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アートのことを考えながら「ダ・ヴィンチ・コード」を読み始めたら、百人一首を思い出した。

 ジャンケンで負け続け、かるたクラブの部長になったのは小学校6年のことだった。当時私は百人一首で無敵を誇っていた。とはいえ、歌の中身も百人一首自体の意味も知らず、音で覚えた文字の羅列と、ボウズとか姫とか、カラフルな台座に座る人、というビジュアルを知っているだけで、友達とも祖母とも遊べる、ただのゲームに過ぎなかった。その百人一首に、違った角度からおもしろさを覚えたのは高校から大学にかけてである。先頃世界中で話題をさらった「ダ・ヴィンチ・コード」では、絵や言葉や形の中に埋め込まれたさまざまなメッセージが物語の鍵となっている。実はこれと同じように、百人一首にも多くのナゾや秘密が埋め込まれているらしく、さまざまな説が発表されている。収録された歌に付けられた番号を並べていくと魔法陣になるとか、10枚×10枚で連句方式に歌を並べると、月の句を境に現実の世界と情念の世界とに分かれ、現実の世界には水無瀬の絵地図が浮かび上がるとか。また、百人一首の中の柿本人麻呂の歌にはあるメッセージが込められているとか、それが、同じく百人一首に収められ、彼と同一人物だと言われる猿丸太夫の歌や、手習いの基本である「いろは歌」等までリンクすることを知るにつけ、ワクワクしたものだ。考えてみれば、三十一文字【みそひともじ】とその集合体が、何百年の時空を超えてこんなにも深いナゾと魅力を提供してやまないことには、驚くばかりだ。秘めたメッセージをこの歌集に織り込むために、藤原定家は一体どれほどの時間とエネルギーを費やしたのだろう。テレビにもインターネットにも携帯電話にも情報があふれかえる現代では雑音が多すぎて、静かな執念を注ぎこむことに没頭するのは、もはや難しいのではないだろうか。

 と、前置きが長くなった。なぜこんな話を思い出したかというと、この原稿を書くにあたり、改めてアートマネジメントとは何か、自分にとってアートとは何かを考えてみたら、あれこれ連想するうちに百人一首にたどり着いたからである。つきつめれば一首の歌よりも、一冊の歌集よりも、その本質はそこに込められた、秘めたる"思い"であり、それをどうにか表現しようとした執念だろう。何か伝えたいこと、表したいイメージ。その"思い"を表すための飽くなきチャレンジがアートの本質の一部を成しているのではないかと思う。細かい作業を延々と繰り返して描く絵、巨大な石を粛々と削り続けた彫刻、緻密な計算による動きを執拗に追求したパフォーマンス、人が見たらばかばかしい動きを大まじめに繰り返すダンス、何十年もかけて磨いた腕を100人の人が同時に奏でる音楽。あきれるほどの"思い"と"時間"とが結実した作品を前にすると、そのアートのパワーと深さに、とても嬉しくなる。しかし、そんな"思い"と"時間"を、表現する行為に没頭するなど、世の中の経済活動からみたら少々ヘンだ。だからこそ、それが許される環境を作るアートマネジメントの仕事が必要なのだと思う。アートマネジメント、と一口に言っても、その職種は多様だが、そのうち最も地味で、成果も測りにくく、儲からなそうなものが、アートの基盤を整備する仕事だ。そんなことをわざわざやろうというのも、少々ヘンなのかも知れないが、私は「芸術家のくすり箱」という、芸術家のヘルスケアをサポートすることで芸術基盤を整備する仕事を始めた。これは、アーティストの健康をサポートすることで、アーティストが誇りをもって仕事に集中できる環境を整備したい、人々を元気にしたい、との思いで生まれた団体である。

第1回ヘルスケアセミナーより、ワークショップの一コマ。1日で 約100名のアーティストがセミナーに参加した。©I.Yoshioka

同セミナーの健康診断コーナー。雇用関係の無いアーティストは健康診断を長らく受けていない人も多い。©I.Yoshioka

健康診断コーナーでは、オプションで皮脂厚・筋厚、アラインメント、関節の可動域など、普段はなかなか知る機会の無い側面も無料で計測。©I.Yoshioka


 いい仕事ですね、と人は言うが、その実体は、正直なところ大変だ。人を助けたいと思いながら、実は人に助けられてばかりの毎日である。たくさんの事務仕事。幅広い専門知識。深いシンパシー。ありがたい寄付。おもしろいアイデア。あたたかい言葉。それらに支えられて、基盤整備の地味な仕事はようやく呼吸を続けられる。

 これをやり続ける原動力は、"思い"の結晶であるアートのパワーと、それを創り出すアーティストに対する敬意に他ならない。そのためだったら一肌脱ごう、と思わせてくれるアートに出会ったら、百の理屈などぶっ飛んで、それはもう幸せなことだ。だから、私たちの最初のヘルスケア助成対象者であった「水と油」のじゅんじゅんさんが、腰のケガから復帰した舞台と、その舞台をたくさんの方が喜ぶ様子をみた時は、本当に嬉しかった。

ヘルスケア助成第1号の「水と油」じゅんじゅんさん。©青木司

じゅんじゅんさんの身体機能計測の様子。3か月毎にお茶の水女子大学の動作学研究室の協力により計測を続け、変化を記録した。


 私たちの思いと仕事がアーティストを勇気づけ、彼らが思いと時間をたっぷりつぎ込んだアートが人々の心を揺さぶり、そのアートに勇気づけられた人々が、今度はアートの基盤を支えていく。そうした「思い」の循環をつくることが、次の何百年の時空を超えたアートを残していく鍵なのだと思う。

2006年7月「Dance Wellness Day」のパネルディスカッション。海外でプロ・ダンサーのキャリアを持つS・ O・L・Oの講師陣をパネリストに迎え、海外の進んだヘルスケア事情をきいた。

2006年5月のテーピング講座は、少人数制の丁寧な指導が好評だった。個別健康相談も同時開催。


 ところで、バトンを回してくれた柏木さん。当時の新任シロウト編集者を覚えていてくださって、ありがとうございました。あの時「魔法使いの弟子」として、偉大な師の亡き後、自分のやり方を模索していた柏木さんこそ、今は本物の魔法使いですね。たくさんの子どもたちに夢を運ぶお仕事ぶり、頼もしい限りです。大福ならおいしいお店、知っていますので、今度差し入れにお持ちしましょう。大きいので覚悟してくださいね。

(2006年9月22日)

今後の予定

■ 2006年9-10月
ダンス障害と予防法 連続セミナー開催中

■ 2007年春頃
法人化

■ 2007年3月10日(土)
第2回ヘルスケアセミナー開催@芸能花伝舎

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次回執筆者

バトンタッチメッセージ

伝統工芸から現代美術までのメッカであり、オーケストラとバレエ団との2つの団体と芸術提携を結んでいる唯一の自治体、東京都江東区。そこに軽やかなアイデアと行動力を備えた森さんがいらっしゃるのは、きっと偶然ではないはず。下町の兄貴(実はフィクサー)の活躍ぶりを楽しみにしています。
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