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戦争と災害〜日常の表現



2016年2月18日から同25日まで、本サイトにも寄稿されているENVISI主催の吉川由美さんと、ポーランドに出かけた。2015年9月に南三陸で東北記録映画三部作の『うたうひと』(監督:酒井耕・濱口竜介/2013©silent voice)の上映をした際に協力していただき、その晩泊まった南三陸の宿で唐突に誘われた。

「アウシュビッツに行かない?」
二つ返事でいくことを決めた。

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東北沿岸部で『うたうひと』という映画の無料上映会を続けている。2015年9月6日に開催した南三陸町入谷の上映会は、吉川さんに会場を紹介してもらい、当日はお忙しいなか準備や受付を手伝ってくださった。受付の吉川さんと上映会の会場風景。
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破壊されたワルシャワの町
ポーランドは日本の国土の4/5程度を有し人口は3,800万人程度、7つの国に囲まれた平坦な地は周辺国の侵略を多く受け、130年ほど世界史から国名が消えた時期もある。14世紀ころにはユダヤ人が多く移り住み第二次世界大戦が始まる前にはシナゴーグと呼ばれるユダヤ人のための教会が首都ワルシャワだけで100近くあったそうだ。ナチスドイツに占領され、アウシュビッツはじめいくつもの強制収容所や絶滅収容所が設けられ、ユダヤ人だけでなくポーランド人やジプシーも絶滅の対象となっていたことは周知の事実かと思う。

今回は、アッシュビッツ及び近接するビルケナウ強制収容所跡地、市民の戦いの歴史が記録されているワルシャワ蜂起博物館とポーランド・ユダヤ人歴史博物館を訪ねた。戦争という災害を扱うこれらのどの施設でも、歌を歌い、絵を描き、彫刻を掘り、芝居をするなど、芸術が困難の最中に共にあったことが記録されていた。

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ビルケナウ強制収容所に引き込まれた線路
アウシュビッツで囚人と呼ばれた人々により描かれた絵画や彫刻を見た。ワルシャワ蜂起で戦ったレジスタンスのためのカフェではバンドが演奏し芝居が行われた。平和だった日常にあたりまえにあった文化的芸術表現だ。同時に、当時戦火の元発行された新聞や雑誌、写真、日記、手紙や関連した映像の類が数多く保存されており、そこから読み取れる当時の暮らしの様子など、今に伝わる記憶の記録が丁寧な解説とともにたくさん展示されていた。

戦争という困難は自然災害とは異なるが、日常の暮らしを理不尽に根こそぎ奪われるという意味では共通する。人間が引き起こすのだから、ある意味自然災害ともいえるかもしれない。戦争が長引くのと同じように、自然災害も「1.17」や「3.11」と記号化されてしまうただその1日だけの困難ではない。その翌日から、それまでの暮らしや愛おしい者が奪われたままの状況が長く続き、復興という困難な戦いの渦中に身を置かざるをえなくなる。

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宮城県唐桑町の海辺
阪神淡路大震災から21年経った今も、中越地震から12年経った今も、東日本大震災から5年経った今も、個人により状況にさまざまな違いはあるけれど、「あの日」と「それ以前」は異なり、いまだ困難の渦中に身を置く人は多い。

私に何がアートかうまく定義することはできないが、「世界と人とのかかわりのもとにある表現」がアートと呼ばれるのであれば、アートと呼ばれていなくとも、日常のなかに「表現」は存在する。人は世界の一部として生きるうえで、どんな形であれ表現することは不可欠だろう。それを支える、または取り戻すきっかけとしてアートはあらゆる可能性を持つのだと思う。日常にある表現を手がかりに、アーティスト自身が、まず職業としてのアートではなく、アートを生き様として捉えることができるのであれば、日常の延長線上にある災害におけるアートの可能性は、失われた時や記憶やもの、などなどの数だけ膨大にありそうだ。表現のプロを標榜するアーティストであれば、まずはその場とのかかわりを持つ、つまり、現場に出向きその場に「耳を傾ける」ことから始めれば、あとはおのずとアーティストとしての表現は導き出されていくのではないかと思う。どうすればいいという正解はない。考える以前に、そっと現場に足を運んでみればよいのではないか。

災害・記録・表現とのかかわり

私は東北で幼少期を過ごし、多くの友人が被災した地域に暮らしていた。阪神淡路大震災のときには微塵も動けずにいたが、2011年の春には東北の沿岸部にいた。自分の無力さは痛感し諦めていた。だからこそ、この連載の冒頭で永田さんがいうように一歩踏み出せたのかもしれない。生活が根こそぎ持って行かれたのである。今考えれば現地に行くための言い訳だった気もするが、編集という自分が多少なりとも有するスキルを使い何かできることはないかと通い続けるうちに、中間支援という形のお手伝いもし、本当にさまざまな出会いがあり、『震災リゲインプレス』という新聞を発行することになった。まもなく5年経過しようとしている。震災リゲインの活動継続を決意し、2015年末にNPO法人した。2年後の認定取得を目指している。

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『震災リゲインプレス』は3月20日に16号を発行する。丸4年、全国に4万部を無料で配り続けている。月額250円の会費で、毎号(年4回)10〜20部が手元に届く。それを周囲の親しい人に配ってもらい、みんなの大切な人の防災・減災意識を少しずつ高めてもらい、いざという時を無事に乗り切れる可能性をわずかでも増やす事に協力してもらっている。電子ブックでも読むことはできる。
http://kyushu.ebpark.jp/book/smart/index/category/cate/329

当初は東北で支援活動をする個人や団体、地元もよそ者も含め、あらゆる「行動する人々」に感銘を受け記事を書かせてもらい、ときに中間支援として具体的なお手伝いもしてきた。2年目からは日本各地の震災にまつわる行政、企業、個人、NPOなどを取材している。取材や中間支援活動を通して学ばされ、励まされ続けているのはじつはこちらの方だということが痛感される。恩返しのための継続でもある。

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NPO法人震災リゲインは、『震災リゲインプレス』の発行の他、被災された方々、支援を希望する企業やNPOの中間支援も実施している。アーティストへの協力もこの一環だが、現在は独自プロジェクトとして、写真家の草本利枝と映像作家の泉山朗土と共に記憶を記録する『リコレクト』というプロジェクトを東北沿岸部で継続している。震災リゲインHP

中間支援の活動を続けるなかで、さまざまな立場、ジャンルの方々のお手伝いをした。アートにかかわるお手伝いも、まずアーティスト以前の「個人」との出会いがあり、いくつかお手伝いもさせていただいた。

そのひとつに、プロデューサーとして参加させてもらった『東北記録映画三部作』というドキュメンタリー映画がある。キッカケはせんだいメディアテークと東京藝術大学の共同プロジェクトとして製作された『なみのおと』という映画だ。テレビやYouTubeにあふれる映像を目にした濱口竜介監督は「行ってこの目で何が起こっているのか確かめたかった」というシンプルな理由で東北に行き、その後合流した酒井耕監督とともに数ヶ月後には「100年先までみてもらえる映画にしたい」と『なみのおと』を完成させた。

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当時、せんだいメディアテークでは「3がつ11にちをわすれないためにセンター」がすでに立ち上がり、監督の受け入れもしたが、被災にかかわることを「映画」という媒体にすることに、当初は違和感を覚えたという。しかし。本当に丁寧に、真摯な姿勢で取材と議論を重ね独特な手法で当事者の声を記録する監督たちを見て、また、宮城民話の会の小野和子さんとの協働が深まるなか、徐々に信頼を深めていったという。

その後もまだ撮り足りないと感じサポートを必要としていた監督たちに出会いsilent voiceという「静かな声に耳を傾ける」というコンセプトで細々製作を続ける映像プロダクションで引き受けた。『なみのおと』をみせてもらい共感し、共同プロデューサーの芹沢高志に伝えると迷うことなく(多分)賛成してくれた。結果『なみのこえ 気仙沼』『なみのこえ 新地町』『うたうひと』の三本が完成し、最初の『なみのこえ』と合わせて4本が『東北記録映画三部作』となり、今も各地で上映されている。

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『東北記録映画三部作』監督:酒井耕・濱口竜介/2013©silent voice/配給:silent voice/三部作は全て山形国際映画祭映画祭出品、一部受賞。
なみのこえ』 『 うたうひと

過程と記録、反省と検証

映画の製作が災害後の困難な日々のなかにいる人々にとってどのようなものだったのか? 今後どのような役割を果たしていくのか? 私にはわからないことだらけだ。きっと長い長い年月が経っておぼろげにわかったりわからなかったりするのだろう。わからないけれど、考え続けている。そして映画は今も国内外で上映していただいている。日常の延長線上にある震災が監督たちの表現を通して、距離や時間の遠く離れた、今を生きる人々の暮らしに投影されていることを願う。

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今年の3月には韓国やドイツでも上映していただく。
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ある日、映画の登場人物の一方が自分の出ているこの映画を見た後、監督にこぼしたという言葉が印象に残る。「映画に撮ってもらって、ここでちゃんと話したから、もう私は忘れてもいいよね」。復興の最中、慌ただしい暮らしのなかで徐々に薄れていく記憶に不安と負い目を感じるというのだ。あれだけのことがあったのに忘れてしまう自分を責めてしまう、と。でも映画のなかの自分は時間や場所を超えて記憶を伝えていくことができる、とホッとしていたということを聞いた。個別多様に被災した方の想いに寄り添うことはそう簡単ではない。

実施されたほかの数多くのアートプロジェクトも、アートプロジェクトではないさまざまな活動も、5年経過した今、終了したり継続したりさまざまである。何が良くて何が悪かったのか、さまざまな議論はあるが、実際振り返りはなされた方がよいだろうと思うし、反省があるなら、未来に活かすためになんらかのドキュメントとして残し検証されたらよいと思う。

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2015年12月に発行された『震災リゲインプレス』15号では地域の方々と中間支援団体と建築家が共同で取り組んだ防災高台移転についてのドキュメントに取り組み、今後未来に活かすための検証作業に入る。

振り返り、反省し、検証できるのもすべて、行動を起こしたからこそだ。

映画の上映会をどこかでしたときのことだったと思う。監督たちは、『なみのおと』や『なみのこえ』を撮影する際、まずはカメラを持たず話を聞かせてもらうために通い、多くの話を聞き、人としての関係を築いた後、はじめてカメラを携えて出向き、独特のアングルで親しいもの同士の会話を撮影し、編集した。編集した映像も被写体にしっかり見てもらい、本人たちが望まない部分はカットし、また見てもらい、と、とにかく丁寧に制作を続け、映画という不特定多数の人に時間も場所も超えて見られることの危険性やカメラの暴力性も真摯に伝え、納得してもらい映画にした。そんな、配慮のプロセスを監督たちが語っているときに、小野さんがポツリといった。「それは自分たちの責任逃れのためにしていることなの? どれだけ説明されても素人にわからないことはわからない。それで傷つくことがあっても、説明したでしょう、といえばすむと思っているのかしら?」。

答えは、「すまない」だと思う。監督たちも知っている。2人の監督が『東北記録映画三部作』の制作から得たものは計り知れないと思う。

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小野和子さんの「聞く」姿勢と覚悟についてはここでは字数が足りないし、私には到底表しきれないが、是非『うたうひと』のなかの小野和子さんには出会っていただきたいと願う。

肯定すること

本来私たちはちっぽけで無力なはずなのに、何か特別なことをしてもしなくても自分が存在する限りどうしてもなんらかの形で世界に作用してしまう。孤独なのに孤独でいられない。良い悪い含めあらゆる可能性のなかに私たちは日々生きている。良い悪いという判断も正解は1つではなく、受け手にもよるので簡単ではなく厄介だ。

であるならば、東日本大震災で不安を抱えながらも衝動にかられ東北に出向き行動をとったすべての人々を私はまず肯定したい。生き物として突き動かされたその感覚を大事にしてほしい。ただ、そのことで生じる現象を、引き受けきれるかどうかは別として、可能なかぎり自分自身で受け止める覚悟(または諦め)は大事だろう。それは特別でも、勇気のいることでもない、普段生きていることの延長線上にある。日々生きているかぎり、自分の存在はインパクトを与えてしまう、その実感とともに生きていくしかない。喜び喜ばせ、傷つき傷つける。実際まずいこともいろいろあっただろう。でも、動いたからこその反省であり、未来につながる貴重な活動も数多く生まれた。可能性という言葉がマイナスに作用し、何かを閉ざすものであってはほしくない。私自身、情けなくもたくさん反省し、苦い思いもしながら今がある。

生きていくには、大きな諦めとともに、生きていることそのものを肯定しなければ生き続けることが難しい。だから、生きている人すべてを肯定するだけの曖昧さや多様さ、弱さとともにありたいと願う。強いね、といわれることがある。まったく逆だ。とても弱い。弱いから、共に生きていこうと努力するし失敗もするし許し許される。それは、日常の生活であたりまえに大切で、防災、減災、復興文化の根本にあってほしいと願う。

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とても大切にしているポスター。あちこちで紹介して歩いているが、アフリカ原住民のことわざだという。
Many small people in many small places, do many small things, that can alter the face of the world.
(たくさんの小さな人々が、たくさんの小さな場所で、たくさんの小きことを成す。それで世界の状況は変えられる) ポスターはヴェルナー・ペンツェルと、南野佳英の共作。

「聞くこと」から

災害におけるアートの可能性という問いにこんなにたくさん文字を割いてもとても応えきれたとは思わないが、東北という地に育てられたものとして、遠くから足を運んでくれたすべてのアーティストにこの場を借りて心からお礼を伝えたい。出向き、耳を傾けてくれることが大切だと思う。実際多くのことはできず、結局被災地や被災物、被災された人々から多くのことを学び、その後の生きる糧を得るのは足を運んだ側だと常に思う。困難な経験やその共有は辛いことだが、同時に生きる力につながり、先々の災害でまた生かされるだろう。だから、アーティストだけでなく少しでも多くの人が、今からでも彼の地に出向き、5年経過しても今尚、さまざまな困難の渦中にある人々の声に耳を傾けてほしいと願う。

正解はない。失敗したら頭を下げ反省し出直したらいい。じっと動かず考え続けるのでもよいし、考えなくてもよい。今、それぞれなりに生きていているのであれば、それがすべてだ。欲をいえば、自分ごととなるかもしれない次なる災害に、日常のなかで備えてくれていればいい。

ポーランドにて、強制収容所やゲットー、ワルシャワ蜂起で、亡くなったたくさんの人々の生きた記憶の記録を見た。また東日本大震災や阪神淡路大震災、中越地震、岩手・宮城内陸地震の取材を通し多くを学んだ。ポーランドでも日本でも、困難を経験した後、今を生きる人々の声を聞かせてもらいながら、亡き友を思いながら、私はいま、大切な家族や友人と生かされている。

たった数十年の短い人生。

みんな、無事で生きていてほしい。私の願いと活動の原点はバカみたいに単純で、本当にそれだけ。聞き、語り、表現することができるのも、生きていればこその喜びだ。

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2016年6月に渋谷のシアター・イメージフォーラムで、鹿児島の知的障がい者施設しょうぶ学園を5年間記録した新しい映画を劇場公開する。茂木綾子とヴェルナー・ペンツェルの共同監督、製作はsilent voice。『東北記録映画三部作』の少し前に始まり、同時並行で製作していた映画だ。障がいがあるといわれる彼らの表現と「生きること」が直結する様に、東北に通う身が支えられた日々だった。
映画の原文(英語)タイトルは『while we kiss the sky』だ。なぜこのタイトルなのか? 是非映画を見にいらしてください。

(2016年2月29日)

今後の予定

京都で震災リゲインの記憶の記録のプロジェクト「リコレクト」の展示とお茶っこ(おしゃべりするば)を開催する予定です。詳細が決まりましたら、HPやSNSでご案内します。
*3月20日に『震災リゲインプレス』16号が発行されました。購読ご希望の方はお問い合わせください。

ネットTAMメモ

今回より「震災復興におけるアートの可能性」は「災害におけるアートの可能性」として大きく枠組みを広げ、新しくスタートします。前回、ニッセイ基礎研究所 芸術文化プロジェクト室の大澤寅雄さんとプラス・アーツ永田さんとの対談で、“震災”から“災害”、そしてそれにプラスして“防災”といった新しい視点を本コンテンツにもたらしていただきました。東日本大震災がきっかけとなり考え始めた“アートの可能性”。16回にわたってご登場くださった方々と、読者の方々の想いを種にして、社会全体にかかわるアートの可能性を“災害”という新たな展開のフェーズから考え続けていきたいと思います。

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