
1997年にトヨタ・アートマネジメント講座 vol.9 仙台セッションを開催した当時、仙台では現代アートの創造の現場にふれる機会が乏しく、芸術活動の地域とのかかわりや発信力も弱かった。「アートマネジメントの実験—まちがアートと出会うとき」をテーマにしたのは、アートの社会的広がりへの目覚まし効果を期待したからである。参加者アンケートでは先行事例が新鮮だった、ぜひ継続開催を、という感想が多かった。
その後、2001年にせんだいメディアテークが開館してまちの空気も変わってきた。2005年にはメディアテークの呼びかけで、地域の美術館やギャラリーが「仙台視覚芸術振興ネットワーク(SCAN)」を組織して「仙台芸術遊泳」を隔年開催し、その際に二度にわたって「アートセンター円卓会議」を開いた。自治体の財政難にもかかわらず各地の芸術機関の成長ぶりには目を見張るものがあった。
2000年代のまちづくり系アートプロジェクトのブームを経て、活動の担い手は多様化してきた。昨年は、店舗を縮小した画廊の展示空間を借りて仙台アーティスト・ラン・プレイス(SARP)が発足、今年3月の東日本大震災後には気仙沼リアス・アーク美術館の「N.E.blood」シリーズ展の出品作家たちが公立美術館に自ら企画を提案するなど、アーティスト集団がマネジメントの側に立つ気運が起こった。もっとも、これらは商業画廊の経営難や被災した公立美術館の長期休業など、地域の厳しい現実の裏返しでもあるのだが。
震災後は「アートによる被災地支援」が一躍キーワードとなった。地震の揺れが収まらないうちから、出前ワークショップなどの打診が押し寄せて、困惑した石巻や気仙沼の美術関係者が私の知り合いにいる。彼らは津波で家を流されたり、泥出しで精一杯だったりという切羽詰った状況だったのだ。被災地が、「支援」という名の表現活動を提供したい側の、自己実現の手段となっては本末転倒である。文化財レスキューや文化事業従事者の失業対策のような緊急性のある復旧事業もあろうが、文化復興はあせらずじっくり取り組むのが肝心だと思う。
ホールや美術館では天井が崩落したり、陳列ケースのガラスが飛散するなどの被害が甚大で、有名建築家設計の施設も形無しの状況だった。被災前の現状復帰に止まれば、大きな余震で同じことが繰り返されないか心配になる。死者を出した九段会館の例もある。被害状況や改修ノウハウをデータベース化して、避難所になるくらいの安全な文化施設づくりに役立てる危機管理の研究も、今後のアートマネジメントでは重要な課題となるのではないか。
仙台では「アーツエイド東北」の設立準備が進んでいる。神戸文化支援基金の協力を得て、市民主体の資金調達や助成活動を行うというもの。市民の寄付文化を育てることは平時においても難題である。震災を機に「アートマネジメントの実験」はより切実さを増してきた。私たちは実験の傍観者ではすまなくなり、当事者能力が試されようとしているからである。
(2011年9月15日)





