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行って、知って、続ける


 震災当初、アートが機能を失っていたことを感じていたのは私だけではないはずです。愛する人たちの生死もわからず、住む場所も見つからず、食べるものも手に入れることができなかった残酷な現実が溢れていた中では、いたずらに夢や希望を語ることすら憚れる空気が漂っていました。実際そう感じた私は、アート的なアプローチで被災地とかかわったり震災に向かったりすることを一旦放棄し、もっと現実的で機能的なボランティア活動に努めることを決意しました。

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タノンティアによるボランティア活動。
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5月末から6月末まで開催された石巻へのタノンティアバスツアー。

 私のボランティア活動「タノンティア」は、友人知人たちだけでなく、不特定多数の人たちを巻き込みながら変化してきました。視覚的にも機能美まで追求したピラミッド型に土嚢袋を積み上げた「タノミッド」を生み出し、バスツアーが開催される時には唄やしおりを作成するといった、ともにボランティアを続けるための「楽しみ」を追求する...などといった展開が生まれてきたことで、いまになってみるとアート的な要素も多分にあったといわれていますが、決して当初からアートで何かをしてやろうと考えて行ったものではありませんでした。

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余震に強く省スペース、かつ美しさを追求したタノミッド。「撤去する」だけの作業から「作り出す」ための作業に転ずることで士気も高まる。

 実際のところ、あの日からわずか一年半足らずしか経ってはいないのですが、最近ではメディアやマスコミで被災地の状況を取り上げる頻度が随分と減ってきています。だからこそ、被災者たちが(とりあえずではあるけれど)眠る場所や食べるものを手に入れることができてきたこれからが「アートで」の本番ではなかろうか、と考えています。被災地や仮設住宅で暮らす人たちのための直接的なアプローチもあるかもしれません。また、被災していない人たちへ状況を伝えたりする作品やプロジェクト、イベント、せんだいメディアテークなどが当初から取り組み続けているアーカイブ的な方法で再確認するための手段があるかも知れません。また、被災地やそれを取り巻く環境に、時に辛辣になれるのもアートやアーティストとしての役割でしょう。私も含め多くのアーティストたちも一旦は失意させられていましたがこれからがアートの見せ場なのです。私自身も何ができるのかはまだまだ模索中で、今もしばしば被災地へ足を運びタノンティアがてら現況を探り続けているところです。

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2012年11月17日、南三陸にて。
撮影:JN

 特に私が重要だと考えていることは、「その場所」で何が起こっているかをしっかりと肌で感じることです。私がたびたび被災地へ足を運んでいるからでしょう、いままでにも何度かアーティストやアート関係者に「被災地で何をやったら良いか」と具体的に尋ねられることがあります。しかし、「被災地」や「被災者」は1つきりの決まったものではありません。地域によって異なれば、時間の経過によって状況も変わってきます。ある仮設住宅のエリアでは子どものいる世帯もあるけれど、別な場所では1人暮らしのお年寄りばかり、ということもしばしばあります。救援物資に例えるなら子どものいない場所に山ほどランドセルが贈られればただ無駄に場所やゴミを増やすだけのことになりかねません。逆にお年寄りにキャラクターものの小さな紙オムツを履いてもらうわけにはいかないのです。善意のつもりが逆に被災地の負担にもなりかねない。善意とわかっているからこそ受け手は断れないことがあるのです。人々の個性も地域性もそれぞれです。それぞれの地域にあったアプローチを時間の経過とともに考えていかなければならないのです。被災地を相手にするアートワークショップのようなものにも、そういったことが起こりうるのです。
 最近私が気になっているのは、私たちは震災を忘れてはいけないけれど、逆に被災者は震災を忘れたいという意識が強いと感じられることです。それは早く日常を取り戻すための、先に進むための、1つの防衛行為なのかも知れません。自分たちを忘れないで欲しいけれど、自分たちは忘れていたい。被災者を思ってかかわろうとすることや可視化させることが、その防御壁を壊してしまうのではという戸惑いとかかわり方の難しさを感じています。

 未曾有の経験からまだ見ぬ次の段階へとステップする過程で、アートが社会を導くことのできる可能性は大きく、アートが担う責任は多いと感じています。そしてアートにしかできないことがあると私は信じています。だからこそ、足を運んで現状をきちんと理解し、じっくりと時間を掛けて取り組んでいく必要があるのだと考えています。

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石巻市内の小学校にて。
撮影:トーチカ(ナガタタケシ)

(2012年12月4日)



今後の予定

~12/24 にいがた水と土の芸術祭2012 出品中

活動データ

2006年「コネクティング・ワールド」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]/東京)、2007年「アートみやぎ2007」(宮城県美術館/仙台)、2009年個展「T+ANONYMOUS(タノニマス)」(現代美術製作所/東京)、2011年「カフェイン水戸」(水戸芸術館/水戸)、2011年個展「タノンティア資料室(せんだいメディアテーク/仙台)」、2012年個展「3・11とアーティスト: 進行形の記録」(水戸芸術館/仙台)
2012年個展「風が 吹くとき」(ギャラリーターンアラウンド/仙台)など個展、グループ展参加、ワークショップ、アーティストインスクールプログラムへの参加多数。

関連リンク

ネットTAMメモ

 タノタイガさんから届いた原稿は思いのほかシンプルなものでした。しかしそこに大切なことがたくさん詰まっていることは、皆さんも一読で感じられたのではないでしょうか。確かに震災直後は刻々と明らかになる深刻な被災状況を前に、アートは口にすることすら憚られました。あらゆる催しが自粛され、是非を問う声も聞こえていました。誰もが自分に何ができるだろうかと自問する中、タノタイガさんはいち早く被災地に入りボランティア活動を始めます。芸術家としてではなく、一市民としての行動でした。
 そのためタノンティアの活動はとても実用的ですが、一方で「タノミッド」や「タノンティアの唄」、コラム内の写真にも見られる「タノンティアポーズ」など、いつも"ちょっとしたこと"が加わってどこかユーモラスです。関係者の気持ちを前に向かわせてきたであろう、"ちょっとしたこと"。それを生む人の営みや、それが育つ過程に、実は「アートの種のようなもの」があるのかも知れません。「アート」や「アーティストとして」にこだわり立ち止まっていては決して見えなかったものです。
 2012年12月11日。いまは昨年の出来事である大震災は、あと数週間すれば2年前のこととして語られます。だからこそ忘れてはいけないという思いを強くするこの時期、「逆に被災者は震災を忘れたいのでは」という指摘は心に刺さるものです。被災地の現状と被災者の心情はそれぞれに違い刻々と変わる、そのことにあらためて気づかされるからです。しかし止まっていては見えるものが少ないことはこのコラムが教えてくれました。大切なのは「行って、知って、続けること」。いつも肝に銘じなければ。タノタイガさん、すばらしいコラムをありがとうございました。

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