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地方美術館で2030年を思い描く

住友文彦さんからリレーコラムのお話をいただき、2030年、さて私が勤務する福島県立美術館はどのような風景の中に佇んでいるだろうかと思いを巡らせた。10年前、今の福島をまったく予想することができなかったことを考えると、10年以上先の絵を描くことに躊躇いがないわけではない。近いようで遠い。

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福島県立美術館

住友さんが美術市場のことを冒頭に書かれているので、私もまずはそこから。恥ずかしいことに、ここ10年以上、当館では作品を購入していない。収集活動は継続しているが、すべて寄贈に頼っている。美術市場が縁遠くなって久しい。美術市場のグローバル化、巨大化が進んでいるのかもしれないが、地方の一公立美術館にいてそれを実感できる瞬間は、残念なことにもまったくないといっていい。中央と地方の格差は震災前から感じてはいたものの、より一層広がっているという感覚がある。いや、地方の中にも格差はあって、一様に括ることはできないかもしれない。ここで格差とは、美術品購入費、施設運営費、あるいは展覧会の予算規模、集客、収入などの差を指す。評価の軸はお金であり数字。当然、大きい方がいい。しかし人口減少が進行する地方において、今は経済が回復傾向にあるとはいえ、長い目で見てこの課題を乗り越えるのは今後ますます難しくなるだろう。美術館や博物館という施設は、文化財の蓄積と保存という使命を担っている以上、本質的に巨大化していく運命にある。その中で、あえて小さくあること、縮小することの意味や価値を肯定的そして積極的に考えていくことができるだろうか。拡大と縮小、二つの軸を同時に視野に入れる必要に迫られていくだろう。

それはハードの面に限ったことではない。私たちは時に大きな声、大勢の声に押しつぶされそうになる。だから周りの空気を読み、自分を押し殺す。そして周囲に壁を張り巡らせていく。息苦しい社会だ。この風潮はSNSの普及によって助長されているような気がする。そういう時代だからこそ、小さな声に耳を傾けたい。

美術や音楽、そして文学の鑑賞は、個人的な行為。正解、不正解はない。どんな言葉もまずは受け入れられるべきである。その出発点に他者を招き入れることによって対話が生まれ、理解と深化が生じる。美術館は、そのような一つひとつ違う小さな声が響きあう場所でありたい。常に点数がつけられる学校という場ではできない活動、さまざまな障害や困難を抱えた人たち、あるいはこれから地方でも増えるであろう外国人との対話。異なった世界観、価値観を持った人たちに解放され、多様性が担保される場でありたい。小さな声、言葉にならない言葉を、美術館という場所を媒介にどれだけたくさん紡ぎ出すことができるだろうか。世界的に排他的な風潮が強まるなか、美術館の社会的な役割として重要になっていくに違いない。

地方で育まれてきた、そして今まさに生まれ出ようとしている創造的な活動を拾い上げ、紹介していくこともまた、引き続き地方美術館の大事な仕事であり続けるだろう。中央ではなかなか取り上げられない創作活動を地方の視点からきちんと評価することは、大きな声、大勢の声への批判的な視点となりえるからである。多様な地方文化の営みは、日本文化の豊かさ、厚みそのものとなる。

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美術館エントランスホール

しかしこれは、私の美術館像に過ぎない。美術館は私のものではない。地域の人々のものである。彼らがどんな美術館像を持っていて、美術館に何を期待しているのだろうか。震災直後、美術館は福島の地で本当に必要とされるだろうかと疑心暗鬼だった。確かに美術、文化は必要とされていたという実感はある。しかしその後も、この問いは常に私の脳裏から離れない。価値観の揺らぎの中で変化するものとしないものがある。それを見極めるのは学芸員の役目だろう。美術館は権威や制度を身に纏いがちであるが、周囲の声に耳を澄ませ、必要に応じて自らを修正し、脱皮を繰り返していくことになるだろう。その柔軟性の鍵は細部にあるように思う。

最後に文化財レスキューのことについて触れたい。福島第一原子力発電所の事故以降、文化庁の支援などを受け、旧警戒区域内の資料館等に保存されていた資料類を区域外に持ち出す作業は、現在ほぼ終了している。しかしこれで完了したわけではない。レスキューされた資料の今後の行く先をどうするのか、加えて次段階の個人所蔵資料のレスキューなど、新たな問題が浮上している。特に前者は返還先の環境が調わない以上、先に進めない。レスキュー活動がほぼ完了した岩手や宮城とそこが大きく異なる。今後この問題をどのように解決していったらいいか、引き続き国等のなんらかの支援を得るために模索中である。

美術館もまた地域の文化施設の一つであるということを、震災後実感している。美術館は博物館や資料館に比べて数も少なく、今回のレスキュー活動においてできることはそれほど多くはなかった。しかし緊急時に県内の文化施設、大学等の連携は重要である。幸い福島では、震災直前に「ふくしま歴史資料保存ネットワーク」がつくられており(美術館は入っていなかった)、それが活動の基盤になった。いつどんな災害に襲われるかわからない昨今、こうした地域の文化施設のネットワーク構築は、どの地域においても必要になるだろう。美術館がその一員として果たす役割は、決して小さくないと思う。

(2018年10月16日)

今後の予定

2019-20年に全国5箇所を巡回する「やなぎみわ 神話機械」展を準備中です。

2030年の美術館 目次

1
2030年の美術館
2
地方美術館で2030年を思い描く
3
成長しない美術館
4
2030年:保存修復の倫理エシクス
5
香港の視座バンテージ・ポイントから
6
美術館で学ぶということ
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