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アートをめぐる日々のあれこれ

【ふたつの「ナルニア国物語」】

 いきなりで恐縮だが、C.S.ルイスの傑作ファンタジー『ナルニア国物語』。映像化(実写)は不可能とまで言われたこの作品を、ディズニー社が高度な技術と資金力で映画化したのは記憶に新しいが、実はイギリスBBC放送も20年近く前に映像化していたらしい。そのBBC版をDVDで入手して観たナルニア・ファンの友人の話。「ディズニー版と比べると明らかにローテク(&低予算)でショボいんだけど、いい感じ。戦いのシーンとかは「迫真」とは正反対に、わざと「ごっこ」っぽくつくってあって、それがかえって印象的だった」。

 彼の話をききながら考えた。ファンタジー(とそのヴィジョン)は個々人の内にあって外からは見えないものだ。それを見えるようにしようとするとき、どういうアプローチをとるか?たぶん、BBC版はつくる側も観る側も、ある前提を共有している。ファンタジーを映像として表現するにしても、それは「ほのめかす」というかたちにならざるを得ないし、ゆえにそれを観る人も、自分の想像力を発動させて関わっていくのは当たり前...という前提。技術や資金の有無にも影響されるとは思うが、この前提は基本的に別の次元で息づいている気がする。表現することの謙虚さとか、人々の想像力に対する敬意のようなものが、そこにはあるような。

 というのがロマンチックな深読みでないことを確かめたいので、私もこの原稿を書き終えたら、ふたつの「ナルニア国物語」をゆっくり観るつもりだ。

【たった一度のジャンプ ― 小学校でのプログラム】

 さて、私が勤める世田谷美術館には、毎年、区立小学校の4年生と中学校の1年生が全員美術館に来る「鑑賞教室」という事業がある。小学生に対しては、彼らが来館する前にこちらが学校に出かけていって授業をする、「特別プログラム」というのも10年前からやっている。「特別プログラム」を企画・実施するのはインターンシップの学生たち。毎年いろんな専攻の人たちが来るので、いろんな授業が展開する。授業ではいろんなことが起こる。

区内の学校の子どもたちが来館する「鑑賞教室」。10年ほど前からは、ボランティアが案内をするようになった。


 6月、ダンス専攻のある学生が、作品のイメージを身体で表現するという授業を2つのクラスで行ったときのこと。最初のクラス、子どもたちは伸びやかに動き、楽しく時が過ぎる。次は対照的にいかにもシャイなクラス。妙に粛々と授業は進み、グループごとに発表する時間がきた。どのグループもおそるおそる発表するが、その中でも特に慎重なグループ、前に出てきても全員でボソボソボソボソ相談を続けている。1分、2分...まだかなあ...?授業者の学生(そして他の子どもたちや先生)は、しかし辛抱強く待ち続け、私は気を揉みつつビデオカメラを回し続けた。3分経過...緊張でこわばった表情の子どもたちはようやく円形に位置を取り、一瞬の静寂のあと、全員で、右回りに1回、ジャンプした。ぐるっ。

「鑑賞教室」に先立って、学校で行う「特別プログラム」。この10年で100例ほどの授業プランが生まれた。


 たったそれだけのこと、なのだが、そのジャンプが何と目に鮮やかだったことか。のびのびと屈託なく身体を「開放」する表現もあれば、紆余曲折の末、ギリギリのところで何とか自分を「解放」するような表現もある―あの子たちのジャンプにように。  それにしても、彼らを急かさず待っていた学生(内心かなり焦っていたらしいが)、子どもたちと先生にも拍手だ。そっと見守れる人たちがいてこそ、表現はおずおずと、でも確かに生まれてくる。こういうデリカシーを人のなかに育てるのが、アートに関わる機関や人間の、大事な役目じゃないだろうか。

【変人たちの居場所―ワークショップ「誰もいない美術館で」】

 展覧会の作品に接して感じたことを、踊ったり演じたり音を出したりして、つまりパフォーマンスを通して表現してみる、という2日間のワークショップ・シリーズを2年前からやっている。「誰もいない美術館で」という。2日目の夜、閉館して誰もいなくなった美術館で、展示室を"貸し切り"にして参加者が発表会をするので、こういう名前になった。シリーズ全体の舵を取るのはNPO法人演劇百貨店代表の柏木陽さん。加えて、毎回私のイチオシのアーティストをゲストによび、展覧会の内容や雰囲気を味わってもらいながら、2人でワークショップを進めてもらう。主な対象は中学生・高校生。

 中高生は一般に多忙だ。おまけに、このワークショップは何をするのか、ダンスなのか演劇なのか音楽なのかよくわからないせいか、参加者はいつも少なめで、企画者としては悩ましい。しかし常連の子たちはいて、片道2時間以上かけて毎回通ってくる子もいる。

ワークショップ・シリーズ「誰もいない美術館で」。さまざまな展覧会を舞台に、参加者が思い思いの表現を生み出す。写真は「瀧口修造 夢の漂流物」展にて(2005年2月)。ゲストは詩人・小説家・音楽家の飯田茂実さん。 [撮影:馬場菜穂]

ワークショップ・シリーズ「誰もいない美術館で」。大人の参加も少数ながらOKなので、ふだんはクロスしないような年齢層の人が一緒にパフォーマンスする。写真は「ゲント美術館名品展」にて(2005年7月)。ゲストはダンサー・振付家の上村なおかさん。 [撮影:馬場菜穂]


 この春、ワークショップの記録冊子[*1]を編集するにあたり、参加者の子たちの声をまずは載せたくて、みんなにメールしてみた。「友達に「"誰もいない美術館で"って何?」って訊かれたらどう答える?」。間髪入れずに返ってきた答えの一つは、「変人たちの居場所」。別の子はこう書いていた。「柏木さんっていう、かなりおもしろくて変な人が進行役をやってくれていて、柏木さんよりもっと変わったゲストの人たちがいろいろ仲間に参加してくれる」。

 ...なるほど、参加者も私たち企画・進行の人間も、みんな「変人」なのね(笑)。しかし考えてみれば、美術館なんてもともとマイナーな「変人」のたまり場にこそふさわしい場ではないか。おっと、こんなことを書くと、昨今の"親しみやすい美術館"(という名を借りた強迫的な集客増)の方向性と真っ向から衝突してしまうだろうか?いやいや、たぶん世の中には自覚してない変人がかなりたくさんいるはずだ。これを読んで下さっている貴方、いかがですか(笑)。そういう人たちが日々、または夜な夜な集結すれば、元気がないってよく言われる美術館業界だってもっとおもしろくなると、私は思うのだけど。

[註]
  1. ※記録冊子『アートとボクらが踊るとき ワークショップ"誰もいない美術館で"の記録』は、当館のミュージアムショップで販売中(1500円)。2005年のゲスト・アーティストは庄崎隆志(聾俳優)、上村なおか(ダンサー、振付家)、海沼正利(パーカッショニスト)、国本武春(浪曲師)など。高橋悠治の書き下ろしエッセイを収録。電話でも注文可。

    (2006年7月30日)

    今後の予定

    ■ 8/5(土) 展示室でのダンス・パフォーマンス「under the table, over the chair」
    出演:C.I.co.(勝部ちこ、鹿島聖子)
    ダンサー2人が「クリエイターズ―長大作、細谷巌、矢吹申彦」展の会場に出没、展示品のたくさんのいすとテーブルとともに戯れる、かも。

    ■ 8/26(土)・27(日) ワークショップ「誰もいない美術館で」vol.9
    ナビゲーター:柏木陽 ゲスト:「ポかリン記憶舎」明神慈
    デザイナー・長大作のいす&テーブルが並ぶ展示室を舞台にパフォーマンスをつくっていく。中学生・高校生を募集中!

    ■ 9/29(金) 開館20周年記念パフォーマンス「CICALA-MVTA LIVE!(シカラムータ・ライヴ!)<生蝉>演奏会」
    アヴァンギャルド・ロック、チンドン、ユーラシアの街頭ブラスバンドまでもがエコーしあう異能のユニット「シカラムータ」の破壊的な快楽サウンドは、真綿で首を絞められるようなこのご時勢にこそふさわしい…。

    ■ 10月 ワークショップ「誰もいない美術館で」vol.10
    ゲスト:矢作聡子(ダンサー、振付家)

    ■ 11月
    「鑑賞教室」でやってくる子どもたちを館に迎え、30校ほどの学校へ出張授業に行く日々。

    「トランス/エントランス」vol.3
    出演:生形三郎(作曲家)

    ■ 12月 ワークショップ「誰もいない美術館で」vol.11
    ゲスト:APE(楠原竜也ほか)

    関連リンク

    おすすめ!

    地元・西葛西にある隠れ家的キューバン・バー「BUENA VISTA BAR ALUC」。カクテルも料理も美味。キューバ人パーカッショニスト兼ダンサーのサルサ・レッスン、気持ちが自由になる。老いも若きもいろんなお客さんが来る。おもしろい。仕事帰りに遅くまで飲んで食べて踊っても歩いて帰れる。至福。

    次回執筆者

    バトンタッチメッセージ

    NPO法人演劇百貨店の店長、柏木さんといっしょにワークショップ「誰もいない美術館で」を始めて3年目。初めて会ったとき、美術館で以前行われていた演劇ワークショップとの継続性をつくることにとらわれていた私に、柏木さんはあっさりと「別に演劇やらなくてもいーんじゃない?塚田さんがやりたいことやれば?」。このユルさに拍子抜け&納得(これは私が柏木さんから受けた瞬間芸的ワークショップだったのかも)。

    柏木さんがいるワークショップでは、その場にいる人それぞれが、その人自身として在るままに他の人とつながっている瞬間が生まれる。まるで広大な夜空に突然、新たな星座が浮かび上がるみたいに。「演劇」をやらなくてもそれはものすごく“演劇的”。美術館で、そして他のいろんな場所に出かけていってはいろんな人と星座をつくる、柏木さんはすごい人です。って褒めると照れ屋の彼は何も書いてくれなくなりそうだからやめますが(笑)、すてきに成長している演劇百貨店のこと、柏木さんの日々のつぶやき、聞かせてほしいです。あ、今度ゴハン食べに行きましょう。
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