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つながり合う「輪」


 東日本大震災によって私たちが個々の生き方や社会のあり方を根底からつきつけられてから、約2年半がたとうとしています。一人ひとりに新しい生き方が求められる今、さまざまな意味や壁を越えて、個と個が有機的につながり合うことの重要性が、さらに意味を増していると感じます。
 私が所属する「わわプロジェクト」は、秋葉原にあるアートセンター「アーツ千代田3331」を拠点とした東日本大震災復興支援のプラットフォームプロジェクトです。アーツ千代田3331 に隣接する練成公園は、今から82年前、関東大震災の復興計画に基づいて整備された公園で、3.11の震災発生時には、外神田の避難所であるこの施設に、地域住民をはじめ、多くの帰宅困難者が集まりました。その後、館内に入居するアーティストやクリエイター、これまでの多くの展覧会やプロジェクトを通じて広がった人々が呼びかけ合い、アートプロジェクトで培ったネットワークを支援活動のネットワークへと機能をシフトさせ、多くの復興支援プロジェクトが生まれていきました。

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アートアクション「いま、わたしたちになにができるのか?--3331から考える」(2011.4)
アーツ千代田3331の体育館にたくさんのアーティストが集結、約40万円の義援金が集まった。

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東日本大震災復興支援展「ArtsAction3331」(2011.4〜7)
アーツ千代田3331のメインギャラリーを無料開放。支援活動を行う人々が互いの活動を理解・共有する場として3331を活用した。

 わわプロジェクトは2011年6月の発足以来、復興の文化的プラットフォームとして、復興支援に関するコーディネートやマッチングのほか、国内外での定期的な展覧会の実施をはじめ、被災地をつなぐコミュニティ新聞の発行、復興支援プロダクトの展示販売など、リアリティをもって伝えるということに軸を置き、さまざまな形での発信を続けています。

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「わ」という音には、「和」「輪」「環」「我」「倭」といった関係性を表す意味が多く含まれています。私たちは、多くの「私」が大きな「わ= 街」をつくることを願い、活動の名前を「わわ」と名付けました。
※東北地方の方言のひとつで、「私」を「わ」といいます。すなわち「wa wa」という音は、「私は」と意味します。
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被災地をつなぐコミュニティ新聞「わわ新聞」。
2011年9月から現在10号までを発行。
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復興支援プロダクト展示販売「わわや」。
プラットフォームとしての活動のプロセスで出会った数々のものづくりを伝えています。

 1、2年目は、展覧会を中心とした復興支援を軸に、さまざまな人や活動を紹介。実際にアーティストや復興リーダーをゲストに招いたトークシンポジウムやワークショップも、多数企画・開催しました。具体的には、1年目は、被災者の苦労や活動の事実だけを紹介するのではなく、そこで活動する人の強い人間性や社会性に焦点をあて、現地で復興の要となり活動する"復興リーダー"をインタビューした映像をモニターで等身大投影、またそれまでにリサーチした中から80組のアーティストや建築家、クリエイターなどによる支援活動をできるだけニュートラルな形で紹介しました。

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復興リーダーのインタビュー展示

 なかでも、復興リーダーへのインタビューは現在も定期的に行っており、復興のプロセスとともに語られる彼らのありのままの言葉は、今後時間がたつにつれて、より貴重なものとなっていくでしょう。注目すべきは、彼らの切実な想い、そしてそこから生まれる「創造性」です。彼らはアートという言葉こそ使いませんが、その表現意欲やつくることに対する情熱や切実さは、日頃アートに接している人たちすらたじろぐほどです。本来のアートやクリエイティビティが持つ純粋性がそこにあるような気がします。

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1年目展示は、東京・ソウル・台北・韓国で開催しました。
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これらの活動をまとめた書籍を2012年9月に発行。復興リーダーのメッセージ、80の支援プロジェクトほか、展示参加アーティストの写真作品、シンポジウムの記録などが集録されています。

 2年目の展覧会は、近年震災を経験した地、新潟と神戸、そして東京の3か所で開催しました。ポイントは、単なる巡回展ではなく、その土地にちなんだ企画を土地の人たちとともに企画し、つくりあげた点です。地元に密着して活動する方々と共同主催とし、連携した企画を展開することで、地元の方々との交流を通し、その土地に宿る想いが瞬間的に開くのを感じられたとともに、より大きな「わ」が全国に着実に広がっていくのを実感しました。

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つくることが生きること 新潟展」(2012.11)
大船渡ゆめ商店街で開催している「やっぺし祭」が参加。運動会や縁日などの催しで上古町商店街を賑わせた。
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つくることが生きること 神戸展」(2013.1)
椿昇さんの核をテーマとした全長30mもの作品「Mushroom」
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つくることが生きること 東京展」(2013.3)
阪神淡路大震災から17年の支援活動を立体的に、体感できるものとして表現した「阪神・淡路大震災+クリエイティブ タイムライン マッピング プロジェクト」

 ある報告によると、震災発生からこれまでに文化的ジャンルで実施された復興支援の中で最も多かったのは、その地元に根ざす「祭」の復活を支援するものだったそうです。わわプロジェクトでも、岩手県山田祭の支援なども行っていますが、東北は、今回被害を受けた沿岸部以外でも、その土地土地でのアニミズム文化が色濃く根づいています。「コミュニティを復活させるのはまず祭が必要」と言う彼らにとって、祭とは? 豊かな暮らし方とは? 支援活動を通し見えてくる東北の基層文化、彼らが語る言葉、守ろうとしているものに、今問われている社会のあり方に対する答えが宿っているように感じてなりません。

 また、東北沿岸部は昔から津波の被害を繰り返し受けてきた土地でもあります。薄れゆく記憶をどう次世代へ伝承していくのか? 被災地では現在も、大きな被災物を残すか残さないかという課題が話し合われていますが、そのいくつかが、住民の要望を尊重し撤去されています。しかし、例えば原爆ドームがもし壊されていたら? 象徴がないなかで私たちはどのように過去の体験を共有していけるでしょうか? そういった点で、モノが持つ視覚的な強さで記憶を語り継ごうとする3.11メモリアルプロジェクトや、三陸の地で津波を文化の1つととらえ伝承するリアスアーク美術館などの取り組みは、今後さらに注目すべき活動と言えます。また、スタディツアーやダークツーリズムといった観光的要素を持った活動をよく耳にするようになりました。例えば、一筋縄ではいかない原発に関する問題や課題にこそ、このような開かれた情報公開が必要であり、そこにはアート的なより自由な発想と動きが必要とされると感じます。

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3.11メモリアルプロジェクトの展示。2013年「つくることが生きること 東京展」より

 さらに、今、東北で新たに生まれるビジネスに興味のある方も多いと思います。岩手を拠点としたアドボート・プロジェクトは、船体にF1カーのように企業広告を貼ることで、漁師を支援しながら企業側のメリットも満たすという新しいビジネスモデルを提案しています。一度ゼロになった東北には今、熱意ある活動家や社会起業家が多く集まっています。他にも、宮城県塩竈のビルド・フルーガス石巻2.0、福島県いわき市のMUSUBU など、地域とともにエネルギッシュに活動する彼らの活動や今後の展開にも目が離せません。

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アドボート・プロジェクトの支援船は現在約40隻あまり。カラフルなロゴをまとった漁船が並ぶ風景は、さながらイタリアの港のよう。漁師からのニーズは絶えず、現在も広告主を募集しています。

 最後に、これから刻まれる長い歴史のスパンで現在を見ると、今はまさに「震災後」直後に当たります。この先、50年、100年と時間が経過し、この数十年が「震災後」としてひとくくりにされるとき、3.11のリアリティは現在よりも確実に失われているでしょう。しかし、そこで息づく人々の想いや活動、今まさに広がりを見せる人々の「わ」が、なにかの形となり機能するのも、その頃ではないかと思うのです。わわプロジェクトでは、今後も多様な活動がつながり合うプラットフォームとして、小さな「わ」をひとつずつ、つなげていきたいと思います。

(2013年9月4日)

関連リンク

ネットTAMメモ

 東日本大震災から2年と6か月が過ぎゆき、復興への歩みに希望と苦悩を抱きつつも、毎日の暮らしの中で震災の記憶が薄れ始めていることを感じずにはいられない日々...ネットTAM事務局では、東北で息づく人々へ思いを馳せ、震災についてずっと考えていくために、本コラムでどのような取り組みを紹介すべきか、話し合いを重ねました。
 今回の高村さんのコラムは、震災を「忘れない」ことの重要性、積極的に「かかわっていく」ことの大切さ、そして長期的に支援していくことによって生まれる可能性を示してくださっています。実際に活動されている方の現場感覚で発せられる言葉の重みは力強く、その経験が放つ説得力は心強く、さらに多くの方々へ「わ」を広げていくことでしょう。
 アートプロジェクトで形成されたネットワークが支援活動にシフトされることで、アートによる力が生まれ、何をしたらよいのかわからずただ悶々と時間が経過するくぼみから、新たな可能性が見いだされる。「わわプロジェクト」が取り組む活動は、まさに、震災復興におけるアートの可能性を私たちに指し示してくれているのではないでしょうか。それも、難しい問題にこそ、アートの力が発揮される、と。
 「わ」と「わ」がつむぐ、数珠つなぎのネットワーク。アーティストたちが持つ純粋性と、復興に直面する東北の方々の切実な思いが、東北への愛に内包されてここに結実していることを、高村さんのコラムは伝えてくれています。
 高村さんとの今回のご縁は、とってもひょんなところから生まれました。それも日頃のアートのネットワークの賜物かもしれません。最後に、「わ」をつないでくださったコマンドNの久木元さんに御礼申し上げます。

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