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美術館で学ぶということ

リレー形式で美術館の現場で活躍する諸氏によって学芸員の仕事像が多面的に浮かび上がってきたところでフリーランスの立場から教育普及について語ることにプレッシャーを感じながらも、今考えていることを断片的にでも皆さまと共有できればと思う。

まずは教育普及という語とその活動について確認しておきたい。日本の美術館が「普及」「教育」活動に積極的に取り組むようになったのは、1970年代後半である。美術館建設ラッシュが始まったこのタイミングで、国内外の先行館の活動を受けコレクションや知財の活用が検討されたのは極めて自然な流れといえるだろう。21世紀に入ると教育普及活動への注力は進み専門スタッフが配置されるようになったが、ここでは文字数の関係上具体的な取り組みへの言及は避けざるをえないほど各館の活動は拡がりをみせている。

そうした中活動の根幹を成す言葉の捉え直しがされつつあることが興味深い。「教育」である。近年educationという語に代わり、learningが使われることが増えてきている。前者が美術館からユーザーに対して鑑賞プログラムや制作の機会を「提供」するのに対し、後者はそれらのプログラムも含め彼らの主体的な学びの機会となると同時にそこにかかわるすべての人が学び合うことを企図している。これは美術館における教育/学習活動の新たな指標へとつながる動向だと思っている。私自身自らの肩書きや活動について説明する際「教育」や「エデュケーター」という語に、もっとも私個人の活動形態はこれらの範疇に収まるものが多いかもしれないが、居心地の悪さを感じてきた。個人の主体的な学びとそこで起こるコミュニケーションを通じた学び合いを支える存在でありたいと思う。

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さて、美術館における学習の主体について語るとき、来館者を筆頭とすることには異論はないだろう。属性も来館形態も異にする彼らの背景には多種多様な目的や期待がある(期待を持たないということも含め)が、美術館体験が学びの場となるためにはそこに何らかの「対話」の介在が必要だと私は考えている。作品をはじめ美術館では言語に依拠しないコミュニケーションが多数成立しうるが、それらも含めた「対話」をいかに起こすかが教育普及担当者の腕のみせどころではないか。作品との内的対話も含めて。

余談になるかもしれないが、「対話型鑑賞」をご存じだろうか。一方的な解説を行うギャラリートークやレクチャーとは異なり、参加者からの発話を基軸に作品をよくみる鑑賞プログラムのことで、私自身このスタイルを状況に応じて使っている。「型」という語がネックになるのか日本ではその本質から少し外れたところで鑑賞方法としてその是非を論じられることが多いが、作法としての対話ではなくコミュニケーションの媒体として考えればトークプログラム のみならずどんな学びの場にも何かしらの対話は生成するものとしてとらえたい。

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美術館をモノ(作品)やコト(展覧会、学習体験)を生成する場だとするならば、そこでのプレーヤーは他ならぬヒトであり、その内訳は各種職員、現場運営スタッフ、作家、来館者、付属および近隣施設スタッフなど多岐に渡る。

ここでは教育普及の視点から欠かせない存在としてボランティアについて少し触れたい。各種プログラムの担い手などといった役割を通じて美術館と来館者の橋渡し役としての彼らの活動は、受け入れが広まった2000年代から拡がりをみせる一方だったが、今や一つの転換期を迎えているように思われる。ボランティアの活動の蓄積は美術館の財産となると同時に、彼らの持続的で自立した活動のための手段となるが、その活動の質の担保については美術館側がある程度コントロールすべき点もあるだろう。マンパワーの蓄えは互いの学び合いを助けつつも時を経ることでその関係性の硬直につながることも否定できない。独自性を持ったプログラムを継続しつつ新たな事業に取り組むためにもあらためて各館のミッションと照らし合わせながら学習教育活動の方向性や戦略の再検討が必要な時期が来たのだと思う。前述の教育という語の精査と同様に。

あらためて2030年に、美術館の教育/学習活動には何が起こっているのだろうか。これらが美術館のミッションに取り入れられてから半世紀、先述したようにその活動の何度目かの精査の時代が現在だとしたら、2030年はまた次の成熟期あるいは検討の時代を迎えるころではないかと推測する。リレー第3回において触れられた「明日は今日よりよくなっている」近代主義的思想を巡る論点は多くの示唆を含むが、それでも今なお教育普及現場では一定の起動力を持つ考え方だと思う。つまり危機と混沌の中でも可能性を見出そうとする意思こそが、教育/学習活動の動機づけになるのではないか。無論クリティカルな視点を持ち合わせているというのが前提条件とはなるが。

それにはやはり多様な対話が起こる場をつくり、対話を巻き起こすことこそが「これからの」教育普及担当者を支える底力だと私は考えている。

(2019年2月15日)

バトンタッチメッセージ

さて、「資源、食糧、安全、環境を巡る展望を切実な課題とする現代社会において、歴史と表現を専門的に研究し、共有財産としていく美術館はどのような役割を果たしているのか」という私の問いかけから出発して、それぞれ美術館の仕事にかかわりながらも住む地域も働き方も異なる6名の執筆者によるリレーコラムがひと段落した。毎回提示される新しい視座に刺激を受けたと同時に、間違いなく時代の転換点が刻まれていたことにも驚く。それは植民地主義や戦争による略奪への反省と、人間を中心に置いた啓蒙主義以降の世界観の転換とも言えるものだ。ミュージアムとはまさにそれらを駆動させてきた装置に他ならないが、それが大きく変わるかもしれない。しかも大規模な自然災害と人災を経て、もはやそれは抽象的な理念ではなく、それぞれが考え、取り組んでいる実践の報告として読めた。学芸員の仕事とは、施設規模の大小にかかわらず、このような切実さを抱えながら、物を触り、人と対話を続けるものであると伝えることができたなら本望だ。

住友 文彦|アーツ前橋館長/東京藝術大学大学院准教授
(2019年2月25日)

2030年の美術館 目次

1
2030年の美術館
2
地方美術館で2030年を思い描く
3
成長しない美術館
4
2030年:保存修復の倫理エシクス
5
香港の視座バンテージ・ポイントから
6
美術館で学ぶということ
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