育った。13歳からダラムサラで伝統的なタンカ画法を学び、その後独学でルネサンス、印象派から抽象までの西洋絵画の伝統を身につけ、マンガの技法も試みたという。さらに転機が訪れたのは1995年。ダラムサラで同じ師匠に伝統画法を学んだ長野県の仏画師、宮坂宥明さんに招かれて日本に暮らす機会を得たのだ。宮坂さんの実家である岡谷市の真言宗・照光寺で「六道輪廻図」や「仏伝」などの大作壁画に宮坂さんとともに絵筆をふるう日々の合間に、日本美術の伝統を目に焼き付けることにつとめた。

 「東京国立博物館など各地の美術館に通いました。狩野派や長谷川等伯の作品など、大好きな日本画がたくさんあります・・・カンディンスキーやクリムトも好きだけど」とペマさんは笑う。「日本画の技術や表現法にはわれわれの伝統技術と異なる部分もあるが、岩絵具や紙など材料についての考え方が似ている。そして何より、作家の心の奥底に同じ仏教の考え方が流れているのが大きいと思う」

 ペマさんは2002年からはドイツに滞在して製作を続けながら、欧州美術の伝統をさらに吸収したという。RMAが開館した翌年の2005年秋から3年間、ニューヨークに移住していたペマさんはRMAの「常駐仏画師」として、展示スペースの一隅に設営したアトリエで製作しながら来場者の質問に気軽に答えて人気を集める。RMAで何点かの大作を完成させた後、ペマさんは2007年に「New York Tibetan Art Studio」という私塾を結成、アマチュア美術家を含む何人かの生徒に伝統絵画の技法を伝授する一方、抽象画にも取り組み始めた。複雑な波が絡み合うような形はオリジナルだが、構成要素をよく見るとタンカや壁画に昔から描かれる図象や文様、色合いが多用されている。「Tradition Transformed」展に招待されたのをきっかけに、2011年1月にはニューヨーク市内の有名画廊での個展も決まった。

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チベット伝統絵画の技法で抽象画に挑戦するペマ・リンジンさん。ニューヨークの他にも日本やドイツなど海外経験が豊富だ。(Tradition Transformed展のカタログより)

 「チベットの伝統絵画をよりよい形で将来の世代に継承することが僕のゴールなのですが、しばらくは新作の製作に追われるだけの生活になりそう」とペマさんは苦笑いする。

 20世紀の半ば、祖国を蹂躙され亡命を強いられることになった数多くのチベット人の運命は悲しい。しかしペマさんなど何人かのアーティストたちにとっては、物理的な国土という空間から解き放たれて世界の多様な芸術表現や技術を吸収することで、あくまでチベット的な伝統をベースとしながら新たな表現を見いだす契機になったのは間違いない。

(2010年10月28日)

おすすめ!

ルービン美術館(Rubin Museum of Art)
小さい施設で歴史も浅いが、きわめて充実したウェブサイトに感心させられる。

米国チベット・ハウス
ルービン美術館から徒歩3分くらいのところにあるチベット文化の研究広報センター。ダライ・ラマ14世の要請にこたえ、1987年にここを創立したメンバーは、コロンビア大学のロバート・サーマン教授(女優のユマ・サーマンのお父さん)、俳優のリチャード・ギア、作曲家のフィリップ・グラスら。

米国ブータン基金
ワシントンに本部を置く、ブータンの社会開発協力NGO。教育、医療や自然保護などの分野で活動している。サイト内にはブータンについての簡潔でわかりやすい説明も。

クエンセル
ブータンの新聞。英語と、ブータンの国語ゾンカ語、ネパール語で発行される。ウェブサイトは英語。

BBS(ブータン国営放送)
テレビとラジオを国内で放送。短波ラジオ放送も。

GNH(国民総幸福量)
最近、ブータンといえば「GNH」というキーワードが出てくることが多いけれど、さて「GNH」って? と思った方は、まずこちらから。ブータンのこともチベットのことも、google、bing などの検索でたくさんのサイトが見つかります。

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

今を去る20+年前、NYの芸術学院「ニュースクール」でモダンダンス教室の生徒同士という、ドラマチック(汗)な出会いでしたね。その後、お互いの配偶者も一緒に食事やおしゃべりを楽しむ機会が何度もありました。月刊誌の創刊編集長として手腕をふるっていたと思ったら、ふたたび取材・執筆者となった操さんにNYで再会。今は2冊目の小説にとりかかりつつ、自ら作詞作曲の音楽アルバム・プロジェクトに加えて「a major motion picture」も企画中と聞くと、いまさらながらそのパワフルなマルチタレントぶりに脱帽です。
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