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成長しない美術館

「地上で文明を築くことは、また地球を汚染することだと、なぜ気がつかない人々がいるんだろう」

──忙しい傍ら、休憩がてら自宅で昔のアニメを見ることが多いこのごろだが、1985年放映の「機動戦士Zガンダム」のあるエピソードの中で、主人公カミーユ・ビダンが上記のようにつぶやくシーンがある。「ガンダム」の世界では、多くの人間が宇宙に浮かぶスペースコロニーに住んでいる。しかし実はそれは一種の棄民政策で、一部の特権エリートが地球に住んで、増えすぎた人口を宇宙に強制移民させている世界である。だから地球の汚染はそのエリートたちのひどい政治の結果なのである。

「Zガンダム」放映から30年以上が経過し、原子力発電の危険さを思い知った現代の世界は、クリーンエネルギーへの転換を試みようとするが、考えてみれば私自身が子どものころだった1970年代ですら、すでに「石油はあと数十年で枯渇する」と本気で喧伝されていた。エネルギー問題はこの40~50年間、喫緊の課題だったはずだがいまだ人類はその解決策を見いだせないままである。

なぜ「2030年の美術館」というお題でこんな話題を出したかといえば、結局のところ美術館の問題もエネルギー問題を避けて通れないのではないかと懸念するからである。

展覧会を開き、作品を収集すれば輸送に、作品を保存しようとすれば空調に、確実に膨大なエネルギーが消費される。美術作品という文化財の保存と展示の背景に、今日的な課題が潜んでいる。

考えてみれば、作品によっては数千年のときを経て現代にまで伝わっていることは奇跡的だ。その作品は、大半の刻を、エネルギー消費のない状態で過ごしてきているのだから。しかし現在、適切な空調設備や保存施設を持たない美術館など考えられないだろう。確かに、こうした設備を持つことで、私たちは過去より遥かに高い確率で、文化財を未来に伝えることができていることだろう。だが、その前にエネルギー消費で環境が悪化しては元の木阿弥だ。そして大災害が来ればどんな美術館もひとたまりもない。さらにエネルギー資源が枯渇するとき、私たちは近代以前の生活を余儀なくされるかもしれない。もちろんそれは2030年にいきなりやって来るわけでないだろうが、しかし、3030年にはそうなっているかもしれない。「さすがに1000年も経てば人類の科学はもっと発展して、エネルギー問題もクリアして今より優れた美術館をつくっているのでは?」──しかしこれこそ、明日は今日よりよくなっている、という近代主義的な発想だろう。普段は現状を批判してやまない知的階級の人間ですら、なかなかこの近代主義史観から抜け出せない。

美術館を維持することは、地球を汚染することだと、なぜ気がつかない人がいるんだろう、という疑問に、正面から答えることのできる学芸員は存在するだろうか。このまま現状維持か、過去に戻ってしまうことがあり得ると予感してしまうのが現代の常識というものかもしれない。予算ひっ迫のせいで、収集も企画も行わない(行えない)美術館がだんだん増えてきてしまったが、ある意味そういった「成長しない美術館」は、意外にも時代の先陣を切っているのかもしれない、とは皮肉に過ぎるか。

(2018年12月4日)

2030年の美術館 目次

1
2030年の美術館
2
地方美術館で2030年を思い描く
3
成長しない美術館
4
2030年:保存修復の倫理エシクス
5
香港の視座バンテージ・ポイントから
6
美術館で学ぶということ
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